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趣味にきちんとお金をかけるということ

登山が趣味なので、登山用品店にはよく行く。山のウェアは登山用品店の登山用ウェアがよいのだろう、なんとなくそう思っていた。
だから山に登るときには何も考えずに登山用品メーカーのTシャツを着ていた。

サッカーのブラジルW杯開催の年、
山から日本代表へ応援の思いを伝えようと
日本代表のユニフォームを着て山に登った。

長友佑都を応援
次の左サイドバック日本代表は誰だ

無雪期登山なので、まあ大丈夫だろうとあまり考えずに着ていたのだが、
なんと驚いたことにたいそうめっぽうそれはそれは快適で普段より断然調子がよかった。
さらっとしていて肌にべとつかず、汗をかいてもすぐに乾くし軽い。

代表ユニフォームは高かった。10000円くらいした。
それは日本代表というプレミアム価格だからだと思っていたが、なんのことはない、機能性もめちゃくちゃ素晴らしかった。

今まで着ていたTシャツはいったい何だったのか。

登山は負荷の高い運動なので運動中は暑くて汗をかく。しかし休んでいるときは風が吹いたり標高が高い場所だったりすると寒い。
汗で濡れた服が冷えると低体温症のリスクとなる。

山に行くんだから登山のメーカーのを着るもんだと思っていたが、
このサッカーユニフォームの快適さを知ってしまった今となっては
これまで着ていたTシャツこそが汗冷えの温床で低体温症のリスクそのものではないかと思うくらい、正直言って運動時に着用するには向いてないものだった。

果たして登山とはもしや運動ではないのだろうか。
いやそんなはずは。

よく考えてみれば、運動中に着るウェアなんていくらでもあった。
中でもサッカー、ランニング、テニスあたりは運動量が多く運動中の汗の量も半端ない。

それぞれのスポーツの人気、人口は登山に比べたら天と地ほどの差があるくらい多く、商業性も高い。

……あーー……

そりゃ機能性高くなるわ…
みんな必死になってよりよいパフォーマンス目指して開発するわけだ。
全く、盲点だった。
青天の霹靂。

それ以来夏山に行くときのウェアは、
ランニングウェアとかヨガウェアとか、そんなのも物色するようになった。
ランニング用のウィンドブレーカーはかなり調子がいい。登山用品店にも置いてはあるが、ランニングウェアのほうがおしゃれだったりデザインやブランドの選択肢もずっと多い。

冬山ウェアはさすがに登山メーカーのもの
そこは別格だ

もちろん本格的な積雪期登山はやはり山のものに限る。
行動様式によって要求される機能は違ってくるが、
積雪期登山は、ゲレンデでのスノーアクティビティとも違い、ウェアの機能性次第で命に関わることもあって、
登山メーカーも本腰の本気で力を入れて開発している。
ここ数年でも汗冷え対策のアンダーやインサレーションの登場など、これだ!と思える機能性ウェアが登場している。
冬山のものは、他の分野のものではウェアもギアも代わりにちゃんと使えるものがない。
命に関わるので、高価でも、本格的に冬山登山をやる人は買う。
だからきっとこの分野は、アウトドアブランドにとっての矜持、アウトドアブランドのアウトドアブランドたる部分なのだと思う。
夏山には力を入れなくても、他の分野で補える。

このTシャツでの気づきを含めて、
それ以外もいろいろあって、
私は
もうちょっと登山およびその関連するあれこれにちゃんとお金を使うようにしなきゃ、
となんとなく思うようになった。


お金が動かない業界は、続かないんじゃないか。

たかがTシャツ、されどTシャツ。
お金がきちんと使われない分野は、成長につながらない。
なんだか考えさせられた。

山小屋のテント場代や宿泊代が大幅値上げでなんだかんだと話題だが
人件費も燃料費も物価も高騰しているし
オーバーユースの問題もあるし
そもそも山って、人間が遊ぶためにあるわけじゃないし。
これから先自分のいなくなった先の未来にも自然の恩恵を受け遊び続けられるようにするためにどうしたらいいか、
一方的に山や山麓の街から搾取するだけではない利用のしかたはどんなやり方か、
そういうことを考えるのって
ちゃんとお金を使ってどう運用したらいいかって話になると思う。

商業主義にも、もちろん問題はある。
オリンピックやワールドカップなど、大きなお金が動くところにはよからぬ思惑で近づく悪いおとながいっぱいいる。
でも、お金を使わないことが美徳かというと、それは違うだろう。

私が年金を受け取るような年になる頃には、
このままでは南アルプスの大半が、
林道の崩壊や山小屋の運営困難により、登るのに多大な労力を要する山になるのではないかと思っている。
それで山が静かになり、自然がもっと豊かになっていくのであればそれでもよいのかもしれない。
ただ、人間は見えないものはないものと思ってしまう癖があるから、
山が遠くなってしまえば、山を守ろうと思う気持ちも希薄になってしまうかもしれない。

身近であるからこそ先鋭があるのであれば、
山が遠くなった世界では下支えとなる人たちも減ってしまい、
これからの登山文化の担い手となるような人材も生まれづらくなるだろう。

好き勝手に登って、ろくにお金も落とさない時代は終わりなんじゃないかな、と感じる。
これからの世代がもっと登れるように、
私にできることは何だろう。

今は楽しめているこの雪も
何十年か先にはとてもレアなものになってしまうのだろうか

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