戦争の記憶

8月。
原爆投下、終戦の日のある8月はメディアで戦争に関する話題が増える。
今年は戦後78年となる。

1980年代生まれの私には当然ながら当事者としての記憶はない。

どうも父方の祖父母が満州から引き揚げてきたようだ、と話に聞いたことがある。
父の兄に当たる祖父母の長男は、戦中戦後の食糧難で幼くして亡くなったらしいことも聞いた。
長男が亡くなって数十年経った後、私が小学生の頃実家が墓を立てて、そのとき初めて長男は納骨となった。

四国生まれの私は広島が近かったので、広島には修学旅行も含めて何度も行った。
大学時代も広島で過ごした。
平和記念公園、原爆資料館には何度も訪れた。
今でこそ展示内容が変わったらしいが、小学生の頃訪れた原爆資料館の展示内容は、熱戦で皮膚が溶けながら逃げ惑う原爆被害者を模した人形が展示されていて、それがあまりにもリアルで、あれは今でもトラウマとなるほど怖かった。

はだしのゲンを読む機会も多々あった。
あまりにも凄惨な描写で怖くてたまらなかった。


戦争を実際に経験した日本人は、今後ますます減っていく。
戦後78年経過しているのだから当たり前といえば当たり前だ。
少しずつ 少しずつ、遠い過去のものとなっていく。

戦争は、歴史上のことであり実体験ではないものとなる。

私の祖父母は戦争を生き抜いた世代だった。
祖父母は10年以上前に亡くなった。

今の20代以下は、祖父母まで遡っても戦争を知る世代が身近にいないかもしれない。

実体験はなくとも、
折りに触れ戦争の恐ろしい記憶に触れてきた私と、
今の20代以下、子どもたちの間には、また大きな感覚の乖離があるのではないかと思う。

若い人たちや子どもたちは、私達以上に戦争がもたらした惨状が遠いもので、生々しさを欠くものなんじゃないだろうか。

ふと、#Barbenheimer の騒動を見て考えた。
政治的な問題は、一筋縄では解決できないものであり、体系的に学ばなければならないとは思う。
ただ、戦争という災禍に対しては、どこか本能的に嫌悪感、危機感を抱くことも大事なんじゃないかと思ったりする。あの目を背けたくなる現実を少しでもいいから見ることも必要なんじゃないかと。

私には、あの画像は見るに堪えなかったし、かっこいいなんて微塵も思えない、理解できないものだったよ。

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