はじめての遠出

その日も私は喫茶店シャノワールに向かっていた。古田サトシさんとの待ち合わせ場所は、いつもシャノワール。
コーヒーを飲んで他愛もない話をして帰る日もあり、出かける時の待ち合わせ場所にしている日もあった。そして…今日は後者。

「ロックハート城っていうのがあってね」
その日。
サトシさんはコーヒーを一口飲むと、おもむろに話し始めた。「イギリス貴族のお城を日本に移築してあるんだって。」
「本物のお城なの?」
「そうだよ。まき…興味あるかなと思って。」
サトシさんが、私の顔を覗き込む。「見てみたいなぁ。イギリスなんてなかなか行けないもんね。」私は笑顔で返事をした。「どこにあるの?」
「それがね…。」サトシさんが、ちょっと言葉に詰まる。
しばらくの間があき、サトシさんは少しだけ俯きながら口を開いた。「群馬なんだ。」

私はこれから、群馬の渋川よりずっと先にあるイギリスのお城へ、サトシさんと二人で行く。勿論、渋谷からは日帰り出来る距離ではないので、泊まりがけで。
(イギリス文化を楽しむために行くの。)
そう自分に言い聞かせる。
でも、その言い訳と反比例するかのように、胸が高鳴り、落ち着かなくなっていった。

カランコロンと、扉が開いた。
「まき」
サトシさんの声だ。「車を店先に停めてあるんだ。早く行こう。」
サトシさんは、いつもより少しだけぎこちなく私の手を取った。心なしか少しだけ、表情が硬い。「さあ。」
私は急かされながら、シャノワールの前に停められた黒いアウディに乗りこむ。
「よろしく…お願いします。」
「あぁ、うん。…行くよ。」
サトシさんが、車をゆっくり発進させた。
もう、戻れない。それでも、構わなかった。

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