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カントの超越論的感性論とカント以降の物理学

カントと現代物理学の関係

 
カントの理解をしようとした時に一番最初に躓くと思われるのは、「超越論的感性論」です。ここでは、我々の「空間」「時間」を槍玉に挙げ、それらを「感性の形式」「主観の形式」として一気に片付けてしまいます。その違和感を払拭するために以下の文献リストを作っていて、特にカント以降の物理学(ニュートン力学以降)との関係について調べています。

結論的には、以下のパターンが考えられます。

  • カントの認識論は現代物理学を説明できず、間違っている。

  • 現代物理学は、カントの認識論を正とした場合には全くの概念的虚構物である。

  • カントの認識論は現代物理学と整合的であり、なお両者は正しい。

上二つはどれも極端な立場かと思われます。カントを否定するか物理学を否定するかという二項対立自体が間違っているとすれば、3の「整合的である」が穏当な立場のように思われます。

  • 空間も時間も実在(物自体)の側には無い。

とするカントのテーゼは、物理学そのものの依拠している時間変化・空間変化を非実在・主観の側に貶めてしまいます。人間の表象である現象においてのみ実在性を持つということです。

しかし、カントの自体にはニュートン力学しかなく、マクスウェル方程式も相対性理論も量子力学も知られていませんでした。ニュートン力学と整合性があるのかも問題ですが(カントはニュートン力学のア・プリオリな基礎づけを『自然科学の形而上学的原理』において試みている)、そもそもニュートン以降の物理学が明らかにしたこととカントの学説は整合性があるのでしょうか?

電波を例にして考える

 電波というのは直観できない「何か」です。しかしマクスウェル方程式によってその存在は予言され、実際に測定され、電波を使って現代文明は成り立っています。光もそもそも電波です。となると、電波というのは単なる概念的構成物ではなく、我々が実際に操作可能である実在(物自体)の側にあるものと思われてきます。そうした場合、電波を成立させているところの「時間変化」(電場と磁場の相互作用)および「空間変化」(電磁波の伝播、というものの実在性をどのように捉えれば良いのかという疑問が湧き出てきます。空間・時間があくまで主観の一形式(人間存在の規定)であるならば、そもそも電磁波というものの存在についての説明が整合的にできるのかわかりません。

 書いていて色々こんがらがってきたので今日はこのへんでやめておきますが、結局カントの認識枠組みって今でも通用するの?っていう疑問ですね。
通用しないならカント批判をせねばならないですし、のちの哲学によって乗り越えられたものであるならそれを理解していきたいと思っています。

私の無理解・誤解等があるよ、という場合はコメントで指摘いただけると勉強になりありがたいです。


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