私は何者か?
よく、「アイデンティティの確立」なんていう言葉が倫理の教科書に載っていたと思う。この「アイデンティティ」が確立されて、はじめて青年期が訪れる…と言った感じだったか。
私は、実はこの説にはあまり賛同していない。
なぜなら、私はいまだに「私は何者か」と問いながら前進し、あるいは寄り道をしながら、新しい自分を発見し続けているからだ。おそらく死ぬまで「私は何某である」なんていう確定的な答えは見つからないだろう。
私は現在福岡の主婦で、アルバイトをしていて、お稽古をしに東京へ通っている。何者でもない、無名の自分だが、そんな自分が割と好きだ。
昔から、私はそんなものだった。
塾講や契約社員で日銭を稼ぎ、通信制大学の授業を受けに行き、学問を「知ったつもり」になる。そんな日々だった。東女の卒業証書があるのに、何と無駄な事を…と嘆かれたが、私は「卒業証書」を手に入れたいのではなく、先生方の蘊蓄を聞きたかったのだ。
知らない世界を、知ろうとする自分。
そこに、「死ぬまで変化する可能性」を抱きながら、生き生きとしている自分がある。
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