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▼京都・伏見の鉄分高め散策▼④:軍都・疎水・地名・・通なスポットめぐり

伏見区内の街歩き、鉄道路線の変遷や、JR・近鉄・京阪電車の踏切を訪ねるという、ちょっとマニアックな切り口で歩いていましたが、それと同時に、色々と通なスポットをめぐる散策をしましたので、それを紹介します。
(前回までの記事はこちら)

■軍都:伏見区の藤森付近を歩く

まずは、明治時代の旧版地形図を眺めてみましょう。伏見区の今の京阪電車の伏見稲荷駅~墨染駅付近には、実に沢山の軍の施設があることがわかります。京都兵器支廠、砲兵営・・というような文字があります。そして今、こういう施設は・・

昔の軍都の施設のあったエリア。今では・・、
警察学校、龍谷大学、聖母女学院、京都教育大・・
というように、大学や学校に変わっています。
昔の施設の今の土地利用を対比した説明図がわかりやすいです。

そんな軍都を歩いてみましょう。

■旧第16師団司令部庁舎(聖母女学院本館)

かつての軍都の司令部庁舎は、払い下げられて女子高の本館に。
なかなか素晴らしい建物です。

司令部の赤煉瓦の建物が、今でも残っているのですね。素晴らしい建物でした。

■師団橋という橋と、琵琶湖疎水

架け替えられた橋ですが、昔の「師団橋」の親柱が残されています。

この道の名前はずばり、「第二軍道」。疎水を渡るいくつかの「軍道」が整備されていて、その道路の特徴は・・、

京阪電車を踏切無しで跨ぎます。
行軍を遮断しないために、踏切は設置してはいけないとの配慮だったとか。

■琵琶湖疎水(鴨川運河)沿いを歩く

琵琶湖疎水、鴨川運河。
舟運が行われていたので、橋は少し高い位置に架かっていました。
運河沿いは、交通の要衝として栄えました。
こちらは藤森駅前にある、戦前の道標のようなもの。
「疎水」という親柱、なかなか良いです。

■わが母校とその周辺

私の母校は、旧陸軍の「輜重兵第16連隊」がありました。

元々陸軍の一つの部隊の基地だった施設の跡地が、
高校時代を過ごした母校です。
かつては、陸軍時代の建物がそのまま部室に使われていました。
今もあるのでしょうか?正月なので入構・確認できませんでした。

■公園に残された、古い地名

公園に残された地名コレクション、ちょっとご紹介します。

桃山駅付近にある、「松平筑前公園」。
ネーミングがかっこよすぎ。
こちらは、「羽柴長吉中公園」。
羽柴長吉とは、池田家の池田長吉のことを指します。
こちらは、金森出雲児童公園。
こちらは金森出雲守可重のゆかりの地名です。
福島児童公園。
福島は、「福島正則」に由来するとか。
この地域、地名もやっぱり恰好良いですね。
桃山長岡越中東町。
井伊掃部公園。
こちらは井伊直弼の系統の井伊家に起因する名前です。

■澱川橋梁を鑑賞する

最後に、この街歩きのクライマックスに見た、壮大な土木構造物をご覧ください。

巨大なトラス橋である、澱川橋梁。
軍事演習場だったので、中間橋脚を立てないようにする工夫が、この結果です。
直ぐ直近から眺めると、とても印象深かったです。

■終わりに

色んな場面から、伏見区内を歩きましたが、とても紹介しきれません。実家のある京都市伏見区、味わい深すぎるので、是非近いうちに再訪してレポートしたいと思いますので、お楽しみに。

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