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竹生島へ 4

前回の記事の続きです。

さて、annonさんは、noteのコメント上でやりとりをされて知った、と前置きをされた上で、電話口でもう一つのことを教えてくださいました。それは、波兎を通じて私を竹生島に誘ってくれた巳白さんのことでした。

巳白さんは、毎日船で竹生島に通い、島で仕事をされていたのだそうです。

「きっといろんなことがあったんだと思うよ。
彼女にとって、竹生島は思い出がたくさん詰まった島なんだよ。
写真をたくさん撮ってSNSにあげたら、きっと喜ぶよ」

巳白さんが、社寺彫刻に精通した専門家で、竹生島に通われていた時期があるらしいということは、記事を通じてなんとなく知ってはいました。
それでも巳白さんを気遣われるannonさんの言葉をあらためて聞き、私はこの島の何を見て、何を撮ればいいのだろう、と思い始めました。

社寺のある一画へは、祈りの階段と呼ばれる、百六十五段の石段を昇っていきます。

足だけ出演。相方さんと娘。

この石段を登り切ったところに、寺社が並びます。

竹生島は無人島。
ということは、壮麗な寺社を建てるために、あるいは修復メンテナンスするために、大勢の人たちが、材料を担いでこの石段を何度も昇り降りしたということです。
観光目的で一往復するだけでも、大変なのに。
そして、その中の一人に、きっと巳白さんがいた。

そんなことを考えながら、一段ずつ昇っていくうちに、私の心も決まりました。ガイドブックに載っているような写真を撮っても仕方がない。私は、私が見たい竹生島を撮ってこよう。それで巳白さんが喜んでくれるかわからないけれど、私なりに全力で、この島を体感してこよう。

続きます。

もうひとつの竹生島ストーリー

私は、通勤電車の中でnote を読んでいます。
電車の中ではマスクをしているのですが、記事やコメントを読んでふきだしそうになったり、ニヤニヤしてしまうこともしばしばあり、かなりマスクに救われています。

この記事を準備しているタイミングでの通勤途上で、巳白さんの記事が投稿されたのを見つけました。
この時の驚きは、マスクでは隠せなかっただろうなー。

巳白さんが語る竹生島。
note の上で並走することになった過去と現在の竹生島。
巳白さんも私も、互いの記事の内容は知りません。

さあ、どうなるのでしょうか。


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