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なぜキョロ充は「読書について」を読むべきなのか?


なぜキョロ充はこの本を読むべきか?


自分で考えないから。自分の軸を持っていないから。


本を読むとは他人に物を考えてもらうこと

本を読むとは、他人に物を考えてもらうということです。

やりすぎると他人の知識に溺れてしまいます。

だから沢山本を読んでる人は一見偉いように見えますが、ただ知識を持っているだけでは中身のない人となります。


一番大事なのは、自分の考えを持つことです。
自分で考え抜いて、行き詰まったときに本をよむのがいいのです。

自分で考える、という作業をおろそかにするといつまでたっても本の効果は身にしみこみません。ただ知っているだけでは価値がないのです。

自分で考えと答え合わせをするように本を読んでいくことも大事と言っています。

良い本と悪い本

書きたいことがある人がかく本は良い本です。

はじめの数ページでなにを伝えたいかしっかり書いています。


一方、金のために書く本はわるい本です。

適当にそれらしいことをごまかしながら書いて、なにを伝えたいのかわからないのです。

良い本を読むならば、古典作品をお勧めします。

今本屋に出ている本が100年後も残っているとは想像しにくいでしょう。

数ある本のうち、100年にたった1冊か2冊が永遠に残り続けます。

本当に頭がいい人が書いた本を読むのに価値があります。

一方、そういう古典を模倣した本は悪い本だと言っています。

結局これらの本も金のために書かれてあり、本としての質が薄いからです。

ここまでくるとこのブログもだいぶ質が低いことになるでしょう笑

次元の違う頭の良い人が書いた本を、同じレベルの頭の良さのひとが模倣したり参考にして意味はあるのか?と言っています。

次元の違う賢いひとの文章を読むことに価値があるのに、同じ頭のレベルの人を読むことにあまり意味はない、と言っています。


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