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12-2 ディミトリのプレゼント ~小説「女主人と下僕」~


緊張した表情のディミトリと反対に、マーヤはのんきな態度でディミトリに向き直ってニッコリしていった

「でもわたくし、ディミトリ様に頂いたプレゼントの方がよほど嬉しかったけどな」

「はっ?俺が…貴女にプレゼント?」

ディミトリは思い当たる節が無くポカンとした顔でマーヤに言い返した。

「何度もいろいろ下すってるじゃぁございませんか」

「えっ…?」

マーヤはディミトリの手を引いて階段を登って2階の寝室兼書斎に戻り、引き出しを開けてクリスマス飾りが詰まった小さな箱を取り出した。

「例えば…これ。思い出した?季節になると毎年、とっても美味しい胡桃を下さいますわよね」

金色に塗られて赤い紐をつけられた貼り合わせた空の胡桃をポンと掌に載せられたまま、ディミトリはぽかんとした。

「これはね、はじめてディミトリ様がわたくしに下さった胡桃なのよ。わたくし、あんまり嬉しかったので、殻を貼り合わせて、色を塗ってクリスマス飾りを作ったの。何年も毎年飾ってるわ」

「え?これが、何年も前に俺があげた胡桃なの?いや、まて、だが、だが、こんな。俺は茶舗の裏庭に生えてる胡桃を拾っただけで」

「丁寧に拾って洗って炒って特別いいのだけを選んでわたくしに下さった。いつもお仕事も忙しいのに大変な手間を掛けて。毎年楽しみにしております。…他にもイラン人街で買った珍しいソーセージを分けて下さったりとか…」

「いやいやいやいや!ちょ、ちょっと待って下さい!それとザレンの、あの、豪華なプレゼントを同じ文脈で仰るのはおかしいでしょう!」

「どうして?どうして違うの?わたくし、今回ザレン様から頂いた薔薇よりも、ディミトリ様にはじめて頂いた胡桃の方がずっとずっと嬉しかったな」

そう言ってマーヤがディミトリにそっと抱きついて来たので、ディミトリはマーヤを抱きしめながら焦った声で言った。

「いや!いや!待って!それはおかしな理屈だ、その。あんなご近所さんへのおすそ分けみたいなのじゃなくて、女が喜ぶプレゼントっつうのはそのっ」

「あらまぁ!それはつまり、ディミトリ様は、いつの日か、わたくしにお花まで下さる予定って事?」

「え?」

「じゃあ、おねだりしていい?遠い将来でいいから、ディミトリ様がもっとお金持ちになった後、わたくしに時々薔薇を贈って下さいませ。たった一本でいいの。でも、毎年ね?そしたらわたくしザレン様にこの山ほどの薔薇を贈られた時よりもずっとずっと感激して泣くでしょうね…」

それを聞いてディミトリは虚を突かれたように目を見開いて一瞬固まったが、やっとのことでかすれた小声で

「…解りました、いずれ必ずお贈り致します…ご冗談でもそんな風に過分に仰って頂いて...!済まねえ」

と返して、マーヤを固く抱きしめた。

「もう!冗談ではありませんのに!」

ディミトリはマーヤを離すと、深呼吸して

「ああもう!参ったな…なんて最悪なタイミングだ!だが、しょうがねぇか」

と呟きながら、すたすた歩いてベッドの脇の床に放り出していた上着を拾って、そのポケットから小袋を取り出し、逆さにひっくり返してベッド横の小机にじゃらじゃらと金貨を出した。

「??ずいぶんと大金ですけど…これは…?」

「新店舗の買収がうまくいったんで、臨時ボーナスが出ました。雀の涙ですが、受け取って下さい」

「え?えええっ?ま、待って!嬉しいわ。嬉しいけれども、これって、お、お給金をほぼ丸ごと渡して下さった、ってそういう事?!ええっ?でも、でも、まだ同じ家に住んでも居ないのよ?それなのにそんな!駄目よそんな!」

ディミトリは精悍な顔の黒い瞳を真っすぐにマーヤに向けて行った。

「だって、女房が出来たら、男はこうやって給料を運ぶもんでしょう?…すくなくとも俺の生まれた村ではそれがふつうだ」

マーヤのしっとりと濡れたように光る白い頬が、薄すみれ色の薄い寝間着に包まれたどこもかしこも柔らかい身体が、驚きでびくりと波打つように震えた。

そしてマーヤはディミトリを潤んだ瞳で捉えてつぶやいた。

「まだ正式に結婚もしてないわたくしにそこまでしようとして下さるの…?」

「当然も何も。そもそも首輪付きの俺がここに通ってるのが世間にバレたらその瞬間、貴女はもうこの街でマトモな結婚なんか出来なくなるんだよ?本来なら、何をどう考えても俺はいまここに居るべき人間ではない。上級市民権を取ってもっともっと成り上がってそれではじめて貴女に求婚すべきなんだ、いや、元々の身分から考えて、なにがどうなっても求婚すること自体が狂気の沙汰だな」

ディミトリは、マーヤの上げる声を遮るようにして続けた。

「今の俺は泥棒です。貴女の災厄です。そして俺は自分が泥棒だと自覚した上でここに来ています。なぜって、どんなに卑怯だろうが泥棒だろうが、俺が貴女を捕まえられるチャンスはいまのこの瞬間しかねえって知ってるからだ。貴女がちっとも怒らないのをいい事にまずは卑怯にも身体の関係をさっさと結んで、他の求婚者どもより少しでも先に行こうって魂胆さ。…解るか…?」

ディミトリは、ディミトリに何か言おうとするマーヤの唇をそっと指でふさいだ。

「何も、言わなくていい」

そして小机の金貨をわし掴みにしてずいとマーヤ側に更に寄せた。

「そんな不義理を貴女に働いた挙げ句に、この程度の旦那らしい事すらしなかったら、それこそ俺、頭がおかしいだろ?…もちろん、こんな立派な家に上がり込んで、こんなはした金の給料を渡すなんて、結局のところ、1から10まで頭がおかしいわけで、いやはやもう泣けてくるほど恥ずかしいの一言だが…どうかお願いだ、受け取って欲しい」

「え、あのっ」

戸惑うマーヤの表情を誤解して、ディミトリは気弱な声を上げた。

「お、俺だってこんなゴミみたいなはした金が貴女には何の意味もなさない事は解ってます!だけど、だけど俺、他にどうしようも思いつかなかった。お願いだよ。受け取って。これすら受け取って貰えなかったら本当にどうしたらいいのか、俺、解んねえ…」

マーヤは迷った。なぜって、すでにこの間、ディミトリがランス国に来てから10年間で貯めた全財産で一足飛びに普通市民権を買ったために、つまりマーヤのために一文無しになっていることを、マーヤは知っている。なのに、ここでさらにディミトリが新しく稼いだ金までマーヤが受け取ってしまうという事は、ディミトリがマーヤに完全に首まで委ねてしまうという事だから。

だが、反対に、これを喜んで受け取ることだけが、マーヤがディミトリを心の底から認め、受け入れた表明になるのかもしれない、ともマーヤは感じた。

「解りました。旦那様からのはじめてのお情け、ありがたく受け取らせて頂きます」

マーヤはディミトリの金貨を両手でそっと掬ってその両手を自分の額に押し付けるようにした。

「ただ、これは我々夫婦のふたりのお金です。ちゃんとありがたく使わせても頂きますけれど、今後ディミトリ様が、たとえば、御商売を拡げるために入用になりましたら、ちゃんと仰ってね?」

「俺、稼ぐよ。この金がさ、充分に溜まって、俺がいくらなんでもいくらなんでももう少し恥ずかしくない立場になったら、こいつで、どうか俺に貴女との祝言を挙げさせて欲しいんだ。いや、いまはうんと言ってくれる必要なんか無い。今の俺にはうんと言ってもらえる価値などねえ。ただ俺が勝手に頑張るから、どうかどうかしばらくだけは、まだ他の男の所に行くと決めずに俺を待っててほしい、まだもうすこしだけ見捨てないで、ってそういう話」

マーヤはディミトリに抱きついたまま嗚咽していた。

ディミトリは向き直ってマーヤを天蓋のベットに腰掛けさせ、自分は床に跪いて、下を向いて苦しげに深呼吸してから、マーヤに向き直って、言った。

「しかもな。こんなゴミ虫の分際でありながら、どうしても、どうしても、もうひとつだけ俺が譲れない事がある。今日はそれもお伝えしに来た」

「譲れない事…?」

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昔々ロシアっぽい架空の国=ゾーヤ帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…

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