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#041 ~音楽を始めたきっかけ LesViewとの出会い ~

前回の続き〜

そして毎日Macintoshとの にらめっこが続き、画面がブラウン管だったこともあり、見過ぎると目が辛くなることを初めて体験した。

しかし、画面を見ない限り打ち込みが出来ないので、頭を45度位右にして薄目で斜に構えて画面を見たりとか、今考えれば凄い努力していたわ〜♫

VPの仕事や楽曲のプレゼンなど、とにかく楽曲制作をしていた記憶があります。同時に、

〜アレンジの勉強も かなりやった〜


元々バンド上がり、しかもGoodManはホーンセクションのいるバンドだったので、金管アレンジにはアドバンスがあったり、A-JARIのバンド活動もかなりアレンジに役に立ちました。

しかし、色んな楽曲をアレンジしても、ドラムはA-JARIのケン坊との時間が長かったので、彼ならどうやって演奏するだろう?!と、妄想しながら打ち込んだりもしていました。

あまり、他の人とのセッションライブってのをやっていなかったので、私のアレンジの引き出しがまだ少なかった頃です。
 大好きな楽曲を聞きながら、どんな楽器が使われているか?!箇条書きに書いたり、どんなアプローチで使われているのか?!などもメモなどしていた。これはとても良い勉強方法だと思うのでオススメします。

その頃、白ちゃんの繋がりで紹介していただいた、浦田健志君がボーカリストとしてデビューする事が決まり、ライブで私を誘ってもらえました。

このバンドメンバーは超強力で、バンマスはドラマーで杏里さんのバンマスでもあった。ベーシストは上田正樹バンド、ギタリストは角松敏生バンド、、、そしてペーペーな私であった。
みなさん、私の10歳ほど年上の方で、とにかくグルーヴが半端ない!

キーボディストとしての成長のはここにあったと言っても過言ではない。
リハをやって、自宅に帰って録音してきたリハの音を聞きながら、復習をした。
そんなに復習をした私は、後にも先にも浦田君バンドだけだっただろう。

そんな中、インペグ屋さんから次の仕事が

Les Viewというバンドでサポートのキーボードを探しているんだけど、

チャーリーやってみる?!

と。

そう、この頃はあのテレビ番組、” いかすバンド天国 ” の、空前のバンドブームだったのだ!
沢山のバンドが原宿のホコ天とかでもライブやってた、とんでもない時代だwww
A-JARIがあと3年位まだ活動していたらこの時期にぶつかると思うのだが、
もし、続けていたらどうなったのか?!と考えると、これまたオカルトだ!!

そのバンドブームの渦中にいた、Les Viewというバンドに興味を持ち、

是非!参加させて下さい〜♫

と、インペグ屋さんはLesViewの事務所に私のプロフィールを(多分)送ったのだろう。

結果是非参加して下さい〜!


との事で、LesViewのサポートキーボーディストになることが出来たのである。

LesViewのボーカリスト:糸賀徹君がwikipediaに掲載されていたので、リンクを張っておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E8%B3%80%E5%BE%B9#Les_VIEW


キーボーディスト人生が熟してきた〜

つづく〜

P,S LesViewのベーシスト、徳ちゃんとは今はゴルフ仲間です(^o^)/

よろしければサポートをお願い致します〜♫ サポート?!サポート(^o^)/