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フォルケホイスコーレのファンである。(5)

このところ、オンラインでフォルケホイスコーレに関係する、もっと大雑把に言えばデンマークに関係するミーティングに参加する機会が増えている。
フォルケホイスコーレとは、北欧の教育機関の一つである。17.5歳以上なら誰でも入学できるので、日本人にも人気のある場所である。全寮制で、概ね数ヶ月を1学期として、先生と生活を共にしながら学ぶ学校である。
ここに入学した経験のある日本人またはその話を聞いた日本人がフォルケホイスコーレの必要性を感じ、日本に導入しようと言う動きが広がっているようだ。既に数日から1ヵ月程度のコースを実施しているところがある。そしてそれに参加した人たちはそれなりに成果を感じ満足しているようである。日本人にもニーズがあると言うことを証明しつつあるわけだ。
ところでフォルケホイスコーレは先ほど述べたように教育機関である。だからこれを日本に作ろうということは、教育機関を作ろうということだ。ちょっと考えればわかるようにこれは大事である。なぜなら、教育とはその国を作る根幹の事業である。当然その国の歴史や文化を反映した独自のものになるはずだ。だからデンマークのフォルケホイスコールがいくら良いと感じても、それをそのまま日本に持ってくることはできない。日本の文化、背景に合わせたものにしなければならない。
というわけで、フォルケホイスコーレとは、なんぞやと言う議論が絶えず続けられることになる。
私がフォルケホイスコーレに留学して帰国した折には、その雰囲気に感銘を受け、非常に居心地の良さを感じていたわけだが、これを日本に作ろうと言う事は現実味を帯びなかった。それは高福祉そして個人主義の浸透した社会の教育機関が日本にどのように展開されるか想像できなかったからである。
ところが昨今の日本へフォルケホイスコーレを作ろうと言う動きは果敢にもその課題を正面に受け止め、多くの人を巻き込みながら解決を試みている、とても頼もしい取り組みと思える。
そして、私は彼らの議論を聞いていて、日本でのフォルケホイスコーレの展開された形がおぼろげながら見えてきているような気もする。
フォルケホイスコーレはデモクラシーの学校である。その解釈は時代とともに変わってくるかもしれないが、言葉としてそれを残しておけば良いのかもしれない。そんな気がしてきている。何よりもそれを日本流にアレンジして展開しようとしている若い方々のエネルギーにとても眩しさを感じるのである。

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