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◎山梨へのプチ旅◎:①中央本線に乗って勝沼へ旅する(前編:笹子峠の越え方)

今年のGWは、特に遠出もせず、近場で過ごしました。といいつつ、中日の平日に、山梨までプチ旅に出かけましたので、その模様をご紹介したいと思います。

■中央本線で、勝沼ぶどう郷駅へ

今回は、我が家である八王子からだと、実はそんなに遠くない、山梨県へ。大月駅を越えてしばらく走ると、笹子トンネルを抜け、甲府盆地に入っていきます。盆地が開け始めた坂の上にあるのが、勝沼ぶどう郷駅です。

中央本線の各駅停車で着いたのは・・、
勝沼ぶどう郷駅です。
特急列車が通過。この辺りの駅は、勾配が急なためか、
上下線のホームにちょっと段差があるのが当たり前なのでしょうか。
東京駅起点から、111kmポストがありました。

■中央本線の線形を考察する

さて、駅前の探索に入る前に、笹子トンネルを越えて乗車してきた、中央本線の線形を、大月駅から山梨市駅までの間で、国土地理院の地形図でなぞってみました。

トンネル区間を除き、ほぼ一定勾配で昇降する線形!
描いてみると美しいものです!!

そういう意味で、笹子トンネルはもちろん大工事なのですが、この地図上の勝沼付近にある、深沢トンネルと大日影トンネルも、かなりの本格的なトンネルであることが見て取れます。

13~17km地点が笹子トンネル、19~23km地点が
深沢トンネルと大日影トンネルになります。

この区間は、登りも下りも、蒸気機関車で登れる最急勾配の目安とされる25パーミル(1km行くと25m登る)勾配が連続します。本来、駅は平らな場所に設ける必要があるのですが、平らな場所を作る余裕が無いので、駅はこの路線から離れたところに平らな分岐線(スイッチバック)を設ける設計になっています。この区間だと、大月側の、初狩、笹子の両駅、そして、甲府川の勝沼ぶどう郷駅が、スイッチバックを有した駅でした。

■一方で、中央自動車道や国道20号は・・

ちなみに、この峠越えを、高速道路や国道はどう克服しているかを調べてみました。(ちょっとマニアックな前置きです(笑))。

同じ地図を中央自動車道(大月~一宮御坂IC)で書かせてみると・・、
高速道路と鉄道は似ていますが、鉄道より急勾配も許容されそうですね。
中央道は、鉄道より少し標高を稼いで山を越える線形設定のようですね。

一方、国道20号はというと、

鉄道や高速道路と比べて、クネクネ曲がって距離で勾配を獲得する作戦のようです。
高速道路より3km程度距離が長く、起終点の高度は低く、
笹子トンネルまでのアプローチ部の高度は高くなっているのが特徴。

こうやって書かせると、峠越えにトンネルがあることは共通していますが、そこに至るアプローチなどはちょっと違うことがわかります。ただ、意外と一定の勾配で坂道が続いていることも共通しているようです。

■勝沼ぶどう郷駅周辺を歩く

駅の階段には、ブドウ園の名前入りの歓迎看板が。
駅舎はこんな感じです。
先ほど見つけた、東京駅起点から111kmポストがモニュメントになっています。
「勝沼や 馬子もぶどうを 食ひながら」
松尾芭蕉の俳句です。
駅前からは、甲府盆地が一望できます。
そして、線路沿いに少し歩くと公園が。橋が架かっているので、渡ると・・
甚六桜公園 という名前の公園が。奥に見える小高い場所は・・
かつての、スイッチバック時代の勝沼駅のホーム跡でした。
1966年に複線化されたのをきっかけに廃止されました。
昔の駅名標が再現されています。後ろに写るのは、現在の駅のホーム。
今の駅が勾配上にあることがよくわかります。

「勝沼ぶどう郷」駅は、かつて、「勝沼」駅でした。ちなみに隣の駅は、当時「初鹿野」駅でしたが、今は「甲斐大和」駅になっています。

ホーム端部に来ました。現在線と標高がほぼ一緒になってきています。
かつては、この先で本線に合流していたようです。
ちょうど貨物列車が通過。

こんな素晴らしい公園があります。駅の反対(東京方)には・・、

この地で活躍した電気機関車、EF64が保存されています。
最近、クラウドファンディングで塗装等が修復されたようです。

そして、そのすぐ後ろの石碑は・・、

「中央線降雨防災の碑」という石碑。
説明板には、「雨に強い中央線」という文字が。
高尾~塩山の間で施工された、降雨により運休する線路の
防災工事を施工し、4年で完成させたという記念碑。

この石碑は、2004年~2008年に実施された防災対策工事です。トンネルの坑口や沿線の法面の防災対策を施すことで、大雨時の運休の頻度を大幅に減らすことができた防災工事の記念碑です。

石碑の裏側に、説明板と、工事関係者の名前の書かれた銘板が。
こういう事業の記念碑を、最近作っていることが素晴らしいです。
結構長いスイッチバックの駅跡の上に、プラットホームをイメージした
ちょっとした高台でしょうか?
そして、スイッチバックの線路の行き止まり直前に、小さな川の橋の跡が。
その川を本線が越える部分は、明治時代に
川をレンガアーチで暗渠にして埋め立てた構造物が残ります。

■大日影トンネル遊歩道へ

さて、スイッチバックの線路の端部付近から、大日影トンネル遊歩道に続く道があるので、そちらに登っていきましょう。

大日影トンネル遊歩道に到着。
左隣は、現役の中央本線下り線。平成9年に付け替えられた新線です。
新旧のトンネルが並びます。

大日影トンネルは、明治36年に中央本線が開通した時にできたトンネルです。廃止されて新線に切り替えられる平成9年まで、鉄道トンネルとして現役でした。大日影トンネルと、隣接する東京側にある、深沢トンネルのさらに東京側にある、横吹第2トンネルの変状が大きく、2本のトンネルが掘られ、供用を続けていましたが、変状が続いたため、平成9年に新線が作られ、大日影・深沢トンネルとともに廃止された経緯があります。


「大日影トンネル遊歩道」と書かれた坑門工。
古びたトンネル銘板などが残るのも良い感じです。
2005年に、土木学会選奨土木遺産に認定されました。
素晴らしい坑内の雰囲気。

このトンネル遊歩道、2007年から管理する甲州市が開放していましたが、安全上の理由で2016年から閉鎖されていましたが、2024年3月に再び解放された経緯があります。

待避所が残る坑内。天端部は剥落防止の養生が施されたようです。
ところどころ、点検・補修などを施した痕跡も。
約90年現役で活躍した証しと言っても良いでしょう。
109.9kmポストが残っています。
こちらは、勾配標。25パーミルの勾配であることを示しています。
一部、中央排水管が設置された区間があります。
鉄道トンネルでは結構レアな存在だそうです。
レールがずっと残っています。平成9年まで本線として使われていたので、
PCマクラギのしっかりした軌道です。
保守点検者向けの注意喚起看板。
さあ、約1400mの大日影トンネルを抜けました。
気持ちいい散策ができる場所です。
大日影トンネルを越えると、一つの川を渡ります。そしてその先は・・

■旧・深沢トンネルを流用した、勝沼ワインカーヴ

旧・深沢トンネルです。ここは・・、
勝沼トンネルワインカーヴとよばれる、ワインの貯蔵施設に
再活用されています。
オーナーさんでなくても、入口付近までは見学可能です。
ここにも、しっかり土木学会選奨土木遺産のプレートが。
深沢トンネルの坑内の様子。
坑内温度が一定の、トンネルの中は、
ワインの熟成には好都合の環境のようです。
この谷の少し上流側に、今の中央本線のトンネルを一望できる場所が。

なかなか楽しい探索ができる場所でした。今回のご紹介はここまで。次回は引き続き勝沼ぶどう郷駅付近の勝沼地区を歩いてきていますので、その模様をお伝えしますのでお楽しみに。

■終わりに

勝沼ぶどう郷駅周辺は、スイッチバックの跡地や、旧トンネルを活用した施設などが残り、とても楽しいインフラツーリズムができる場所です。さらに、ワインを楽しむこともできます。しばらく閉鎖されていたトンネル遊歩道が、再び開放されたので、是非一度訪れてみてはいかがでしょうか?

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