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母倒れる、からの新年のはじまり

今年の我が家の新年は救急車を呼ぶという、初めての経験から始まった。
元旦は家族で集まり、例年通りおせちなどを食べていた。

しばらくして母は気持ち悪いと言って横になった。
そのままあまり回復しなかったため、家にに帰って寝るというのを見送って、
その後は妹夫婦とのんびりお茶をした。
そんな元旦。当日はその後、大ごとになるなんて予想しなかった。
ただ夕方に起きた地震が、何か今年を予兆したいるのかな、と過ぎったくらい。

母とは2世帯で暮らしているため、その後の様子はメッセージや電話で行っていた。
お正月が明けて、母も仕事には行っているようだったので大丈夫だろうと思っていたら最初の週末にそれは起きた。

「何も食べれず、水も飲めない、ベットからも起き上がれない」というメッセージ。
慌てて出先から帰り、急いで母の家に行くと痩せ細ってベッドに寝ている母がいた。
水を飲みたいというので、水差し的なものを探し、体温程度のぬるま湯を入れて口に運ぶ。自分的にはびっくりするくらい冷静で、このままでも良くはならないだろうと思い、すぐに救急車を呼んだ。

救急隊が来てからのヒアリングで、もうずっと便秘であることやお腹に不快感があることを聞き、年末にもそんな話は全く言っていなかったので驚く。
我慢強いにも程があるよ。

その後搬送された病院で簡単な検査を受け原因はわかったものの、詳細な検査をするためにまた別の病院に搬送。検査も混んでいたため果てしなく待たされた。
結局検査結果が出たのは夜の19時頃で、そのまま病院に入院させて帰宅した。お昼過ぎに救急車を呼んでから私自身何も食べれず、病院を出た時には20時を回っていた。帰りに駅ビルでお寿司を買って帰る。

病院からバスに乗っている間、涙が込み上げてきた。

母の様子は気力も体力もない状態で、検査結果的には悪性のものもありそうとの診断。ずっと水も飲めていないから、脱水症状で腎臓の負担も懸念される。

自分では救急車を呼んだ時も、点滴をして便秘が解消されたらすぐに元気になるだろうと、大きなこととは考えていなかった。

帰り道、このまま母が家にも帰れずに逝ってしまったらどうしようと考えると、呑気に新年を迎えた時とは打って変わって、目の前が真っ暗になるような、足元が崩れていくような不安を感じた。

泣きながら、妹に電話をして状況を報告した。
後から聞くと妹は冷静に客観的に状況を見て、そんなにすぐにどうにかなるとは思っていなかったらしい。翌日に病院に一緒に行く約束をして電話を切る。

その晩はも泣き疲れて眠るような状況で、あっという間に翌朝を迎えた。

病院に行くまでにやることはいろいろある。
母の家をある程度整理して、持っていくものをピックアップ。パジャマも買いにいかなければ。

そんな状態でパジャマを買いに車でいつも行っている複合型スーパーへ向かった。

車を運転中も色々と悪い考えが浮かんで、集中できない。
でもとにかくやるべきことをやらなければ。
パジャマやその他必要そうなのを購入して帰る途中、車をぶつけた。
家の近所の、スピードも全く出していないようん曲がり角、いきなり現れた対向車に気づいてハンドルを切りすぎ、角にあった標識にぶつける。

ガツン、という音で頭が真っ白になった。

車を見てみたらそんなに大きい傷ではなかったけど、これで少し気が引き締まった。

悪いことは重なるというけれど、普段と同じ精神状態ではない状態ではいつもはふつうにできることもできないのだな、ということを身をもって実感した。
今の時点で、逆に気づくきっかけがもらえてよかったと思い直す。

そんな新年の幕明けではあるのだけれど、
できることはいつだっって「じゃあ自分はどうするか」だ。
この出来事を、不幸な出来事として片付けてしまうのか、
またはここから学べることに向き合っていくのか。

私にできることはいつも感じて考えて、自分にできることを行動していくだけ。


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