みんなへ

2024年 04月19日

いつもなんかわけのわからない、文章ばっかり書いていることが多いので、今日は皆さんの傷口を埋めることはできませんが、傷口に布を充てるようなそんな暇つぶしの文章を書ければいいなと思っています。

僕は、YouTubeを始めたときのことを鮮明に覚えています。毎日投稿を始めたこと、誰にもコメントされていないコメント欄を眺めること、初めてコメントが来た時のこと、よく昔コメントしてくださっていた人の名前、「励まされました」とDMをくれた人のこと、かなり記憶力はいいほうで、めちゃくちゃいろいろなことを覚えています。
もちろん、いやだったことも。だから、まず言いたいのは、皆さんいつもありがとうございますっていうことと、これからもできれば末永くよろしくお願いしますってことです。

僕は近づく地獄のような日に希望や光を与えてあげることはできないし、悲しみの底から救い上げてあげることもできません。
だから今、こうやって文章を書いて気持ちが誤魔化されたらいいな。と思っているのです。

人生であんなに叫んで泣いた日はきっとこれから先、どんなことがあってもないだろうと思います。

たまに、ストーリーでも言うのですが、僕は綺麗事が大嫌いです。
何かを施したのに、その大事なことがらを承認欲求の材料にしてしまったり、自分はそんなバケモノになりたくないのでTwitter(現:X)をやめました。
きっとムンビンという人間はそんな“バケモノ”にならないためにこの世を去ったのではないかと思います。
死因についてあえて触れます。「死因なんてどうでもいいじゃないか」そんな声が多々あったのを僕は知っていますし、その話題が一部の人にとってはセンシティブな話題であることも十分に理解しています。
もし、自分で“バケモノ”にならないように、と選択した結果が“死”なのであればそれはそれで、きれいな散り際だったのではないかと思います。

でも、もし自分の望まないコントロールもできないものに苛まれての結果であったのなら僕は責めるべき人を責めたいですし、憎むべき人間を憎みたいです。一生、僕の息の根が止まるその瞬間までその人、その人たちのことを恨みたいです。

それから、消えてしまおうと思っている人たちへ。

僕は、この世から貴方が居なくなってほしいなんておもったことは一度もありませんし、居なくならないでほしいと思ったことも一度もありません。
いなくなってもかまいません。このまま生きていてくれてもかまいません。
本当にそんなものです。もし貴方が自分の命に何かを期待しているならそれは間違いです。
貴方に興味なんて誰ももっていません。
だから悔しくないですか。
何のために、生まれてきたか。そんなことを考える機会も今まで一度くらいはあったんじゃないですか。
でも、答えは出ないじゃないですか。
誰かのために自分を犠牲にして何かをすれば、そんなに簡単に答が導き出せると思いますか。
誰かの目を気にして、自分のすべてを変えて
こうしなければいけない、世の中ではこうあるべきだ
“普通”とはこうだ。とかね

僕は、学生の頃トイレでご飯を食べていました。
学校では年中マスクをとれませんでした
お金で友達を作っていました。
手首を切ると怒られるので、足首と太ももを切っていました。
人とすれ違う時、顔を見られたくないので帽子を深くかぶり俯くのが癖になってしまいました。
友達には嘘をついて、自分という偶像をつくっていました。
そして、顔を変えて、“自分”の人生を歩めるようになりました。
つい最近の話です。
でも、気づきました。誰も僕を見てはいません。僕の目の前にいる人は僕が明日この世から消えてもおそらく見向きもしないでしょうし
僕の親友とも呼べる人が僕を裏切らない可能性もまた、100%とは言えません。
君をかわいいというそこの彼も君のことをかっこいいというそこの彼女も
いつかは裏切るかもしれません。
話を戻しますが、君は自分だけを信じてください。
両親や親友いればいるだけいいと思います。信頼を置くのも、いいことだと思います。
でも、どこでも何があっても結局、味方は自分だけなのだ。ということを、頭の片隅に常に置いておいてください。
だから、自分が“死”という方法で自分を裏切る必要はありません。
だからと言って、無理矢理「生きろ」なんて言葉も投げかけません。
ただ、自分で自分の人生に落第印を押さないであげてほしいんです。

いま、崖のふちに立っている人は少しだけ水面に映る自分を見てあげてみてください。


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