翻訳:新カント主義と科学的実在論と現代物理学(ほぼ完了)

文献

Michael Friedman, "Neo-Kantianism, Scientific Realism, and Modern Physics"

本文

 カントの人間の認識能力における合理性と客観性の概念は、私が理解する限り、(その他の中でも)ニュートンのプリンキピアの成功に対する反応である。とりわけ、カントの概念化した我々の感性的直観の2つの形式(空間と時間)と我々の実体性・因果性・相互性(共通性)の純粋悟性概念は、ニュートンの絶対空間・絶対時間の概念の上でモデル化されたものである一面、ニュートンの質量・力・相互作用の上でモデル化されたものでもある。ニュートンの万有引力の理論(太陽系における観察可能な物体の相対運動に適用される)は、カントに、彼自身の構想である(カテゴリーに従って相互作用している)空間と時間の中の(現象的)実体の系のためのモデルを提供する。空間・時間・純粋悟性概念は、普遍的なア・プリオリな人間の心の構造として、それゆえに我々の自然の認識についての(すべての時間・全ての空間に妥当する)普遍的なア・プリオリな枠組みを与え、そのようにして、超歴史的な全ての可能な科学への合理性と客観性を保証する。
 なぜカントがユークリッド幾何学を(知識を構成する)「超越論的」地位に置いたのかはおそらく明確で理解可能である。しかし、なぜ彼が本質的に同一の地位をニュートンの質量・力・相互作用(カントの見解からすれば基礎的なア・プリオリな概念である実体性・因果性・相互性(共通性)を例示化したものとして)に与えたのだろうか?ここでは、私の見解として、「カントはニュートンの理論の文脈で立ち上がる絶対空間・絶対時間・運動の問題への応答としている」としよう。絶対空間・絶対時間・運動がすでに質量・力・相互作用を統合しているニュートン運動法則に先立ってよく定義されている(ニュートンの有名な注釈による説明によって)とするよりも、むしろカントはこれらの法則が、その中によって運動自身が初めて定義づけらられる特権的な参照枠組み(太陽系の重心に基礎をおく)と見ている。カントは従ってニュートンの運動法則を、ニュートンの理論が相対的に真となる「特権的空間」と「特権的時間」と、「特権的な運動の状態(力が働いていない)」という我々が現在呼ぶところの「暗黙的定義」としてカントは見ているのである(1)。実際、ニュートンの絶対時間・絶対空間・運動の問題への解決策として19世紀後半に確立された現代的な慣性系の概念は次の暗黙的定義によって進展している:慣性系の中では、直線上の一定の速度で力の働かない物体があり、すべての(真の)運動量の変化は、この状態の揺れは、正確に等しく反対の運動量変化によってバランスが取られている。エルンスト・マッハは、カントの方法による公式化を19世紀後半に採用し、従ってカントの解決法を現代の慣性系の概念と繋げたものとして、私は信じている(2)。
 しかし、19世紀後半には、この古典的な慣性系のコンセプトは、古典的なニュートン力学外部からの圧力にされされていた(マクスウェルの電磁気学の発展)。古典的なガリレイの相対性原理はもはや正しく無いかもしれなかったのである。ニュートン流の慣性系の定義では全ての座標系は全く等価ではないと思われたのであり、光の速度(や電磁気的相互作用)が正確にc であるような特権的な相対的静止座標が存在すべきであった。もちろん、このような原理に基づいて異なる慣性系を区別するような試みは全て失敗に終わったのであり、現代的な観点からは、この解決は1905年のアインシュタインによる特殊相対性理論よって与えられた。さらにいえば、ヘルマン・ミンコフスキーはその時に、ヒルベルトの公理主義によって幾何学的な表現を特殊相対性理論に与え、そこではアインシュタインの空間・時間・運動の電気動力学的枠組みはニュートンの運動法則によって暗黙的に定義されていた古典的なニュートンの理論の幾何学に対しての(4次元の)幾何学の代替として現れた。(3)
 このアインシュタイン・ミンコフスキーの新たな枠組みにおいては、空間的に異なる事象の絶対的な同時性における基礎的関係は、今では慣性系の選択によって相対化されている(現在では暗黙的にニュートンよりもアインシュタインによって定義されているものとして)。しかし、同様に、この関係性は、重力の相互作用が任意の空間的距離において瞬時に(すなわち、同時に)起こるものだからこそ、ニュートンの重力理論において基礎となっている。アインシュタインはそれゆえに重力理論も根源的に改訂する必要があったのである。そして彼は、1907-1915年の間に、空間-時間がフラットではなく曲がった(4次元)ミンコフスキー空間のバージョンの真に革新的な重力相互作用の理論を開拓した。
(曲率が質量・エネルギーの分布に依存する可変的な非ユークリッド4次元幾何学であり、自由落下する物体はこの4次元測地線に沿う)。自由落下の軌跡は、アインシュタインが読んだ「等価性原理」によれば、ニュートンの理論による慣性の軌跡にとって変わるものであり、慣性それ自体は、力学のものではなく幾何学的な現象となった。
 これらの特殊・一般相対性理論は、カントの科学的客観性の概念に対して重要な挑戦となった。そして、それらの挑戦は、明確に新カント派と論理的経験主義の哲学者たちの仕事の中にあると考えられる(モリッツ・シュリック、ハンス・ライヘンバッハ、ルドルフ・カルナップ、エルンスト・カッシーラー)。問題は、オリジナルのカントの考えは単純に捨て去られるべき(シュリック)ものなのか、または一般化し改訂されるべきものなのか(その他の哲学者)という点にある。一つの代替案は、カッシーラーによって示され、明確にライヘンバッハによって発展させられた。それはカントのア・プリオリな「構成」とア・プリオリな構成の原理を相対化することであり、科学の変化・発展に対しても理論から理論へと対応できるようにしつつも、カントの経験的法則が定式化できる現実的(数学的・物理的)な可能性の空間を定義づける特徴的な役割を演ずることができるようにすることであった(4)。私の著書"Dynamics of Reason(2001)"はこの代替案を取り上げ、発展させたものである。アイデアは以下である。ちょうどニュートンの3つの運動法則が万有引力の理論(そして万有引力の法則)を適切な経験的法則の言明として可能にした(暗黙的に時空の構造に関連して、運動量の重力変化がまず初めにwell-definedであること)ように、相対性理論にもなにか同様のことが起こっているということである。アインシュタインの同時性の運動学的定義(光速度の不変に訴えて)は、暗黙的に、マクスウェル方程式が正しい相対的(ローレンツ)慣性系を特徴づけている。そして、アインシュタインの等価性原理は、特権的な自由落下運動の状態に関して、一般相対性理論の、可変的に曲がった時空の幾何学の数学的測地線がまず初めに経験的または物理的重要性を獲得するのを特徴づけている。
 この結論は、経験科学の進展とともに変化・発展する、相対化されたカントスタイルの科学的合理性・客観性である。しかし、これは私がすでに議論したように、クーンの科学革命における「パラダイム」的な客観性の相対化ととても類似している。ニュートンからアインシュタインへの移行は、クーンの科学革命における、概念の通約不可能性の特徴についての主要な例となる。そしてクーンの歴史学的なアプローチは明確なルーツを新カント主義者の伝統にもっている(エミール・マイヤーソン、アレクサンダー・コイル、エルンスト・カッシーラー)(6)。それゆえ、クーンが彼の概念を「動的なカテゴリーを伴ったカント主義」として特徴づけたのも、彼の最晩年に、初期の論理的経験主義に相対化されたア・プリオリに類似するものを発見したのも、驚くべきことではない(7)。この基盤にたって、私はクーンの通約不可能性についての問題について、カント的用語で再解釈を行った。問題は、アインシュタインの相対性理論の発見は、単純にニュートンの理論では不可能な、根源的に異なった概念的可能性(数学的にも物理学的にも)を明瞭にしたことである。とりわけ、そこでは、実際にニュートンの重力理論の構造をアインシュタインの理論の特異なケースとして表すことができるのに対して(例えば、光速度を無限にし、太陽系を孤立系として扱うなど)、ニュートンの理論(運動法則)の可能性定義をする構成的原理が、視野の狭い近似の限界をもつ単なる経験的条件として現れる(我々はそれによってニュートンの慣性系や重力ポテンシャルを一意的に定義づけることができるが、今の完全に偶発的な物質の分布によるものである)。
 問題は次に、新しい概念的可能性として空間はどのように古い概念から合理的に進化しているのかを説明するということになる。そして私はこの問題について、そこではニュートンからアインシュタインへと導いている数学的・物理学的な発展は、主にエルンスト・マッハ、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ、そしてアンリ・ポアンカレ(この全ての人物が、カントの遺産を改訂した形式で継続している)を含む科学的哲学と並行した込み入った関係として、多様で複雑な方法で描写した歴史的な物語によってすでに述べた。この物語の結末は、最前線の、世紀末前後の古典的な物理学者(アンリ・ポアンカレのような)は彼の独自の用語で、アインシュタインの拡張した古典的な概念の可能性の空間を真剣に受け止めるとても良い理由を持っていた(すなわち、それを受け入れることは本当に可能だった)(8)。これこそ、カントと彼のニュートンとの関係に始まり、私が初めて基礎的な数学的空間・時間・運動の概念がどのように経験的意味を獲得するかについて、ヒルベルト流の暗黙的定義の重要性へと導かれた経緯であり、その次に相対化されたア・プリオリとクーンの科学革命の繋がりへ、そして最後に、科学的哲学の仲介的役割を強調する、概念の通約不可能性の問題の解決へと導かれた経緯である。
 Mark Wilsonの”Wandering Significance(2006)"は私の”Dynamics of Reason(2001)"と共通点を多くもつ。我々は、特定の数理科学の歴史からのエピソードへの詳細な説明を提示することで、現代の科学哲学(より一般的には現代の哲学)への興味のある問題を述べている。さらには、我々は、19世紀終わりと20世紀の始まりにおける出来事(そこでは、現代の数理物理学における鍵となる発展が、19世紀後期の「科学的哲学」と親密に絡み合った)に意識を傾けている(以下の人物らを含む。ヘルムホルツ、エルンスト・マッハ、マクスウェル、アンリ・ポアンカレ、ハインリッヒ・ヘルツ、ピエール・デュエム)。これらの発展は、バートランド・ラッセル、モーリッツ・シュリック、ルドルフ・カルナップなどの20世紀初期の科学的哲学の発展に決定的なインパクトを与えている。Wilsonと私は、現代の科学哲学と現代の哲学はこれらの初期の発展に再訪することで多く学ぶことがあると、力強く同意している。
 しかし我々の2つのプロジェクトには、科学的発展の形而上学的・認識論的重要性の評価についてとなると、重要な違いも存在する。説明したように、私は、明示的にカント哲学的伝統を歴史的な物語に配置している。そうする中で、科学的な表象と心的に独立した外部世界との対応よりむしろ、理性的な人間知性の間主観的な合意を強調している科学的客観性・合理性の概念とともに考えている。

私にとって、カント以降の科学的発展に課されている主な問題は、現代の数理科学がパラダイムとして表明している、全ての人間の間の理性的な議論とコミュニケーションの基盤を提供できるという、(カントの)普遍的(超−歴史的)理性というアイデアへの挑戦であり….ちょうどカントのオリジナルの科学的合理性の弁護が、彼が「超越論的実在論」(我々の表象の人間システムが、どうにかして他の完全に独立した実在である「物自体」へ対応づけるというアイデア)と呼ぶものへの基礎づけへと進まなかったように、現在の科学的合理性への弁護は「科学的実在論」への基礎づけには進まないのである。

Friedman(2001):117-118

Wilsonは、これとは対照的に、カント派(または新カント派)の科学的実在論を支持する見知には、明確に彼自身の距離を置いている。


この本を通じて、私は数学の事実を承認されたものとして受け止める。しかしながら、この主題が、物理的術語による世界についてのどんな記述にも、「規律原則」の役割を仮定しなければならないという意見は、私の友人のMichael Friedmanによって適切に強調されているように、新カント派の流儀に必須な側面を表している。この本の中では、私はこのトピックには手を出すことはしなかった。私は代わりに、科学的実在論者の見方から考えることを行った。私は実に、少なくとも歴史的には、新カント主義にとって道は舗装されていると信じている(by strong reliance on veil of predication related claims)。

Wilson, 2006: 84

同じ調子で、Wilsonは、現代的な試みが、カントに由来する「客観性」という用語の代用品を我々に提供すると考えている(そして拒否している):

これらの代理の提案は、擁護可能な客観性の概念は、我々の仲間との分類的または真理的な合意に達する能力に依存すべきであると主張する点で、カントに続くものである。(分類における適切な「客観性」は、汚されていないデータに対応するものよりむしろ、人間間の合意の問題を表す)(9)

Wilson 2006: 80

Wilsonが正しく強調するように、この間主観性に変わった対応の拒否は、20世紀初期のカッシーラーにより進展した新カント派の科学的哲学の特徴である。

カッシーラーのアプローチは、物理世界と数学のどちらに関しても、ストレートな実在論を否定することを前提にして、科学的客観性を経験的現実との直接的対応ではなく、異なる公的当事者間の調査基準の共有として扱おうとする、通常の新カント派的傾向に従うものである。昨今の哲学的サークルでは、協調した主題が人気でありつづけるが、私は彼らと協調するつもりはない。

Wilson, 2006:153

 Wilsonの私の”Dynamics of Reason" への友好的な距離の取り方はそれゆえ、カッシーラーの新カント派的アプローチへの敬意を含むが固い拒絶とともに進む。
 関連した我々のプロジェクトの間の重要な違いは、私がクーンの科学革命の理論に与える中心的な立ち位置に関するものであるー私は、私が打ち勝ちたいと願う科学的合理性と客観性への主要な脅威を構成するものとして本当に深刻に受け止めている。特に、クーンの「概念の通約不可能性」という考えの重要性を承認したいのに対して、この考えは、Wilsonによる、全体的公理的科学理論の中にある「暗黙的定義」というヒルベルトの概念によって表現された科学的概念の最後の退歩を意味する。この概念は、彼の評価では、究極的にクワインの「漠然とした全体論」へと繋がり、そして、クーンの通約不可能な科学的パラダイム間の解くことのできない衝突の構図は、論理的に不可避な帰結であるとする。

私の議論は、古典的なやり方に典型的である個々の語の意味への注力と、クワインとその仲間によって好まれる不規則に広がる信念の網目、その中間に属するメゾスコピックな重点に表われている。私の診断では、それは中間領域で立ち現れる志向性の暗示である。

(わからん部分あり)

Wilson, 2006:306

Wilsonは、世紀の変わり目の、巨視的な物体の観察された振る舞いを説明する古典力学的な分子論と関連する、ピエール・デュエムとケルビン卿との衝突を考えることで、具体的にこの見方を描いてみせる。


現代の哲学者と歴史家として、我々は、パラダイムと信念の網目の戦いとしてそのような論争を見続けることによって、古典的な物理学の労苦からよく利益を得られないという自分自身の粗を適切に探すことができる。
 むしろ怪しまない実務家が直面して些細な透かし細工をほどこしたつぎはぎの修正の混乱した反応
(訳しずらいので飛ばす)

Wilson, 2006:368

 私は以下にて、Wilsonが「些細な透かし細工をほどこしたつぎはぎの修正」で何を正確に意味しようとしたのか、そしてなぜ彼がこのアイデアを科学的実在論の支持とヒルベルト流の暗黙的定義の強調に対してとったのかを振り返りたいと思う。しかし私は最初に、私のプロジェクトとの比較を用意にするために、WIlsonのプロジェクトの起源と動機について何かを言いたい。私は、新カント主義・科学的実在論・暗黙的定義に関する我々の差異を示すことを望み、クーン流のパラダイムは最初に思われたように両立しないことを示したい。私は、最後に、我々の2つのプロジェクトは相容れないというより相互補完的であると信じるーニュートンから20世紀初頭での現代物理学の歴史的発展に、異なりつつもしかし等しく重要な側面をフォーカスしている。
 Wilsonの哲学的な旅路は彼がハーバード大学で1960年後期から1970年初期にHirary Putnamの学生であった頃から始まる。彼はパトナムとクリプキによる「新しい指示の理論」や、パトナムのうちに(その当時)あった強固な科学的実在論に魅了されたのだ。しかしながら、Wilsonは、この新しい指示の理論は「水」がH2Oを参照するように単純過ぎたと早期に確信させられた。
より一般化すると、我々の通常の巨視的な概念的分類の用語は物理的な世界に複雑な流儀で関連すると確信した。Wilsonの貪欲な、物理・数学・工学の歴史や微分方程式の理論の読み込みは、実質的にどのように物理世界とその言語的表象がお互いに相互作用するかについてに関連するほぼ全てに関するものとなっており、次に彼を信じられないほど詳細で息を飲ませるほど独創的な調査へと推進させた。最初の果実は偉大な本である"Predicate Meets Property"として1982年に現れる。最新のは"Wandering Significance"である。
 後者の本において、WilsonはPutnamとの関係について次のようにまとめている。:

上記の点に関して、私の、述語の内包的特性を紐解く疑似生物力学のレシピは、明白に「外在主義者」または「自然主義者」である(これらの通俗的な言葉遣いのどちらもそんなに気にしないのだけど)。同盟した外在主義者の志向は、1974年のPutnamのエッセイ"The Meaning of 'Meaning'"に明確に思われる… 実際、私は関連ある期間においてPutnamの学生だったし、私の黙想の多くは、彼の教えに由来する反古典主義の生命力の溢れるきらめきに公平に帰される(または、負わせる)ことができ、と共に、彼の当時のエッセイが包含すると思われるストレートな科学的実在論(彼はのちにこの実在論者のスタンスを否定した。)に帰される。しかしながら、1974年のPutnamとは異なり、私は、Putnamが「is water」のような述語が、不変の外延を保ち続ける保険をかけるために含めた最初の意図にあった追加のメカニズム取り入れることはしなかった(例、「私はこの液体を、それがなんであれ、”水”と命名する」)。… 私はこれらの教説を拒絶する、なぜならそれらは記述的に不正確かつ道理をわきまえた反古典主義の教義と不整合と思われるからである(結局、「液体」は「水」よりもその述語的な不変性においてさらにいっそう不規則に振る舞う)。どのような場合においても、私が弁護する協力的な見かけの構造は、Putnamが考えていたよりもかなり異なった特質をみせる。(13)

Wilson, 2006:136

端的に言えば、WilsonはPutnamの初期の科学的実在論と、我々の言語的振る舞いにおいて示される現実のworld-world関係を描写するという、関連したプロジェクト(とりわけ、我々の科学的な言語の振る舞いについて)を受け入れている。しかし、彼はKripkeとPutnamによって描かれた純真な相関的なメカニズムを彼の呼ぶ"the supportive fabric of facade"によって置き換える。
 Wilsonは巨視的な物理的分類の述語に焦点を当てる(力、硬さ、硬直性、赤さなどの概念)、それらは17世紀における古典物理学の誕生の時から様々な点で問題のある概念として受け取られてきた。連続的な巨視的な物体(伝統的なニュートン力学の点-粒子あるいは質点と対照的に)は、18世紀と19世紀の間に、主に偏微分方程式の数学的理論を通して、数学-物理学的扱いの主題となった。この理論は、続いて、最も美しく重要な19世紀の数学の発展(フーリエ級数、複素解析、リーマン面、Strom-Liouville existence、uniqueness theory)へと導かれた。そして、ついには、そのような方程式の解法が厳密に確立され調査されるような、アーチをかける枠組みとしての現代の集合論へと導いた。そして、同時に、偏微分方程式の数理的理論の進化は、古典的な連続体力学における巨視的な物体の描写において本質的な役割を果たした。そこでは、ニュートンの概念的道具はこれらの新しい領域に拡張された。ニュートンの概念的道具(とりわけ「力」の概念)もまた、異なりつつも関連した方法群で、Heinrich Heltzによる「剛性」のような「制約」の研究において本質的に拡張された。
 深淵な概念的問題がこれらの拡張に伴い発生し、とりわけ巨視的物体に適用されるときに、関連する古典的概念の性質に、困惑するシフトとアノマリーを引き起こした。(Wilsonにとっての)結末は、古典的ニュートン力学の概念はこの領域に適用された時、自己充足的な系を形成しないことだった。:伝統的力学の概念(力、質量など)から離れて、力学のプロパー外部(化学と熱力学など)からの思いも寄らない概念が、絶対的に必要不可欠であることを証明した。巨視的物体の古典的な描像は、ここにおいて、まったく自己充足的でも無矛盾な理論でもなく、しかしWilsonが呼ぶところの”facade"理論だということを示された。:


量子力学によって描写された(我々が現在知る限りの)真の微視的実在の頂点に座している数学的説明装置の当座しのぎのパッチワークは、同じように地球の球体像が平面の二次元地図像というパッチワークによって描写できる



そして、前述されたWilsonの反クーン主義的(そしてプロの科学的実在論者的)なDuhemとKelvinの間の論争への診断は、的確にこの状況である。(14)
 我々はいまなぜWilsonがヒルベルト主義の暗黙的定義の考えに困難を感じていたかがより正確にわかる位置におり、とりわけ、数理物理学の基礎的な概念の完全な説明の意味として受け取った時にそうである。実際、Wilsonが指摘するように、ヒルベルトは、古典力学の成功した公理化を、世紀の変わり目の数学的問題群の有名なリストにおいて含めたのだし、Wilsonによれば、我々が今見ているのは、自己充足した公理化は可能でない。古典力学はシンプルに地図帳的理論facadeの数学的表現の局所的なパッチの寄せ集めである。:古典力学はうまく組織化された包括的な公理的理論としてのものではない(15)。この場合、クーンのパラダイムまたは概念枠組みを描写している、暗黙的定義の完全な系というアイデア全体は、理に適わない。とりわけ、古典力学によって許された可能性の全空間(古典力学的に可能な世界の集合)と呼びたくなるかもしれないものを特徴づけるもの何もない。それゆえ、もし我々が19世紀の変わり目における古典物理学の瓦解へと導く概念的困難を本当に理解したいのなら、我々は(他のすべての新カント派のプロジェクトとともに)クーンを捨て去るべきであり、Wilsonの詳細かつ緻密に作られたworld-world相関性の記述の強固な科学的実在論に喜んで応じるべきである。
 この最後の示唆に対する私の応答は、Wilsonの記述(古典力学の分子理論と巨視的物体の振る舞いの間における関係性に関与している記述)において強調された概念的困難は、それらだけが世紀の変わり目における古典物理学の瓦解へと導いた要因ではないということである。そして私のプロジェクト、より具体的には、我々の基礎的な空間・時間・運動の力学的概念とそれらが描像する経験的現象(すなわち、なによりもまず、我々が実際に経験する観察可能な純粋な相対運動)に関係して、かなり異なった直交した発展の集合に焦点を当てている。とりわけ、ニュートンの絶対空間・絶対時間・絶対運動の概念によって生じた問題は、巨視的物体とその微視的構成の間の関係に関わらなかった。問題はむしろ、ニュートンがその傍注によって特徴づけていた、絶対空間・時間・運動が経験的・現象的世界にまったく見られないということである:それらは我々の感性になんら因果的関係を持たない。そしたら、どのようにこれらの概念は(特にプリンキピアの3巻において発展させられた万有引力の理論において採用された)実際にそうであるように経験的に成功したものとなるのか?カントの答えは(のちにマッハと19世紀後半の慣性系の概念によって磨きをかけられたように)ニュートンの運動法則は、そのうちにおいて最初によく定義された万有引力によって真または絶対的な運動が描写される暗黙的に特権的な参照系(たとえば、太陽系の中心のように固定されたもの)を特徴づけている。
 この特殊な文脈において、暗黙的定義の考えは概念の明確化において本物の進展へと導かれる。そして、これは単純なヒルベルト流の抽象数学的構造(たとえば、ヒルベルトのユークリッド幾何学の公理化)の暗黙的定義ではないと記しておくことは重要である。むしろ、それ(暗黙的定義?)はどのように抽象的な数学的構造(我々が現在呼ぶところのニュートン時空間の構造)が実際に経験的・現象的世界に対応するのかを示す。それは(ヒルベルトの点・線・平面のような)純粋な数学的概念を問題になっている暗黙的定義に含めるだけでなく、基礎的な力学的な質量、運動量、力などを含めることにによって行われる。3巻における万有引力のためのニュートンの論証はその次にどのようにこれらのquantitiesを関係した運動の中心を実際に決定づけるために経験的に測るかを示す。:たとえば、我々は経験的に太陽系における主要な物体同士の質量の比較をして重心を決定する。この論証は、ニュートンの理論において、ユークリッド幾何学と運動の法則は構成的にアプリオリであること仮定している。
 この種の数学的概念と経験的現象との対応はWilsonのworld-world相関性の地図帳的なfacade構造とはかなり異なっている。それは、theory facadeの異なるつぎはぎ布と微視的な物理的実在との間の局所的相関を確立するという問題ではなく、抽象的な時空間的表象と具体的なライヘンバッハ(そしてその他の人々も)が呼んだcoordinate priciplesを通しての観察可能な現象との間の包括的な協調を暗黙的に特徴づけることの問題である。ニュートンの理論において、我々は運動法則を通じてこれを行う:または特殊相対性理論の場合、または一般相対性理論の場合は、光の伝搬と自由落下する物体を含む公理的特徴づけを通して行う(16)。これらのcoordinating priciplesを通じた時空間の構造の公理的特徴づけによって表明された問題群は、根本的にWilsonの巨視的物理的概念のパッチワーク的振る舞いの地図帳的説明によって表明されたものと異なっている。
 実のところ、19世紀の数学と物理学双方における異常に豊富な介入的発展を通した、古典的なものから20世紀の数理物理学へと導いた偉大なる概念的革命は、次の双方の種類の問題を含んでいた:もっとも一般な物理理論の時空間の形式(一般力学)の問題と、この形式下で相互作用する特殊な種類の物体の問題である。物理学は、classical and post-classicalなもの双方とも、本質的に双方の種類の問題に関連しているし、科学が関係するであろう、いままで歴史と哲学において未発達の領域にこれら2つの問題の間に複雑な相互関連性と関連している。たとえば、太陽系に適用されたニュートンの万有引力理論は広範に独立に物質の理論に詳細に進行することができる。ひとたび我々が太陽の質量を知ると、惑星と衛星と、それらの間に働く重力とともに、本質的に問題は解かれた。そしてこれは、なぜ我々が理想化されたバージョンの、質点の集まりとしての太陽系を描くことができるかの理由である。(しかしながら、地球の形状を扱うに、また潮汐摩擦を研究するには、この理想化はもはや適当でなく、我々は物質の理論と重力以外の力を深刻に捉える必要がある)。Wilsonが説明するように、対照的に、同じニュートンの運動法則を衝突に適用するときには、物体の理論におけるとても困難な問題が不可避となる。ニュートンは、硬い物体と弾性のある物体と柔らかい物体とで定数の弾性率を導入することによってのみ純粋に経験的に決定される、衝突の異なった結果を描く(すべてにおいて運動量の保存は成り立つ)。そしてそのようなケースにおいて何が起こっているかの正真正銘の理論的描像は、Wilsonが説明するように、我々をすぐさま、創造可能な内で最も複雑なfacade構造のうちの一つに陥れる。
 いま、ニュートンからアインシュタインへの革命的移行もまた、重力以外の基礎的な力の最初の理論的記述と同様に、物体の理論を含んでいた。明白に、どのようにMaxwllの理論の中で物質とエーテルが関連するかの問題への答えとして発展したHenrick Lorenzの電子の理論の中で正面に立ち上がった、アインシュタインの「電磁動力学的に運動する物体」によって表明された問題があったからだ。正確にこの文脈で、さらに、我々は、電子は剛体として、弾性体なのか、点なのか、どう考えられるのかについて関わるとても困難な問題に直面した。それにもかかわらず、アインシュンの独自の電気動力学へのアプローチはこれらの問題を物質理論に計画的に一括りにすることを含んでいた。少なくとも一時的には、彼は「constitutive theory」よりも「principle theory」を構築しようとした(微視的物理学に関わることなく新しい時空間構造を描写した)。そのアイデアは、急速に発展していた微視的物理学と独立して、新しい時空間の調和を決定することだった、そして次にこの調和をこの発展に強制させることだった。アインシュタインは一般相対性理論の創造においても同様のアプローチに従った。このケースでは、彼の祝うべき1921年の"Geometry and Experience"論文において彼が説明するように、彼は重力場の幾何学的解釈にたどり着く必要があった。そして彼は、等価性原理を、特殊相対性理論の文脈で一様に回転する枠組み(非慣性系)として、この解釈に成功裡にたどり着いた。彼はそれゆえ、物理空間の幾何学が実際に微視的な構造がどんな理論の場合にも全体的に独立して「実用的な剛体」の振る舞いを直接的に反映するように、(ポアンカレよりも)ヘルムホルツに従うことを必要とした。こうして、もう一度、時空の物理学は、アインシュタインの観点では、微視的な物理学の発展に先立たねばならない。
 その時点で、我々が知るように、アインシュタインは、発展してきていた量子力学に対して唯一代替として受け入れられる、彼自身の試みである統一場理論の構築に夢中になっていた(そしてそれゆえ、唯一受け入れられる終止符として)。20世紀物理学は、我々がまた知るように、すっかり異なる道を歩んだ。しかし、相対性理論と量子論の概念的関連はまだかなり流転のうちにある。そしてこの状況と真剣に取り組む一つの道は、私が示唆するに、時空間物理学と物質の理論の進化する相互関連性を現代を通して注意して研究することである。ここで、私は信じる、十分すぎる余地が、私が強調してきたことと、私の友であるMark Wilsonによる極度に洗練された(初期)Putnam流の科学的実在論という、カント主義者の主題のうちにある。



 



脚注

(1) カントとニュートンの関係の詳細については、Friedman(1992)とFriedman(2004)を参照
(2) 慣性系の現代的なコンセプトの発展についてはDisalle (2006)を、マッハとの関係についてはDisalle(2002)
(3) ミンコフスキーについてはCorry(1997)
(4) Friedman(1999) "Reconsidering Logical Positivism"

(6) Friedman(2003)
(7) Kuhn(1993)
(8) より詳細な物語はFriedman(2010)
(9)WilsonはここでGary EbbsとCrispin Wrightの最近の仕事を考慮している
(10) Wilsonが言及する「同盟した」昨今の哲学の中には、私の仕事も含まれており、上記のEbbsやWrightについても含まれている。
(11) クーンの観点とクワインの「漠然とした全体論」とヒルベルト流の公理主義の繋がりは、pp. 157-77, 296- 86 で現れる。
(12) ヒルベルト主義者の公理主義とその後での退化はクワインとクーンの手の内にある pp. 193-203。これは後述する。
(13) Wilson はPutnamの古い論文'The Meaning of "Meaning"'を参照している
(14)再度n.12を見よ。その重要性は以下ですぐに明瞭になるだろう。 


(15)Wilsonはここでヒルベルトの第6問題について議論している。そのWilsonの"theory facade"の関心との関連と彼のDuhem-Kelvin論争への見方はp.358(2006)において明示的になった。そこでWilsonは「Duhemは


(16) この接続において、Ehlers,Pirani,Scheild(1972)の現代の公理的扱い(ヒルベルトとヘルマン・ワイルの伝統の下で)と比較せよ
(17)Wilson(2006:177-83)を参照せよ
(18)詳細はFriedman(2002)



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