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黒鍵と白鍵と

「うわぁ、難しいな。初見じゃ絶対弾けないよなぁ」
楽器店の一角、ピアノの楽譜が置いてあるコーナーで、私はため息混じりにパラパラと楽譜をめくる。

「ドビュッシーが聴きたい」
ふとした会話から、友人のえみこが言い出した言葉だった。
「ドビュッシーかぁ。弾けるかな?今度楽譜見てみるね。」
ドビュッシーの音楽がどんなものか知らなかった私は、この時気安く答えてしまった。
それを今、少し後悔している。
モーツァルトやベートーヴェンの音楽と違って、複雑な和音や、捉えどころのないメロディーが、楽譜を賑やかしている。

「何かお探しですか?」
ふと気づくと、店長さんが隣に立っていた。
「ドビュッシー、好きなの?」
「い、いえ。どんな曲作った人なのか、知りたくて…」
私は、しどろもどろだった。「難しいので、諦めようとしていた」なんて答えたら、この店長さんはがっかりするかもしれない。

「クロード・ドビュッシーはね、目に映る風景を楽譜にしたためる天才だったんですよ。」
この初老の店長は、スッと私の手から楽譜を受け取ると、展示してあった電子ピアノにシワだらけの指を置いた。
その手は…不思議な音楽を紡ぎ出す。

黒鍵と白鍵の間を、ダンスのステップのように踊る指。流れる音は、どことなく東洋の香りがする。

ドビュッシー、少しだけ、挑戦してみようか。

私は密かに楽譜を買う事に決めた。

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