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●GWプチ旅行記①●南武支線・鶴見線を行く(その3:海芝浦駅を目指す)

南武支線と鶴見線をGWの谷間の平日にプチ旅しました。いやー、もっと前から来ていたら良かったのに・・と思うくらいに楽しい旅でした。前回までに、鶴見線の終点、扇町駅に行きました。海芝浦駅は最近ちょっとした有名スポットになっていますが、こちら、扇町駅はあまり人が訪れていないようですが・・個人的にはこんな不思議スポットが大好きなので、とても楽しい旅を楽しんでいるところです。(前回の記事はこちら)

今回は、浅野駅から海芝浦駅を目指そう・・と思ったのですが、次の電車までに少し時間があったので、道草をしながら海芝浦駅を目指しました。

鶴見線の本線と海芝浦支線との分岐点、浅野駅に到着。

実は、鶴見線の駅は、沿線開発に貢献した人名が由来に関係していることが多いです。浅野駅は、アサノセメントなどの創始者、浅野総一郎氏の名前に由来しています。隣の安善駅は、鶴見線の前身、鶴見臨港鉄道に出資した安田財閥の、安田善次郎に由来しています。実はその隣の武蔵白石駅は、この地で栄えた日本鋼管の創業者、白石元治郎氏の名前に由来しています。

今回の探索範囲。海芝浦駅は、本当に京浜運河に面した海の先端まで行きます。
浅野駅は、海芝浦支線と分かれる駅。右に伸びるのが海芝浦支線です。
今では見かけなくなった、構内踏切が健在です。
海芝浦線へのホーム。急カーブに古びた上屋。
なかなかたまらない場所です。
海芝浦方から眺めたところ。こう見ても急カーブの駅だと思います。

浅野駅に着きましたが、海芝浦方面の電車がまだまだ来ないことが判明。浅野駅周辺を歩き、鶴見小野駅周辺まで歩くこととしました。

浅野駅。外から見ると、やはりちょっと殺風景に見えたりしますが。。
海芝浦駅に向かう道路の踏切は、「末広第二踏切」です。
それは、海芝浦方面の工場が
「末広町」だったことに由来しているのでしょうね。
浅野駅前の踏切は、「末広第一踏切」でした。
浅野駅近くに残る、橋の痕跡。入船と呼ばれただけあって、
昔は水路が色々と発達していたのでしょう。
水路の突端を発見、実はこれは「川崎運河」の痕跡です。
元々あった川崎運河は、随分内陸まで水路があったのですね。
少し内陸に入ると、産業道路があります。
その周辺は、古くからの住宅街。どこか懐かしい光景です。
大衆食堂のようなうどん屋さんで、おうどんを頂きます。
安くてうまいお店でした。
そして、鶴見小野駅に到着。海芝浦駅電車はまだ来ないので、
もう少し周辺を探索します(笑)。
駅前にある、新しいスタイルの学校は、
「横浜市立 サイエンスフロンティア高校」。なかなか突き抜けた名前の学校です。
鶴見小野駅は、鶴見線内で一番普通っぽい駅かも(笑)。
住宅地の真ん中にあり、利用客もとても多いです。
無人駅だし、有人改札の名残があったりと、
ツッコミどころ満載ですが(笑)、普通の駅っぽいです。
構内踏切の痕跡のようなものがありますが、
今は使われていません。
鶴見小野駅。鶴見方面への利用客が多いですが、
海芝浦に行く人はまばらです(笑)。
さて、いよいよ海芝浦行きが来たので、行ってみましょう!!

海芝浦駅が、いろんなメディアにも取り上げられているせいか、鶴見線に平日にもかかわらず、多くの「一般観光客」(という呼び方をしているところからしても、とってもマニアな人っぽい(笑))が乗車し、海芝浦駅で思い思いに下車しました。この駅、改札の外は東芝の事業所内なので、改札外に東芝さんが設置している公園以外は、一般客は立ち入ることができない、いわば「わざわざ行く以外に目的が無い」駅なのですが・・・、

この通り、この風景を楽しむお客様、それなりにいらっしゃります(笑)。
柵の外側は京浜運河。こりゃあ、すごい風景ですね。
改札です。本来の右側に向かう道は閉鎖中。
GW中の平日でしたが、工場は有給消化のためか閉鎖中でした。
まっすぐ進むと、海芝公園です。
ちゃっかり東芝の工場製品をPRされています(笑)(こういうの大好き)
後ろには、鶴見つばさ橋がよく見えています。
事業所の片隅に東芝さんが設置した公園。社員公募して名前を決めたようです。
駅名標と時刻表。意外と観光名所として成立しているかも(笑)。
終着駅、って感じのする風景です。
車内から撮影。プチ旅感が出る1枚かも(笑)。
走り出した車内から。

今回はこれでおしまい。いやー、鶴見線の旅、やっぱり面白いです。海芝浦駅は、横浜市内の駅とは思えないほどの光景でした。

鶴見線の旅、もう少し続きますが、実は次の駅がまたまたすごい場所!!鶴見線の国道駅という、とてもディープなスポットを探訪していますので、次回お楽しみに!!

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