原稿

漫画家を目指した少年の小さなお話

僕が初めて漫画家になりたい!と思ったのは小学2年生の時。
学校の休み時間にポケモンの「ルギア」を描いたら友達から上手い!って言われて、そこから絵の仕事をしたいと思いました。そしてちょうどその頃、父親が週刊少年ジャンプを毎週買っていたので、「漫画家」が夢のような仕事だと思いはじめました。

小学6年生の頃には、体育の授業をサボって折り紙の裏に「ドラえもん」のパロディ漫画を描いていたり…(懐かしい)。そのことがクラス中にも広がり、学級通信で漫画をのせてくれました。そして、卒業文集では「漫画家になります!」と宣言。若かった…。笑

中学生になり、今度は自分で冊子を作ろう!となって、紙をペタペタ貼って一生懸命何冊も何冊も描いていました。ただ、親に見せるのが恥ずかしくて、親が部屋に入ってくると咄嗟に隠していたのを今でも鮮明に覚えています。その時の作品は今でもたまに見返しています。

高校生になると画材屋に行って道具を買い、初めて本格的に原稿で漫画を描きました。父親が一時期漫画家志望だったこともあって色々レクチャーしてくれて、最初は昔話を漫画にしてノウハウを学んでいました。


初めての持ち込み 

高校3年生の終わり頃、僕は持ち込み用の作品を描き始めました。もちろん持ち込み先はジャンプ。タイトルは「メリーさんは羊」。呪いで羊人間になった主人公の話で、とにかく完成させるのに苦労したのを覚えています。父親からは面白いと言われたので妙な期待を持って集英社に行きました。しかし、言われたのは「画力がない」「独りよがり」「線が多い」など。厳しいのはわかっていたけど、それでも応えましたね。

大学生になって漫画を描く時間が少なくなりながらも一年に一回は描いて持ち込みに行きました。しかし、当たり前ながら結果は出ず、大人になっていくにつれて現実と向き合わなくてはなりませんでした。そうして就職活動を行い、内定をもらいはしたものの、改めてこのままでいいのかな?と考え直した結果、やっぱり漫画描きたい!って思いました。

初めての賞

そうして内定を辞退し、大学卒業後も正社員にはならずに(会社には一応入った)漫画を描き続けることに決め、23歳の夏ごろに描いたサイボーグの話が週刊少年マガジンの編集者にウケて面倒を見てもらうことに。その後、現代モノに絞って作品を作り、出来上がったのが「more human」。

【あらすじ】ある高校生の元にウサギの顔をした神様がやってきて何でも願いが叶うアプリを渡す。神様はそのアプリで人間がどう狂うのか、人間はこの世から消すに値する生物かを判断するのが目的だったが、その高校生の行動に考えを改める…というもの。

この作品が毎月やっている新人賞の「奨励賞」に引っかかり、初めて賞金をもらいました。すぐに親に電話したのを覚えています。あの時は本当に嬉しかったなあ。

ジャンプスクエア

しかしその後、半年に一回行われる大きな新人賞に作品を出すもボロ負けし、なぜか担当者と連絡が取れなくなり…。再び何もなくなってしまった自分ですが、とにかく作品を作り続けることにしました。そして、とりあえずできたラブコメをジャンプスクエアの新人賞に投稿したところ、ホームページで「最終候補」に選出され、その日のうちに担当者から打ち合わせの話がきました。これが24歳の秋の話。

そこから担当者と作品を練り続け、口だけがないサイボーグの恋模様を描いた「チュー・ドロイド」は最終候補、器用な男が応援団に入って不器用な姿を見せる「大声ヒーロー」は編集部特別賞をいただきました。このころは作品を出せば賞金がもらえるところまで来ており、デビューは目の前だと思ってました。

ですが、次の作品はプロットで3回ボツ、ネームで3回ボツをくらい、改めて漫画を作る大変さを思い知らされました。一回ボツを食らったら全てやり直しですもんね…。そんなこんなで半年かかってようやく出来上がった作品が「いいあいラブトレイン」。

【あらすじ】男子校の生徒会長と女子校の生徒会長同士が合コンをきっかけに意識し合うも、互いに不器用でなかなかうまく行かない話。デートではお互いの悪い部分が見えて一度は喧嘩するも、最後は男性が泥臭く頑張って次のデートの約束を取り付けることに成功する…というもの。

この作品の一部が、↑の画像です。半年かけたこともあり、今までの集大成とも言うべき思いで、全ての力を振り絞って仕上げました。担当者からもいい反応をもらえ、佳作(デビューできる賞)が取れる可能性も見えました。

しかし結果は最終候補の一歩手前

今までで一番ひどい成績でした。こんなこというのは見苦しいですが、担当者は作品の提出を一ヶ月遅らせており、僕はタイミングを見計らってくれているのかと思い理由は聞きませんでした。ですが、今回の結果で力のなさを実感し、色々複雑な思いも…。

25歳までに結果を残すと親や周りの人たちに宣言し、今回の作品が25歳最後の作品だっただけに、悔しさが込み上げました。

これから

ただ、どれだけ結果がダメでも漫画やイラストを描くのが好きな気持ちは変わらず、できればずっと描き続けていきたいという思いです。幸いなことに、現代社会はSNSが流行っておりWeb漫画がバズって有名になる人も多いです。

そのため、フィールドを変える決意をしました。先月からTwitterやインスタ、noteで創作漫画を公開しています。何がいいって、作品を公開すればいろんな人に見てもらえること。お金とかではなく、作品を発信して見てもらってコメントをもらえることが何より幸せだと感じ始めました。

なので、これからはWebで漫画を描き続けていきたいと思っています。自分の決断が正しいとは思っていませんが、間違いだとも思っていません。これも全て、今までの経験から出た答えです。現在は何がバズるか考えながらいろんな作品を描いています。信念を貫くことも大事ですが、時代に適応することもまた大事だと気づかされました。むしろ両方あれば最強だとも思うので、いつか最強の人間になります!笑

漫画を描くのはずーっと楽しい!

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