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完全帰国しました。

4ヶ月ぶりの投稿になります。

おかげさまで、夏はヨーロッパでJ と過ごし、
先月末に完全帰国しました。

今振り返ると、カナダでの3年間はあっという間でした。

夏の間、J は忙しく転職活動。
日本⇆ヨーロッパの時差の中、Zoom面接の日々。
その甲斐もあり、日本の会社と見事契約を交わし、
11月からのスタートとなります。

日本の国境はビジネスと留学生には未だ閉ざされたまま。
ビザの申請にストップがかかっているらしく、
会社側も申請を進めることができず。
日本がビジネスの入国をOKするまでは、
とりあえず、ベルギーからJ はリモートワーク。

と言う事で、私たちはまた遠距離になりました。

そして、先日、いきなりJ から重大な話をされました。

「みちゃんにとってショッキングなことかもしれないけど、
僕は子供が欲しいとは思わない。子供を持つことに意味(meaning)を見出せないし、幸せを感じない。」

何かきっかけがあったのだろうと想像するが、
J はあまりハッキリと言わず。
最近、ドイツにいる親友とも子供の話題について議論したらしい。
既婚者の親友は子供欲しい派。
かなりヒートアップしたらしい。

付き合った当初から、
「子供が欲しいかわからない」
とJ は言っていたので、決して青天の霹靂ではなかったけれど、
いきなり断言されたので、驚いた。

私はと言うと、
可能性が閉ざされると悲しく感じる、人間の性。
でも、心の中では、
産むことを期待されてない、条件ではない、と言うことで、
少しホッとした。
と言うのが正直な感想。

私もJ も悩んでいる点は同じ。

資源が限られている、この地球という星。
なのに、人間の数はどんどん増えていく一方。
そんな有限の資源を奪い合う、弱肉強食の世界と言っても過言ではない世の中に新たな命を生み出して、果たしてその子は幸せなのだろうか。

様々な過酷な状況や環境の中で生まれてくる命があるのに、
既にこの世に産まれているその子たちの命を守ることせずに、
なぜ自分の血縁の子供にそこまでこだわる、人間の傲慢とエゴ。

よく周りで見る。
親が自分の幸せや生き甲斐を子供に見出し、
無意識に過度な期待とプレッシャーを子供に投影してる姿。
依存によって子供の人生は縛られる。
親になったからと言って、生まれてからが長い道のり。
思考と意思を持っている人間として、
腹を括り、親としての責任を覚悟をしなければ、
こんなはずじゃなかった。
そう思った時にはもう後戻りはできない。

幸せのカタチは人それぞれであっていい。
自分の子供を持たなくたって、若い世代を育てることに貢献はできる。
私にとって子供を産み育てることは幸せなのだろうか。
私はその姿が想像できない。親としての覚悟ができる自信がない。
今の段階では、自分の体力と時間を捧げてまで子供が欲しいとは思わない。

私は34才。
J より4才年上。
もし考えが変わり、子供を産みたいと思った場合には当然タイムリミットがある。

そのことは身体も知っているみたいで、
私の思考と本能の中では葛藤があり、
その狭間で現在も揺らいでいる。


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