健太フーズの日々6

第三章 仕事始め

私は、実は学生時代のバイトで接客をやっていて、この手の仕事は慣れている…つもりでいた。
ところが。「甘く見ていた」と言ってもいい。
20年前の機敏さは失われて、体は動かないし頭もついていかない。

「吉田さん、ボケっとしない!」
「はいっ。すみません!」
(ボケっとしてるんじゃなくて、頭で考えた通りに手足が動かないんだよぉ…。)

挙げ句の果てには、老眼が始まってしまったのか、電光掲示板の文字が異常に読みにくい。若かったら、せめて30代くらいの若手だったら、もうちょっと仕事の覚えが早いんだろうか。
私は休憩室でコーヒー片手にグッタリしていた。

ふと、「あの子」を思い出していた。
およそファストフードが似合わなそうな雰囲気の、あの女性。オリエンテーションで一緒になって以来、会っていない。
名前、何だっけ…。

「吉田さん、休憩明けたらチラシ配ってくれない?」
休憩室にひょっこりと顔を覗かせたのは、店長だった。
よし、あの子の事を聞いてみよう。

「店長、オリエンテーションで一緒だった子は、どうしてますか?」
「ああ、岡崎さんね。今ちょっとお休みしてる。」
(岡崎…あ、そうだ。岡崎ハルコさんだ。)
「具合でも悪いんですか?」
「いや、秋学期の時間割がまだ決まらないから来れないって。」
(へぇ。学生さんね。)
「それはそうと、百枚、クーポン付きのチラシ。商店街の入り口で配って。」
よろしくね、と言い、店長はチラシを置いて行ってしまった。

近隣の学校といえば、善福寺にある東都音楽大学。校内のチャペルが重要文化財になっていて、私も吉祥寺に引っ越して来たばかりの頃に見学に行った事がある。
でも、実家がこの辺にあって、渋谷か新宿方面に通っている可能性も捨てがたい。

(雰囲気的には、東都が似合ってそうなんだよなぁ。)

ふと時計を見ると、休憩時間が終わろうとしていた。
私は慌てて席を立とうとし…ガシャン。
…やってしまった。飲みかけのコーヒーは無惨にも休憩室のテーブルに茶色い湖を作っていた。

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