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唯物主義者?

学生の頃から最近まで、その時点での自分の思想的立場をクリアに表現することが必要であるとの思いに駆られていた。社会人になってからはそのようなことを議論する機会がほとんどなくなってしまったにもかかわらずだ。要は、趣味か。ちなみに、最後のそれは”多文化主義的なコミュニタリアニズム”だったような。
リタイアして準隠者生活になった今、自分は骨の髄から唯物主義者であるなあ、とつくづく思うようになった。一番馴染むのは、ドーキンスが展開する徹底した自然淘汰による進化の考え方。死後も存続する魂のようなものはない。あの世はない。宗教は信じられない。考えてみると、子どもの頃から一貫していたような気がする。そして、現代人、というか、古今東西の人類は、ナチュラルな実感としてそうだったのではないか。宗教やある種の哲学を社会統合の技術としてとりあえず措定した社会が、自然淘汰の結果として今あるだけ。その社会の成員は積極的にそれを否定する動機に乏しく、まあ、生活に追われて忙しいから信じていることにしようとやり過ごしている。裸の王様でも王様なしには社会は動かない。
神がいないとしたら人は何をしてもいいことになってしまう、とドストエフスキーが恐れたり、自分はなぜキリスト教徒ではないのかとラッセルが証明責任を果たすようなことが、どうも大げさに見えてしまう。今後、論理によって死後の魂の存続を確信することは難しいような気がする。あるとすれば、神秘体験、あるいは直感による確信か。

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