人を笑わせる術

私の父は北海道出身だが、高校生で単身上京して明治大学の文学部を卒業した。

そんな父の書棚は文学書が大半を占めていて、興味を惹くものと全く唆られないものに別れた。父の書棚をじっくり眺める時間があったのは中学時代までのことで、当時の私の触手はそんな感じだったが、今見返すことができたらもっと他の本も読みたくなっただろうと思う。

そんな真面目一辺倒の父の書棚の片隅に「人を笑わせる術」という新書サイズの本が場違いに混ざっていて、小学生だった私は暇があると眺めていた。

興味を惹かれたのは、少しエッチな話題があったせいもあるが、挿絵のセンスが洒脱で当時から美術を目指していた私はそのエッセンスを吸収したかったのかもしれない。

その後父親とは些細なボタンのかけ違いから疎遠になり、会話も母を経由するという面倒なことになっているのだが、機会があればまた父の書棚は眺めたいという衝動が年に数回起こる。

文学書は古書店でも手に入るが、あの「人を笑わせる術」という本にはまるでお目にかからない。

ネット古書店などもあるのでいつでも手に入りそうなものだが、そこまで執着があるわけではないので、記憶の表層に上がって来ず数十年が経った。

それが先日、本のタイトルがシナプスを通じて眼前のスクリーンに張り付いたままになり、ネット購入の機が熟した。

アマゾンでタイトル検索をするとなんと2,500円になっている!そんな値段にふさわしい内容の本ではなかったから、これはひとえにその希少価値から算定された価格なのだろう。

本の保管にはコストがかかる。50年もこの本を保管したのだ。と言われても、さすがに2,500円を払う気になる本ではない。

「他にもないか?」とネット上をほっつき歩いていましたら、ありました。送料込みで500円。妥当です。そのくらいでなくっちゃ。

二日ほどで到着。福岡にある古書店からだ。

40年ぶりに再会するハウツー本に過度な期待は禁物だ。全てはノスタルジーの充足のためなのだから。

しかし、期待は裏切られた。なかなか面白い。書評はしないが、装丁挿画だけではなく、文章も愉快なものだった。

しかし、文学部を卒業して銀座の広告代理店に就職した堅物の父が、仕事上のテクニックを磨くために仕方なくこんな本を買ったのだろうな、などといろいろ想像を巡らせるのもなかなか愉快だ。

打ち合わせに行って、相手のカバンからこの本が顔を覗かせていたら、ドン引きの後に「なかなかいいヤツかもな」と思うだろう。

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