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#011 ~音楽を始めたきっかけ コンテスト・1984年~

GoodManは快進撃だった。

我々の理想としている音楽を共感してくれるお客さんで溢れるようになってきた。
ブルースブラザーズはレイバンのウェイファラーというサングラスをしていたので、メンバーもそうだが

お客さんの殆どがサングラスで来る


というマニアな集いにもなっていた。

そして、高校3年生になった。

またゲタ子が面白い企画を持ってきた。

Hot Wave Festivalって知ってる?!

本当にこの頃は音楽のイベントやコンテストが多かった時期だった。

イカ天よりも全然前の話だが。

Hot Wave Festivalってのは、とある企画会社が

高校生による高校生で作る音楽コンテスト

企画・制作・運営・演出、などを全て高校生で行い、テープ審査の後に
横浜市教育会館で予選があり、決勝は神奈川県民ホールで行うという一大イベントだった。

私の時はVol,5だった。もう5年もやっているんだ。

しかし、Vol.3の優勝者は BURN

そう!杉原先輩のバンドだった。

みんなで出よう!って事になったのは良いけれど、デモテープ審査用の録音をしなくてはならない。

すると、またゲタ子が

EastWestっていうヤマハのコンテストもあって、こちらもテープ審査からなんだけど、コンテストに応募すると、テープ審査用の録音をしてくれるんだって!

録音!!! あれから3年。トロピカルフィッシェリーズの再来だ!

じゃあ、EastWestにも応募して、そこで録音した音をHotWaveに送ろう!

EastWestは、サザンオールスターズ・シャネルズ・爆風スランプ・カシオペアなど、その後大ブレイクをしたアーティストやバンドのきっかけになる一大コンテストだった。

我々がこのコンテストに出場して勝てる気持ちは1ミリもなかったけど、7人バンドなので割り勘で数百円で参加出来て、また録音したテープがもらえるなら!という気持ちで応募した。


当時、ヤマハのスタジオで働いていた水谷さんや太郎さん、その後水谷さんは東芝EMIの吉川晃司のディレクターになり、太郎さんはオーガスタ(プロダクション)の重鎮になるなんて思ってもいなかった。

録音当日、2曲を練習しまくっていた、Love You Tonight と Gals Go By を一生懸命演奏した。

もう音は残ってはいないけれど、良い感じに仕上がった。

この音をHotWaveの事務局に送った。

まさか、EastWestの予選に通るとは思ってもいなかったのに。

A-JARI デビューまで、あと2年 この夏私はA-JARIと出会う。

つづく〜

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