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支持者・支援者が信者となり、盲目となるのか。

Twitterの場では抑えてはいたが、実は筆者、最近ある呟きで正直腸が煮えくり返る思いにさせられた。

今頃になって、『市民グループ見張り番』(以下、『見張り番』)の松浦米子氏の活動を懐かしむ呟きが流れてきたのだが、どうやらこの呟き主、支援者を通り越して、『見張り番』の代表世話人だった松浦氏の信者になるまで心酔しきったと言っても過言でなかろう。確かに『見張り番』の活動が活発だった2000年代後半、大阪市政改革を祈念して松浦氏の大阪市長選出馬を期待する声は少なからず存在した。実際は出馬に動かず、2005年の大阪市長選挙に、当時の民主党と協力の上で辻恵氏を支援し、結果落選している。その際、当時日本共産党の推薦を受けて立候補した姫野浄氏の支援を『見張り番』が行わなかった関係からか、後々までしこりが残る恰好になった。

上のブログ、明らかに嘘なのだが。当時の朝日新聞の報道からも、当時の關淳一候補の対抗馬として『見張り番』が辻恵氏を支援していたのは間違いないことであり、このブログでは明らかにそれに対する怨み言で綴られている。因みにこの6年後、2011年大阪府知事・大阪市長W選挙に於いて、『大阪維新の会』(以下、大阪維新)の松井一郎・橋下徹の両候補が当選した際に、その結果を喜ぶかの様な内容のブログが綴られている。比較してみると面白い。

更にその後、2012年3月には、『見張り番』が、当時の橋下徹大阪市長との面談に応じた内容のブログが、2回に亙って掲載されている。

過去に『見張り番』と歴代大阪市長との面談が実現していなかった背景は、恐らくは市長側の、市民オンブズマンに行政のイニシアチブを掌握されるのではないかという、一種の警戒心が甚大だったのではないかと疑ってはいるのだが。兎も角、この時に『見張り番』の松浦代表と、当時の橋下市長との面談が実現した訳である。この時に、笑顔で両者が対談している写真も何かしらの媒体に掲載されていたと思うが、どれだったのかは定かでない。また、この時に『見張り番』の提案の一部が、橋下市長の所謂『維新八策』に盛り込まれたという話もあった。

それを踏まえて、冒頭で触れた件の呟きである。2000年代後半、在阪放送局等の関西マスメディアや朝日新聞共々、『見張り番』は大阪市職員厚遇問題に託けて公務員バッシングを展開していたのだが、その結果として2011年以降、大阪維新が大阪の都市行政に於いてヘゲモニーを掌握することとなり、またその政策に対するチェック機能の衰微は、年々酷くなっていった。その後2015年頃には『大阪市がなくなるで! えらいこっちゃの会』など、後々に橋下市長の行政運営に対する批判としてリコール運動を展開する動きは見せてはいたものの、結局は尻窄みに終わった印象がある。2018年以降はそれが更に顕著になり、ブログでの発信回数も激減した。そして、それに対する反省は、2021年の今になっても、松浦氏をはじめ『見張り番』の関係者から聞かれないのが実状である。

本当に『見張り番』の現状を気に掛けるなら、「為す術もなくネットで遠吠えするしかなかった」とかいう様な呟きで自己憐憫に逃避することなく、『見張り番』の長年の活動が公務員に対する不信感を助長させ、大阪維新の躍進に繋がってしまったのではないかという反省を行い、そして「何故、この期に及んで『見張り番』は大阪の都市行政の現状に対して言及が出来ないのか」という疑問をぶつけることではないのか。本当の支援者、支持者が果たすべきことは先ずそれだろう。それが出来ないのなら、何ら改善は為されず、ただ只管市民オンブズマン等の市民運動の衰退に拍車をかけるだけでしかない。



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