湘南乃風という少子化問題の切り札

湘南乃風聴いて泣いた話をしたら後輩がドン引きしてた

(※本記事は湘南乃風とリスナーを馬鹿し、称賛する偏見にまみれた記事です。なんか気をつけてください。馬鹿にすることと称賛することは両立します)

25歳Fラン大学出身現在売れない自営業という名の無職の僕は、最近湘南乃風にハマっています。よく曲を流しながら、駅前でビラ配りをしてたりしてます。もともと小学校の時に湘南乃風に一枚だけアルバムを聴いていて、急にリバイバルブームがきました。この前「曖歌」を聴いていたら泣いたので、その話を後輩にしました。

それを聞いた後輩の第一声は
「え・・・?」

でした。そのあとに少し考えながら
「うわ・・・」
「まじですか・・・湘南乃風を聴いて感動する人はちょっと・・・」
としっかりドン引きしていました。そのあと僕は後輩とのカラオケで何事もなかったかのように湘南乃風を熱唱しました。「曖歌」を上手に歌えなかったから、歌詞を今度は完コピしたいとおもった夜でした。

「大親友彼女のツレ、美味しいパスタ作ったおまえ」

「大親友彼女のツレ、美味しいパスタ作ったおまえ」
「大貧民負けてマジギレ、それ見て笑って楽しいね」

JPOPシーンに残るフレーズが有名な湘南乃風。ターゲットを超具体的に絞ったこのマーケティングには思わず脱帽です。「仕事や勉強等による一時的・心理的なストレス低減する」チョコぐらい超具体的に絞っています。「大貧民負けてマジギレ」する奴が周りにいるということに焦点を当てた湘南乃風はすごいです。

そしてこんな曲を歌っているから地元の「マイルドヤンキー」が好きそうなアーティストです。今日はその湘南乃風の存在は、日本の少子化問題の解決に寄り添っているんじゃないかなと思ったので、そのことを描いていきたいなと思いました。湘南乃風は、社会から外れた人たちを音楽という形を通して社会復帰させる道徳教育的な存在に見えてきます。歌詞を見ながらその思うところを見ていきましょう

湘南乃風の中心思想は
グレてダメな俺だけど家族のために頑張って働こう!です

いつも誰かのせいにしてじゃなくて誰かのおかげ
そう思えたら折れかけた翼でどこまでも高く飛べたよ

「いつも誰かのせいにしてばっかりだった俺」

わかりやすい、かつキャッチーなメロディ、この歌いたくなるのも良い。曲名がものすごくそのまんまです。どういう曲なのかわかります。英語じゃない。マイルドヤンキーは英単語が二つ以上並びだすと読めないし、漢字も熟語になった途端読み飛ばすことがおおいから、この曲のタイトルだと一目でどんな曲なのかわかります。曲名が長いから、曲を探すときも探しやすいです。こんなに関係詞の長い曲はあまりないからぱっと見でわかります。そして曲の内容もとても道徳的。「誰かのおかげ=高く飛べる=湘南乃風」みたいでかっこいい、という等式がすぐに成り立ちます。

黄金魂をみていきましょう。

蹴破れ!その扉
プライドなど投げ打ってデッドオアアライブ

黄金魂

「蹴破れ!その扉」は、和訳すると「ハローワークの入り口のドアを勇気を出して開けましょう」になります。グレてそれなりにチンタラと遊ぶとそろそろ現実をつけつけられてきます。変な理由をつけて避けたくなりますが、「まあやっぱハロワぐらいはいっといたほうがいいんじゃない」という背中を押す出だしです。マジでハロワぐらいかないと食っていけないですからね(デッドオアアライブ)。

この黄金魂は全体的にどういう歌なのかというと
「月曜日に出勤したくない鳶職のための労働讃歌」です
いつか生まれてくる子供が夢にふと出てきて、それを機に「強くなるから」と決心するのが黄金魂なのです。「強くなるから」は、和訳すると「いきたくない月曜日にも現場に出勤する」になります。

わがままに生きることは素直に生きてるの証だ

突然始まるのアンセムパート、湘南乃風は一曲に物語のような展開を作ることが多いです。

アゲアゲのパートからメロウなパート、アゲアゲ、そしてアンセムパート。ここでマイルドヤンキーたちはシャワーのように汗をびっしょりとかき、両手でタオルを持ち上げ、涙ながらに大合唱です。

このアゲ曲からしっとり曲のような最初から最後まで「うちが担当しまっせ!」というようなワンストップサービス精神。海外のイケイケな映画のような盛り上がりと落ち着いたパートをちりばめるような感じ、休日だからとりあえずきたマイルドヤンキーカップルを上下急降下させるジェットコースターのような曲の特徴を持っています。「これ一本で大満足セット」のラインナップが実に素晴らしいです。

他の曲になりますが、

お前死ぬ気で飛んでみ?

jump around

なんだろう、カツアゲされてる気分になります。ここ聞くと笑います。ユスられているような感じです。

次は睡蓮花を見ていきましょう

ヤバくなれるのは誰?俺…俺!俺!俺!俺!ole!ole!

睡蓮花

サビ前の盛り上がりを「俺」だけで押し切るのには高度な技術が必要であり、彼らは特殊な訓練を受けています。一般人がやると非常に危険です。その証拠に歌詞の「俺」に注目してみてください。五つ目の「俺」までは漢字で書かれていますが、六つ目からは「ole」と漢字ではなくなっています。これは意識を持って「俺」を押しきれられるのが最大7個までということを意味しています。5つ目あたりから強烈なGに耐えられなくなり意識が飛ぶ寸前です。おそらく8つ目からは吐血、気絶、自我の崩壊といった症状が見られるでしょう。かなりの訓練を受けたもの7個が限界です。一般人がやるとおそらく、2個ぐらいで頭が破裂するでしょう。

突然降り出した雨 ベットで涙浮かべ

今まで散々ジャンボリーしてたのに、突然雨が降り出します。湘南乃風の手にかかれば、湘南の海で突然雨を降らせることができます。インド映画かよ。そしてベットでも突然泣き出します。ここでマイルドヤンキーたちは「情景描写」というものを無意識に学ぶことになります。

出会って泣いて笑って泣いて笑って泣いて笑って泣いて

祭り最後のクライマックスです。夏に開かれる川沿いの花火大会のクライマックスのような最後です。マイルドヤンキーの人たちを「ああ今日ここにきてよかったなぁ」と思わせるようなクライマックスです。僕もこれ聴きながらビラ配りしてましたが、気がつけば目頭が熱くなていました

純恋歌をみていきましょう

パチンコ屋逃げ込み時間潰して気持ち落ち着かせて
景品の化粧品もって謝りに行こう

純恋歌

ターゲティングが秀才なワンフレーズです。アンダーグラウンドではなくメジャーなJPOPシーンで「パチンコ屋逃げ込んでもいい」と寄り添う歌詞がとてもいいです。そして景品の化粧品持って謝れば済むマイルドヤンキーカップル。彼女が「もう…ばかぁ…」ってなって仲直りするんです。

見取り図のネタをいつも思い出します。

ちなみにもし僕が彼女だったら「パチンコ屋になんで行ってるの?そこに金使うんだったらもっと投資信託とかせめて生活費に回さないの?全く趣味の合わないコスメなんかくれてもいらないよ?」ガン詰しますけどね

桜並木てらすおぼろ月

マイルドヤンキーが初めて「詩情」に出会う瞬間であり、初めてむずかしいことばに出会う瞬間です。怖いお兄ちゃんが歌うからそれが一気にかっこよく聞こえます。マイルドヤンキーは怖い先輩に強烈な憧れを抱いています。そんなアニキが「おぼろ月」なんて言葉を使えば、いっきに大人っぽくみえてしまいます。でもマイルドヤンキーは「おぼろ月」がどんな月なのかはわかりません。どんな漢字なのかもわかりません。湘南乃風は難しい言葉を教えてくれる教育機関でもあります。

今すぐ会いに行くよ
手をつないで歩こう

怖いお兄ちゃんが歌うから胸が熱くなるところです。指がゴワゴワして太いから、裁縫みたいな繊細な手作業が出来なさそうな土方が熱唱する、愛の歌が良いんですよね。

「湘南乃風が好き」という社会の弁別的機能

「君が何を食べているのかを私に言ってくれたまえ。そうすれば、私は、君がどのような人であるのかを、君に言ってあげよう」

ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン

ピエールブルデューという人が「ディスタンクシオン」という本で「文化資本」という概念を提唱しました。

あ、すみません上記の引用は歌詞ではないです。気をつけてください。もちろん湘南乃風はこんな社会学的示唆にとんだフレーズをマイルドヤンキー に伝えても伝わらないのを理解してますから、こんな歌詞はつくりません。

これは社会の階級によって、文化や好みが違うという話です。社会的に成功してる人は、「家にピアノがある」とか「蔵書がある」とか「美術館によく行く」といった文化的な要素が反映されています。社会の階級が高い人ほど、聴く音楽の趣味が変わっていきます。文化資本が高いほど、高級な音楽(クラシックとか)を好み、階級が低い人ほど低級な音楽(ポップス)を好んだりするようになります。社会階級のを分別をするのには、経済資本のみならずこういった文化資本という尺度でも分けることができます。


縦軸が財力があるかないか、で横軸が文化資本があるかないか、の図

↑ノートで紹介してらっしゃる方がおられます。自分が趣味を選んでいるように見えて、実は生まれ育った環境や階級で趣味が決められているのです。
「サイゼリア好きだよ」は、自分からサイゼリアが美味しいとおもって食べているのではなくお金がないから、外食はサイゼリアぐらいしかない。慣れているものを私たちは「好き」というのです。

飼うペットにも趣向が表れています。例えば大学の教授といったような文化資本が高い人ほど猫を飼う傾向があります。一方文化資本よりも経済資本が大きい経営者は犬を飼う傾向があるそうです。好きな食べ物でその人の階級がわかってしまうのかもしれません。ちなみに僕はマックは贅沢品だと思ってます。

ブルデューのこの本は二巻あります。まだ一巻も読み切ってないですが印象に残ったのは、文化資本が高い人ほど映画のような作品に無感動のように接して、文化資本の低い人ほど一つ一つの作品に感動示す傾向があります。

「この前見た新海誠の映画めっちゃよかっった!!!!!ないた!!!!」みたいな感想が文化資本の低い感想です。年に一回映画を見るか見ないかだから、絶対にあたりの映画を見て感動します。
一方文化資本の高い(映画好き)ならば、「はい。見ましたよ。新海誠監督は日本を代表するような意気込みのある作品でしたね。かつてそれを目指したが諦めた村上春樹の男性的なナルシシズム要素もまあ入れ込んでましたね。」みたいな無感動なコメントをするのが文化資本の高い人の感想です。映画を見る頻度の多さ上位10%に入るような人ですから大衆向けの作品一つではそうやすやすとは感動しません。

文化資本の高い家庭で育った人は、性愛にもある傾向があります。基本的には硬派な人で、男女遊びする人は低俗だとおもってしまいます。ですが世代が変わると逆にたくさんの人と交際することがステータスであるというような世代ごとの傾向がでてくるそうです。ジャンボードリヤールの本でも、消費のあり方に傾向があって、成金の人ほど派手なハイブランドを買う傾向があるが、一方もともと上流階級の人はそれを毛嫌いしてわざと地味な服を着るらしいです。地味な服を着ていることが本当のステイタスアピールになります。「グレードギャッツビー」でも服装が一つ物語のキーになっていました。

俺はサーフィン お前は犬を連れ

ちょこっとマックでお茶をして

曖歌

「お前」は猫を飼うことはないし、仕事を早く切り上げても行くのは「マック」であってブルーボトルコーヒーに行くことはないです。絶対に行かない。ビールは好きだけど、クラフトビールを趣味には絶対にしない。

マイルドヤンキーの道徳装置ー良心の疾しさの発生起源

僕はそんな湘南乃風を道徳装置だと捉えています。グレて社会から排除されるような人たちが湘南乃風のターゲット層。

湘南乃風が提示する理想のモデルとは
・海が見える6LDK
・子供はワールドワイドに備えて隣町のアメスクへ
・「パスタつくったお前」とのシワの分だけの幸せ

と経済的な成功を目指した浪漫飛行の着地点は「パスタ作ったお前」「ふと夢みた…いつか生まれてくる子供」を幸せにするという家族愛です。これが理想であり、ここをたたえるのが湘南乃風のビジョンです。

音楽という存在の位置づけにおいて

湘南乃風はアーティストであって社会の事前活動団体ではありません。実際に会社を持って労働者を雇う人たちではなくて、アーティストです。彼らが提供するのはキャッチーな歌です。そしてあともう一つ、提供しています。

それは良心の疚しさ(やましさ)です。

良心の疚しさ、負い目という感情

ニーチェはキリスト教支配的世界がなぜここまで人を退廃させたのか、ということに関して「道徳の系譜」という本である答えを提出しました。キリスト教が、信者にたいして債権者と債務者という関係を作ったことを暴き出しました。例えばお金を借りた人は「返さなければならない」という負い目をもって生活をします。なんか申し訳ない気持ち。なんか申し訳ないから、せめてお金を貸した人のいうことは聞いておこう。このように私たちは何らかの形で贈与関係が生まれます。贈与されたら、返す。返せなかったら服従するというものです。男女の関係はこの贈与関係に基づきやすいです(養うから、服従して)。プロ奢られやー?がすごいのはこの人間の自然な贈与関係の感情が発生しないところにあります。

キリスト教はキリスト信者にどんな債権と債務の関係をつくったのでしょうか。
それは「お前ってもう生まれながらに罪なんだよ(原罪)?だけどイエス様が代わりに自己犠牲することによってお前の罪の肩代わりをしたんだよ?おまえさぁこのありがたみわかってる?」という関係です。「借りの哲学」という本でのニーチェの解説はびびるぐらい分かり易かったです。

罪の肩代わりされたから、信者はずーーーーっと「なんか申し訳ない」気持ちを抱いて、かつイエス様やってくれたほどの恩返しはできないから、せめてキリスト教のいうことは聞こうということになります。こうして道徳が生まれます。道徳の起源とは債権ー債務というところにあります(ちなみに、この債務債権の感情の根源とは苦痛を与えたい、所有したい、破壊したいという本能的な快楽に基いてるというニーチェの分析はいかついです。人間をここまで分析できる人とあんまいなさそう)。

道徳の本当の目的は「いい人になってくだい(ニッコリ)」ではありません。
道徳の本当の目的は「いい人じゃないお前はそれなりの負い目を感じて生きろよ」という支配洗脳です。「なにか申し訳ない」という気持ちをずーーーっと植え付け続けることが道徳の本懐です。

湘南乃風はこの「良心の疚しさ」というニーチェが分析した高度な概念を実によく理解しています。だから彼らは、政策や学校を作ったのではなく歌をつくったのです。彼らの本義は実際にマイルドヤンキー を直接的に更生するのではありません。道を外してしまったヤンキーに「何か申し訳ない気持ち」を植え付けさせることが彼らの真の目的です。この目標達成レベルの調整範囲に見事ジャストミートするのが歌であったのです。実際問題ヤンキーを更生するのは結構難しい。例えば「だからあなたもいきぬいて」という素晴らしい本があります。ふと夢にでてきた子供に読ませたい本です。著者の方は割腹自殺から極道の妻を経験したのち、弁護士になった超人です。彼女は社会から外れてしまった人たちを更生する手伝いをやっています。しかし道を外してしまった人が社会復帰するなんてことはあまりないそうです。

湘南乃風が歌うようなイケてる男の理想像じゃない俺。彼らは「理想からかけはなれてるなぁ」という感情を植え付けたのです。こうすることで、クズなヤンキーも心のどこかで「なにか申し訳ない気持ち」をもつことができます。この返しきれない気持ち(そもそもヤンキーは常日頃悪いことをしていてそこから生まれる申し訳なさ)を抱えてるから「せめて〇〇はしよう」というモチベーションが働きます。

マイルドヤンキー は「でも俺(ウチ)はちゃんとしてるから」という気持ちを一般の人より強く持ちたい感情があります。ギャルに「ギャルだね」っていうと「でもうち中身は清楚やで(ちゃんとしてるで)」という無意識のアピールがあります。

僕が中学の時、ちょっとやんちゃっぽい女の子がAK-69?のレゲエライブ行った時の感想をなんか覚えています。「AK-69めっちゃかっこいいねん。あ、でもそれだけじゃなくて『原発は反対しよう』とかっていってファンの人たちもそれにレスポンスとか返すねん」みたいなこと言ってました。ヤンチャしているように見えて実はちゃんと政治に関心があるよ、という無意識のアピールをしてました。ちなみに大学4年ぐらいに久しぶりにその子に会ってホストやってたことを伝えるとその子くっそドン引きしてました。「え、まじ(怪訝な顔)?まぁーーーー働いていない人よりかはいっか」みたいな感じでした。

偏見ですが、「ギャルは保守派」という僕の金言があります。保守的であることがちゃんとしているという無意識のアピールにつながるのだと思います。マイルドヤンキー にとって、今まで悪いことして、ちゃんとしてこなかったこの良心のやましさや負い目の感情(=債務)を精算するために保守派になるのです。

マイルドヤンキーは地方過疎化の最後の守護者ある

今年、中学からの大規模な同窓会のお誘いが来ました。幹事の人から5年ぶりに連絡がきました。インスタグラムを交換し、ちらっと見てみるとキラキラしててびびりました。投稿をみると、当時ヤンチャだったDQN同士が中学から付き合い、早く出産して家族持って休日は地元の連れ家族を呼んででかい家でBBQしてる投稿がありました。3時間ぐらい意識を失っていました。

中学の時に上位のカーストにはいりクラスの可愛い女子と付き合って早く出産してトラックの運転手になって平日ばりばり稼いで休日は地元の連れと家族で過ごすというマイルドヤンキーの勝ちのロードマップがあります。われわれはこれには勝てない。いつか海の見える6LDKドリームがある。

社会学者は宮台真司氏は「マイルドヤンキーは地方過疎化の最後の守護者」だと言っていました。地方のマイルドヤンキーは16ぐらいでガキ作ったからそこに定住して、やがて彼らがPTAに参加するようになります。やんちゃして社会に迷惑かけたヤンキーが30になると社会を支える側につきます。湘南乃風も負い目を負わせてはいますが、その負い目とは「家族愛」をもつことです。こうしてみると湘南乃風が、マイルドヤンキーを救う道徳的な装置にみえてくるのです。ミクロで見るとパチンコ屋に逃げ込むクズですが、マクロで見るとしっかり働いて社会に貢献しているわけです。湘南乃風を聞いてマイルドヤンキー特有の苦しみが少しでも緩和されて、それで「明日も頑張ろう」と少しでも思えたらそれは社会的に大きな善なのです。

今二人で見ている夢には届かないのかも
それでも俺たちサイズの幸せ探しに行こうぜ

曖歌

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