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一つの歴史の幕おり[松山市]BAR露口。 「最後の初代サントリーバー」

■サントリーバー露口さんの記事の第3回目(最終回)です。

惜しまれつつ伝説の名店が閉店 [松山市]サントリーバー露口 〜伝説の角ハイボールとは〜|チャーリー / ウイスキー日記|note

惜しまれつつ閉店、[松山市]サントリーバー露口。 お客さんみんなが『BAR露口・応援団』|チャーリー / ウイスキー日記|note

◇閉店ニュース(愛知県より感謝状)

愛媛:バー「露口」へ 知事感謝状:地域ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

◇露口さんの素晴らしいところ

角ハイボールの味わい

露口さんご夫妻(露口貴雄マスター・朝子さん)の人柄

サントリーバーとしての歴史

それらがあいまった上での伝説的な雰囲気

今回は最終回で「サントリーバーとしての歴史」「それらがあいまった上での伝説的な雰囲気」についてです。


■サントリーバーとは?

サントリーバー露口さんの店名にある「サントリーバー」とは、一体、何のことでしょうか?

一言で言えば、第二次大戦後の高度経済成長期と時を同じくして、全国に一気に広がった「サントリー製品をメインに販売するBAR」のことです。

一日をガムシャラに働いた都会人が、「安価」に、かといって赤提灯とは異なる「ジャズが流れるムーディーな店内」で、ウイスキーの1杯を楽しめる「トリスバー」「サントリーバー」が、1955年頃から、東京・大阪を中心に急増しました。

当時は、戦後10年、神武景気と呼ばれる好景気がはじまる、まさに「三丁目の夕日」的な時代でした。

特に、無駄な装飾を省いたスタンドバーでは、「ウイスキーのストレート40円」「ハイボール50円」「ジンフィズ100円」と安価で提供され、サラリーマンの憩いの場となっていたのです。
一方で、ビール・日本酒・焼酎の大衆居酒屋とは異なり、ムーディーな店内では、洋酒を嗜みながら、ちょっとしたインテリを気取って会話を楽しんだそうです!


■サントリーバーの歴史

こういった「大衆バー」は、1950年、東京池袋で開店した「トリスバー」がはじまりです。
このトリスバーは、経営者:久間瀬巳之助が、サントリー2代目社長:佐治敬三に「低価格で気軽に行けるトリスがメインのスタンドバー」というコンセプトをプレゼンし、全面的なバックアップを得て開業しました。

これが大当たりし、雨後のタケノコのように「トリス」「サントリー」を冠したスタンドバーが誕生。全国で、3万5千店を超えたと言います。

2022年1月時点で、全国のコンビニの店数が56,919店。
1位のセブンイレブンが21,031店、2位ファミリーマート16,348店、3位ローソン13,812店なので、3万5千軒というと今のセブンイレブンローソンを合わせた店数くらいですね。すごい!
【2022年版】コンビニエンスストアの店舗数ランキング|日本ソフト販売株式会社 (nipponsoft.co.jp)

この大衆バーのブームの中で、「オーシャンバー」「ニッカバー」というお店もできて、昭和のハイボールブームへ突入するのです。

オーシャンとは、現在、キリンホールディングスの傘下にあるメルシャンが、その前身の大黒葡萄酒という会社の時代に発売していたウイスキーです。
今もキリンが発売する低価格帯のウイスキー「オーシャン・ラッキー・ゴールド」に、その名前を残しています。
大黒葡萄酒は、戦後、大手ウイスキーメーカーの一角を占めていました。この会社は、今は閉鎖され伝説的となっている軽井沢蒸留所を、1955年に開設しています。

ちなみに、この昭和の「大衆バー」として、まだ現役なお店で、岐阜県高山市に「舶来居酒屋トニオTONIO」さんがあります。

こちらのお店、現在の二代目マスターに店名の由来をお聞きしたところ「トリス」「ニッカ」「オーシャン」の頭文字をガッチャンコしたものなのだそうです。なんか恰好良いですね!

舶来居酒屋トニオ (ハクライイザカヤトニオ) - 高山/バー | 食べログ (tabelog.com)


■サントリーチェーンバー

「トリスバー」「サントリーバー」と似たような名前で「サントリーチェーンバー」というものもありました。

◇チェーンバー組織
昭和30年(1955年)代前半、東京、大阪を中心にサントリーバー、トリスバーが次々と誕生、トリスバーブームの現象を呈していた。
寿屋(現サントリー)では、これら寿屋製品専売のバーにおいて、「酒とツマミの値段を統一」「客席には女性をはべらせないこと」の二つを基本とした『寿屋の洋酒チェーンバー』を組織。
全国で約千五百店を数えた。
《参照》サントリー百年史 P130 サントリー発行
※ 一部、内容が変わらない形で文章を修正

「トリスバー」「サントリーバー」「サントリーパブ」といった店名を掲げているお店のうち、特に安心して利用できるお店を「サントリーチェーンバー」として組織化したという流れです。

サントリー公認の証しとして西暦の刻まれた「サントリーチェーンバー=通称SCB」の壁掛けプレートが、お店に壁に掲げられました。

これは、年次更新になっていたようで、歴史のあるお店に行くと、毎年のプレートが並んで壁に掲げられています。

もうちょっとマニアックの話をすると、ビール事業進出を機に1963年、洋酒の寿屋サントリーへ社名を変更しているため、チェーンバーのプレートは、それ以前は「寿屋チェーンバー=KCB」、それ以降は「サントリーチェーンバー=SCB」になっています。


■「初代サントリーバー」の日本最後のお店

前置きが超長くなりましたが、本題です。

前回、サントリーバー露口さんは、1958年8月15日に開店し、2022年9月末に閉店するまで、64年もの歴史を刻んだと書きました。

(ちなみに、またまた話が逸れますが、開店日=8月15日には露口さんから、お客様へシャンパンが振舞われるのが、近年の通例となっていました。)

この「64年」というお店の歴史もすごいのですが、より一層すごいのがこれです。

代替わりせずに、創業者が現場に立っている日本最後のサントリーバー。

今も、「サントリーバー」として、古き良き雰囲気を残しているお店が、「昭和からの名店」として全国各地に残っています。

ただ、そういったお店はどこも、息子さんや、店長などに現場の運営が移っています。(=代替わりしています。)

一方で、サントリーバー露口さんは、全国で唯一残る、創業者が今も現役で角ハイボールをつくっている「サントリーバー」だったのです。

※私の調査不足で、もし他にもあったらスミマセン。その場合は教えて頂けると幸いです。

まさに「生ける昭和の洋酒博物館」そのものでした。

そして、BAR露口さんの開業は1958年です。
前述しましたが、サントリーのビール事業参入は1963年なので、その前ということになります。

BAR露口さんにはビールが置いてありません。

それについて、貴雄マスターからこのようにお聞きしました。

今は、ビールを置いてあるサントリーバーもあるかも知れないけど、このお店を開店した時には「サントリーバー」には、「ビールを置かない」という約束があった。
開店の時に、そのように約束をしたので、今もビールは置いていない。

この実直さ、誠実さ。頭が下がります。

こういう背景があり、私は友人知人に「もし松山に行くことがあれば、必ず行った方が良いお店」と、強くオススメしていました。


■最高で上質なBAR空間

蔦が絡まり、露口という外壁のロゴが落っこっちゃっている入口。

入口の扉を開けると、
貴雄さんが「いらっしゃい」
朝子さんが「あら、どしたんー?」
と迎え入れてくれる。

いつもの「昭和のジャズ」が流れている。
昭和レトロな四角い椅子。
絶妙な座り心地と、その布カバーの質感。

1人で飲んでいる人もいれば、2~3人で盛り上がっているグループもいる。

角ハイボールをオーダーする。
孝雄さんが、年季ですり減ったカウンターの上で、よどみない手つきでメイキング。

ポップコーン、イラスト入り専用コースターとともに角ハイが提供される。

濃いめの角ハイが、滑らかに喉を通る。

誰かがマンハッタンをオーダーする。
朝子さんが「マンハッタン、待ってはったん?」とテッパンネタを被せる。

孝雄マスターが「やめなさい」と嗜める。
朝子さんが「怒られちゃった」と笑う。
それを見て、お客さん全員が笑顔になる。

予約の電話が鳴って、昭和のダイヤル式黒電話に朝子さんが出る。
店内は満席なのに、次から次へと入口の扉が開く。

「私たちもう出ますから」とお客様同士が、自然体で席を譲り合う「大人の嗜み」。

すべてがあいまった上での上質な空間。

閉店を経て、あの空間はもう本当に伝説となってしまました。
もう行けないと思うと、寂しさがこみ上げて来ました・・・

孝雄マスター、朝子さん、ありがとうございました!

今夜は、角ハイボールを飲みながら、在りし日の「サントリーバー露口」を想いながら、乾杯したいと思います。

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