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君が歌う恋の歌

高校最後の文化祭も二日目が終わり、あとは後夜祭を残すのみだ。この二日間、俺たちの学舎は見渡す限りの人、人、人でとんでもない賑わいを見せていた。俺はといえばクラスの出し物と軽音部の発表と、他の部活の友達の手伝いと、PTAの案内などお祭り騒ぎを極める忙しさだったりした。それほどの騒ぎだったにもかかわらず、片付けもひと段落した校内の廊下は生徒の影もなくひっそりとしていた。ついさっき後夜祭を告げるアナウンスが体育館から聞こえていたから、他の生徒はほとんど体育館にいるだろう。早く行ってバンドのみんなを手伝わないとなんて思うわりには、1日中暑い校舎内を駆けずり回った体が重だるい。ちょっと休んで行こうかなんて考えながら、ぬるくなったポカリを飲み干すと向こうの方に見覚えのある人影が見えた。うちのバンドのボーカルだ、ついでに俺の好きなやつ。疲れなんてどうでもよくなって、廊下の端からあいつがいる教室まで駆け抜けた。片付けが終わったところなんだろう。段ボールを抱えたまま器用に足で扉を開けている。

「そろそろ後夜祭始まるって。」

真っ黒な瞳がこちらを捉える。触れたら折れてしまいそうな体に似合わず、こいつの歌声は芯が通っていて伸びやかだ。時々遠くを見つめているからどこかに消えていなくなってしまうんじゃないかと不安になるけど。

「わかったすぐ行く。着替えるから先行ってて。」
「待ってるよ?」
「ここで着替える。」
「お前なぁもうちょっとそういうの気を使えよ!女の子だろ〜。先行ってる!」

帰ってきた返事はいつも通りそっけない。それどころか退散せざるをえない言葉だ。急いでその場から逃げるように走り出す。耳の裏に熱がこもる。顔が赤くなったのはバレてないだろうか。夕日のせいにして欲しい。仮にも俺はお前が好きなんだから、もう少し気を使って欲しい。告げたことがないから思うだけ無駄だが。

自分の教室に立ち寄ってドラムのスティックとタオルと今日のために作ったバンドのポロシャツを掴む。クラスTシャツを脱ぎ捨てカバンの上に放ると、そのまま下駄箱を抜けて一番近い水道の蛇口をひねり、頭から水をかぶった。茹だった頭と身体が少しずつ冷静になってくる。勘弁して欲しい、これがあいつとの最後のステージなんだ。雑念なんか追い出して最高のパフォーマンスをしたい。

ドラムを始めたのは高校に入学した時だった。それまではバスケ部でベースをやってる幼馴染に誘われて、音楽なんてやったことないのに体験入部に行った。そこであいつが歌ってるとこを見て一緒に音楽がやりたいと思った。その当時のあいつの歌は無機質で少し寂しそうだけど、まっすぐな歌声で何も知らない俺でもその姿に感動したんだ。軽音部に入ると即決した俺をみて幼馴染は長い前髪の隙間から生暖かい視線を送ってきたけど気付かないフリをした。

軽音部の1年から3年までどのバンドもあいつの声を狙っていたけど、熱心に熱心に口説いた結果なんとかうちのバンドがあいつをもぎ取った。それから死に物狂いでみっちりドラムを練習して3ヶ月で人並みに叩けるまでになった。あっという間の3年間、山あり谷あり、毎日毎日ドラムと向き合って今じゃ胸張って学校の中では一番うまいって言える。

蛇口を閉め大雑把に髪をふく。きっと出番までには乾くだろう。スティックとポロシャツを掴んで体育館へと向かう。バックステージに通じる階段には幼馴染ともう1人、バンドのメンバーが待っていた。

「わるい!待たせた。」
「俺らも今来たところ。お前なんで髪の毛ぬれてんの?」
「洗った。」
「なるほどねぇ、とりあえず服きてね?ムキムキ晒して自慢か?」
「お前はもやしだもんな。」
「おっ?喧嘩なら買うぞ?」
「それよりあいつは?」
「うちのお姫様ならまだ来てないよ〜。まぁいつものことだから出番までには来るっしょ。」

1年の時から出番ギリギリまで来ないやつだったし、今更騒ぐことでもないけどやはりちょっと緊張する。3年間一緒にバンドやってきて、あいつは変わらないところもあるけど、変わったところもある。歌いかたが変わったのが一番大きな変化だろう。一人ぼっちで歌っている感じだったけれど、明らかに歌声に色がついた。冷たいブルーからたまに穏やかな黄色や上機嫌な時は薄桃色になることが増えた。俺たちとバンドやりはじめてから変わったんだって言いたいとこだけれど、きっとそれが原因ではない。他の誰か特別な人ができたんだと思う。

夏休みが明けてからあいつの歌はまた少し変わった。深い深い群青と夕焼けみたいな赤が混ざり合ってラピスラズリみたいに光る歌になった。後夜祭のラストステージのための曲を書いている間は凄い勢いで、歌っている間もそうだ。これまでになくあつく、熱く誰かに何か訴えるように歌っている。

ジリジリと夕焼けが沈み、出番まであと1組になったところでようやくあいつが体育館に来た。相棒のブルーのエレキを背負って気だるげに階段を上ってくる。

「おそい!着替えんのにどんだけかかってんだよ。」
「ごめんって。」
「まあいいけど。ほらいくぞ。」

舞台裏に入ると、あいつはカーテンの隙間から客席の方をじっと息を潜め目立たないように覗きこんだ。視線が奥の方で止まると傷ついたような顔をした。

「何みてんだ?」
「好きだった人。」
「うぇ!?」
「ほらいくよ。」

誰?という疑問はあいつの言葉と時間に押し切られ口にすることはできなかった。やっぱりいたんだ、好きな人。そりゃあ、あれだけ歌が変わればそうだよな。でも好きだった人ってどういうことだ?振られたのか?どこのクラスだ?必死で冷やしたにもかかわらず次から次に湧き出る疑問に埋め尽くされて、頭の中がまたグラグラと煮えたぎる。

司会進行のバンド紹介とマイクのハウリングがどこか他人事みたいに聞こえる。全然落ち着いていないけどやるしかない。最後の舞台だ。一呼吸置いてスティックを打ち鳴らす。

好きだったってことはこの歌はそいつに送る歌なんだろか。あいつがそこまで胸を焦がす相手はどんなやつなんだろう。確か後ろの方を見ていた。入口の方に目を向ければ1組の男女が楽しそうに寄り添いながら俺たちを見ていた。お似合いという言葉じゃ足りないほどぴったりな美男美女。サッカー部のやつと、隣はあいつとよく一緒にいる友達の子だ。友達と好きな人が一緒だったってことか?

テンポを崩さないように必死に取り繕いながらサビまで駆け抜ける。不意に幼馴染の驚いた顔が目に入ると、あいつが高く振り上げた人差し指をまっすぐとあの2人に向けた。

ああ、そうか。
お前が好きなのは…友達の方なのか。

なんとなくわかってしまった。ありったけの愛と哀しみと祝福を歌を通して叫ぶあいつの瞳に映ってるのはたった一人、明るくふわふわと微笑む彼女だけなんだろう。

隣の男ならまだ勝ち目があるかもしれないと思ったけど、これはダメかもしれない。何もしないまま俺の恋は終わるのかな。ツンとする鼻の奥を無視して、全てを出し切ってふらふらになったあいつを支えてやる。

高校最後のライブは大成功で、かつてないほど拍手をもらった。後夜祭の片付けも終わり、バンドのメンバー男3人で打ち上げやるか、なんて話していたら下駄箱で見覚えのある3人組を見つけた。たぶんあいつが好きなふわふわの女の子が大はしゃぎしてあいつの手をブンブン振り回している。話し終わったのか、あいつから二人が離れて仲よさそうに手を繋いでバス停に向かっていく。男の方には見向きもしないで、泣きそうな顔して友達の手を離したあいつは初めて会った日よりも寂しそうだった。帰ろうと一歩踏みだしたところに後ろからどかっと肩を組む。

「よっ!打ち上げいくんだろ?」

涙で潤んだ瞳が見開かれて、少し戸惑ったあとうんっと返したから、何も考えてないふりしてニカッと笑ってみせる。
ひぐらしがないている。こいつが歩き始めるまで、俺の思いは閉じ込めて、また柔らかい黄色の歌声が聞こえるまでじっと待つのも悪くない。


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