このようにマーヤは身分にこだわらない女だった。いやむしろ、ひょっとすると亡命の時にでもなにかあったのか、自分自身も元貴族でありながら、マーヤはなぜか、身分制度というものを、むしろ憎みわざと反発しているような所すらあった。

どうもマーヤは身分をわざと飛び越えたような振る舞いをよくする。

そうなると、敗戦奴隷の出身でありながら、性質は穏やかで働き者、町一番のザレン茶舗の、しかも本店の売り場を、実質取り仕切っている、そんな店長代理のディミトリがマーヤに気に入られないわけがない。

マーヤはディミトリに対して、いつもしきりに感心して褒めてくれた。

対して、ディミトリにとっては、マーヤは、男なら一度はちょっとは憧れと…性的な興味をも…ついつい持ってしまうような、珍しい外国人の女。しかもなかなかに愛らしい童顔美人なうえ、ねっとりとした光る白い肌、街一番の大きな乳の、やわやわとした肉感のある色気のある体つき。そんな女に、必要以上に気に入られ、やたらと優しくされるのだ。

ふつうの男なら、まずいやな気はしない状況である。

だからふたりのザレン茶舗でのやり取りは、お互い非礼の無いように礼儀正しいやり取りとはいえ、ちょっと、子ども同士のささやかな恋人ごっこのような、妙に甘い雰囲気があった。

また、ディミトリ、筋骨たくましい割に、いやそういう男だからこそありがちな性格というか、とにかく女に関しては、はた目から見て哀れになるほどわかりやすく顔に出る。マーヤが来るたび、思いっきり赤くなったり恥ずかしがったりするので、周囲にとっては、からかいやすい事、面白い事、この上ない。

いつも間にか「ザレン茶舗のディミトリが、見ていて可哀そうなほど東洋の貿易商の娘に恋をしている」と評判になった。

ただ周囲も、いくら何でも、この身分差で、さすがにふたりが夫婦になることはありえ無かろうと考えていたので、からかったりしながらも、淡く、軽い、こどものごっこ遊びのようなものだろうと、冗談半分に見ていた。

ただ、面白くないのは、一部の上級市民の中の、一部の嫉妬深い男たちである。

そもそも下僕の身分の男がいっちょうまえに有名店の店長になっているだけでも、相当に苛つくのに、そのムカつく下僕に、若い男なら誰でもちょっと密かに性的な興味を持ってしまうような「外国人の女」、しかも童顔の男好きのする美人な上に、噂にのぼるような肉体美、そんな色っぽい貿易商の女がもう2年近くも、ディミトリに自分から進んでまとわりついてなにかと褒めたりとちやほやしているらしい！

亡命貴族であるから身分も上々。しかも未婚の子女なのだから、本来は、そんな卑しい下僕とままごとのようなやり取りをしてないで、まめに社交の場に出て、自分たちのようなちゃんとした男に一生懸命に媚を売って、夫探しに精を出すべきなのに！

しかも、その女、普段は非常に生真面目な身持ちの硬い女で、社交の場に出ても、紅茶好きの高齢マダムやら、茶問屋の爺どもあたりと何やら小難しい話をしているばかりで、若い男と滅多に関わらない。

既に何人かの男たちが求婚してやったのに、全て撃退している位である。

上級市民の求婚は断るくせに、下僕風情とままごとみたいにイチャイチャするのは平気ときた。

まさかその女、卑しい下僕なんぞとは、さすがに本気で結婚までする事はないだろうし、おそらく単に、処女特有の無神経さと残酷さで、その気もないのに哀れなディミトリに過剰に親切にしてしまい必要以上にめろめろにさせてしまっているだけであろうが...。

ただ、たとえば、金持ちの年増女が、旦那に隠れて、そういう卑しい男と関係を持つぐらいなら、ぽつぽつある話ではある。

だったら、例えばの話、かなり外聞の悪い話であるが、一時の間でも本当に恋愛関係になることぐらいなら...ありえるのではないだろうか？

まさか、まさか、あの意気地なしのディミトリが、そんな大胆な、身分を飛び越えたような振る舞いをすることはありえないとは思うけれども、もしも、もしも。

あの意気地なしのディミトリが、敗戦奴隷の首輪もとれていない下僕の分際で、元貴族のマーヤと...あの街で評判の肉体美の女を、本当に手に入れてしまい、ずうずうしくも毎晩好きなだけ抱きまくる、なんて可能性も、ことによるとあり得るのではないだろうか。

2人のままごとのようなやりとりを見ているだけで不愉快なのに、万一そうなれば心底はらわたが煮えくり返る話だ。

そんな風に一部の男たちは思っていた。

商人たちが操る圧倒的な「カネ」というものの力が、階級制度なるものを、なし崩し的に崩しはじめる時代であった。

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