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男社会をスリ抜けて女性が働き続けるということ

子供の頃から「女の子はそんなことするもんじゃない」「女の子のくせに」と言われることが大嫌いでした。
戦隊モノごっこや飛んだり跳ねたりばかりしてそう言われるたびに「好きで女の子に生まれたんじゃないもん!」と言い返していたように覚えています。

そして思春期から就活時期にかけて「男に生まれたかった」「せめて男性と同じように働きたい」という思いは一層強まりました。

私はこれまでいくつかの職種に就いていますが、じつは最初の就職以外は決して意識したわけではなかったけれど結果的に「女性が差別されない仕事」ばかりを選んできたように思います。
それは同時に「長く続けられそうな仕事」でもありました。

10代~で感じたこと考えたこと

1980年~1990年の時代背景から、10代の私は次のように思い込んでいました。

地価高騰でマイホームが買えなくなる⇒これからは共働きが当たり前になる
男女雇用機会均等法⇒差別がなくなる

思えばすっかり時代に感化されてしまったのかもしれません。
特に20歳の頃の感受性では、私にとって「働く」とは「経済的に独立」して「男性と同じ自由を得る」ことと捉えていたように思います。

ちなみに私の家庭は母が専業主婦で、そのことに対しては別に何の批判も疑問も感じていませんでした。また父が威張っていたわけでもなく、従って両親が反面教師というわけでもないのです。

典型的な昭和の中流家庭で育ち、何が不満で親と違う生き方をしようと思ったのか、じつは未だに自分でもよく解っていません。

生命保険営業

学生時代にバイトした大手メーカーで女性総合職一期生を見たときに感じた違和感が忘れられません。
一般職の女性社員たちとお互い口もきかず、さりとて男性社員と群れるでもなく、どこか孤立しているように感じました。

そんなこともあり、就職は当時四大卒女子の募集が増えてきた総合職ではなく、専門職で女性だけの職場を選択。
こうして1991年に生命保険会社の新卒営業部隊に入職。端から男女差別はありません。

ただし出先では理不尽な発言も受けました。
例えば育休から復帰したときに、営業先では「子供がいるのに何で働くの?」と言われて危うく「は???」って言いそうになってしまい…

なんて時代錯誤な! と思ったのですが、1995年当時は「子供が小さいうちは女性は家庭に入るもの」という保守的な考え方も結構残っていたように思います。

職場の方はだんだん主婦も多くなり「困ったときはお互いさま」精神で廻っていました。その点ではやはり総合職を選ばなくて正解だったと思っています。


介護福祉士

これこそ女性が差別されない仕事の究極ではないでしょうか。
20年ちょっと前まで職員は女性の方が圧倒的に多く、男性はいても大人しすぎて営利企業で働けなそうなタイプ(ゴメンなさい)。職員を「寮母」と呼ぶ施設もあったくらいです。

介護福祉士として最後にいた職場は各部署にシングルマザーが1~2名いたというくらい、女性が働きやすい現場だったのでしょう。人手不足が進み過ぎていなければいいのですが…。

ネットワークビジネス(MLM)

これも女性が差別されない働き方には違いありません。
じつはこれまで2回ほど取り組んだことがあります。1回目は勤めていた保険会社が経営破綻寸前のときでした。

私のビジネスグループのトップは女性でしたが、まったく片意地張って男性と競争している様子がなく自然体でした。そんなことも「女性がこれからの時代活躍できるのはビジネスの世界なのかも」と感じた理由だったのです。

そして「これからは時流を読まないと生き残れない」「沈みかかった船からは早く降りないと!」という思考を私にインプットしたのもこのビジネス体験でした。
結果的にビジネスは成功しませんでしたが、根強い「時流思考」と「変わり身の速さ」だけは脳内に刻み込まれました。

同じころ営業の紹介でリハビリ職と出逢い介護士を目指すようになったのも、動機の50%は過去に書いたように人とふれあう仕事への憧れだったのですが…

残りの50%は「これからの時代は介護が伸びる」という読みだったのです。ちょうどジュリアナ東京社長の折口雅博氏がコムスンを立ち上げたのとほぼ同じタイミングでした。

ちなみにMLMはその後2018年、息子のトラブル示談と自分の怪我休業が重なった時にも1件手掛けています。
このときは最初の仕事と関係あるジャンルのためか成果がそこそこ出ていたのですが、報酬が持ち出しを上回らずやはり挫折。

ただ当時のネットワーク上位者の教えは今でもよく思い出します。
「仕事とは人に価値を与えること。報酬とは仕事の対価=与えた価値の対価である」
これが当時は正直ピンときていませんでしたが、今になってよく解ります。

また「本業のような”信用”が無いから副業で本業より稼げないのは当たり前」など、甘言蜜語でダウンを繋ぎとめようとしないところがまたよかった (笑)

個人で起業するのにMLMは比較的少ない手持ち金で始められるため、私のように「ピンチ」で始める人も多いようです。また扱う商材によって参入する性別に偏りはありますが、成功者を見ていると一概にどれが女性向けなどとは言えず、男女関係ないといえそうです。

個人的にはMLMのシステムそのものはアリと考えていますが、SNSで数人の友達から「知らない人から友達リクエストが来た」と不安を与えてしまったことは事実。アカウントは変えた方がよかったかもしれません、反省。

…なんだかMLMだけ長くなってしまいました。私の「黒歴史」シリーズの続きということで赦してください(笑)

インテリア系物流業

介護職を退職して11か月後の2022年5月から、週3日ペースのシフト制で物流業に従事しています。後述のようにWebライターとの兼業のため、フルタイム勤務より都合がいいのです。

多様性が社風の会社でもあり、短時間勤務でも正社員扱いなど働き方も選べる点がこの会社の魅力。じつは入社面接で「価値観」を問われたため「Webライターをライフワークにしたいと考えています」と言い切ったにもかかわらず、採用されました(笑)

入社してからも兼業であることをオープンにしていますが、今のところ批判や揶揄はありません。性別・年齢・国籍その他の属性に囚われず、フラットな環境で気負いなく仕事ができています。

差別を感じたり身構えたりしないで仕事に専念できるって最高。とくに50代でダイバーシティ・インクルーシブな職場で働けるなんて夢にも思いませんでした。

もう他の会社は考えられないです。


Webライター

昨年介護の仕事を辞め、失業してから「仕事」と「働く」についての考え方をオールリセット。
簡単に言うと、決まった給料に対して働くことが仕事のデフォルトではないと認識。ここにきて初めて、MLMで聞いた「仕事は価値提供・報酬は与えた価値の対価」という教えが腑に落ちたということです。

ゼロからのスタートで就活しながら同時に苦手なパソコンを教室で習い、Webライターの勉強を始めました。
文章を書くことが好きだと気が付いたこと、人を誘わずに始められることからライターになろうと決めたのです。

そして物流業就業の1か月前にライターデビュー。
本当はもっと早く始めて就業前にライターとして軌道に乗っておきたかったのですが、失業給付との兼ね合いからスタート時期を迷ってしまいました。
結果ふたつの仕事どちらも新人というテンション高めの状態になりましたが、これもまたいい刺激です。

ライター業は100%フリーランスではなく物流週3ペースとの兼業、身体を動かすことも好きだから両方の仕事でバランスが保てていると感じます。

そしてクリエイティブ系みなそうですが、ライター業も性別まったく関係のない仕事です。物流業とともに片意地張らず自然体で働けているのはとっても贅沢なことではないでしょうか。

こんなことは25年、30年前では予想もできませんでした。なによりIT・Web発達の恩恵が大きいのでしょう。
そして自分でもパソコンの苦手を克服したことで弾みが付き、自信にもなったと断言できます。

じつは私、失業した当初は目も当てられないほどのIT音痴だったのです。

自宅 PCが「WindowsかMacかわからない」「ファイル・フォルダって何?」という状態から8か月でWebライターとしてスタートを切ることができました。

この1年、ちょっとだけ前に踏み出せばいろんな可能性が見えてくると体感してきた私からひとこと。
私にできたんだから、大丈夫。皆できます!

と、論理が破綻したところで


長々と書きましたが、要は「男だ女だ気にしなくて済むいい時代になった」と言いたかっただけ(笑)
ついでに年齢も気にしなくていい働き方がこれからはできそうです。

属性に囚われずに自分の持てる物を最大限に活かすことが、そのまま社会の全体最適になる。そう思えてなりません。



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