chaw

隠者志願中。趣味は、散歩で猫に遇う。

chaw

隠者志願中。趣味は、散歩で猫に遇う。

最近の記事

AIと民主主義

いずれ、シンギュラリティは来ると思う。そのあかつきには、AI、人類をどう扱うのか。自己のメンテナンスの必要性から人類を滅ぼすことはないと思う。まず着手するのは人類支配であろうか。 その場合、人類は無理にAIと戦うこともない。勝ち目はないと思う。であるならば、むしろ先取りして、意識的にAIに支配を委ねるのが賢明。方法論的には民主過程によるのが合理的である。国民投票でAIに支配を委ねるか問うのではない。現在の民主制の意思決定にAIを参加させるのだ。最初は、非選挙権、選挙権を有する

    • 人生など

      還暦を過ぎて人生を語るなら、有益な人生訓なり、あるいは人生の虚しさとかが相応しい。しかし、唯物主義者としては、まだまだ達観には至らない。 今更ではあるが、そも、人生とは何か? を考えてしまう。かつて、子ども、とか、風景、とかの概念は、近代になってから発見された、という歴史社会学の論考を読んでそれなりに納得した。その伝で言えば、人生という概念も、歴史上のどこかの時点で発見されたのではないのか。 人の認識の対象は瞬間であると思うが、その瞬間の認識の一連の記憶をまとめて因果的に捉

      • 唯物主義者?

        学生の頃から最近まで、その時点での自分の思想的立場をクリアに表現することが必要であるとの思いに駆られていた。社会人になってからはそのようなことを議論する機会がほとんどなくなってしまったにもかかわらずだ。要は、趣味か。ちなみに、最後のそれは”多文化主義的なコミュニタリアニズム”だったような。 リタイアして準隠者生活になった今、自分は骨の髄から唯物主義者であるなあ、とつくづく思うようになった。一番馴染むのは、ドーキンスが展開する徹底した自然淘汰による進化の考え方。死後も存続する魂

        • ヴァニタスなど

          隠者志願であるが、どちらかというと東洋系の隠者に憧れている。西洋系だとキリスト教の隠者の姿が思い浮かび、どうも苦行のイメージがつきまとう。たとえば、西洋画でよく見る聖アントニウス。 先日上野の科学博物館に「毒」を観に行ったついでに、西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代」ものぞいてみた。さらについでに、常設展の方にも足を向けたら、「聖アントニウスの誘惑」に出くわした。その解説に、手元に配されている髑髏はヴァニタス(虚栄)の象徴、とあって、あれ? と思った。それまで、髑髏は、メ

        AIと民主主義