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【創作大賞 お仕事小説部門】コンプラ破壊女王 ③

3話 『もらいゲロを耐えよう』

 ゴールデンウィークの最終日に、家族3人で市営の動物園に来ていた。
岩場の上でさっきから、ウエッウエッとえづいていたライオンがドシャーッともどしていた。
 芝生の床一面に豪快にぶちまかれたゲロを見て、その付近に寝転がっていたメスライオンや子供達が、舌打ちをしながらスクッと立ち、場所を移している。
 涙目になって「ごめーん」と謝っているオスライオンを見て、身重の妻と3歳の娘は腹を抱えて笑っていた。

わかるよ、君の気持ちが――。

ベンチでぐったりと座っている僕は、オスライオンの脳内に直接に話しかけていた。
 動物といえども、接客業なんだろ、ライオン。
休日が続いたから、吐くほどに仕事がしんどくなったんだろ。
それでもパフォーマンスを落とさないように必死に頑張ってきたんだろ、わかるよ君の気持ちが。

なんだったら、柵を乗り越えて中に入ってゲロの掃除をし、背中をさすってやりたい気分になってきた。
まっ、食われるんだろうけどさ。

 あぁ……もう、明日から仕事に行きたくない。

あの部下と一緒に仕事をするのがしんどいよ。本当に。

「カニ食べませんか?」とか突然に言う。

 取引先の交渉に煮詰まっていたら、カニを食べませんか、と楓さんが横から唐突に言い出してきた。
「あっ良いですね、そうしましょう」
取引先の人も当然、交渉が終わってからお店に行くものだと思って、そうしましょうと言ったのだろう。
 けど田中さんは、とってきます、と言って席を立った。

獲ってくる?
今から、漁に出るって意味?
美人なOLの人が「カニをとってくる」と言い出し、お辞儀をして部屋から出て行ったので、取引先の人がキョトンとしていた。
何かのシャレだと思ってしばらく楓さんの事はほっとき、交渉を再開した。
 しばらくしたら、でっかい発泡スチロールを携えて談話室に戻り、テーブルの上によっこいしょと置いた。
「え! 今から! ここで!」
「さっき死んでたんですよね、あっ…生きてる」
発泡スチロールの蓋をあけると、紫と茶色を混ぜ合わせたような色のタラバガニが動いている。
取引先の人がボールペンの先でカニの目の辺りを軽く小突いた。

おっ! なんや、やんのか! とばかりにタラバカニの動きが活発になってきた。
楓さんは、ウフフとほくそ笑んだ。

「ちょっと出してみましょう」
「えっ! いいよ!」
箱からだすなって、という僕の注意を払い除け、田中さんはタラバガニのトゲに気を払いながら背中を掴み、それをトロフィーのように高々と掲げた。
今、これを私が釣り上げましたよ、とでも言わんばかりに。
両手両足をピーンと力いっぱいに伸ばすタラバガニ。
狭い所に閉じ込めっぱなしだったので気持ちよさそうだ。
それを発泡スチロールに戻さずに、テーブルの上に置こうとした。

だから、置くのとかやめようよ! 
という僕の注意をまたも払い除け、無表情のまま、さもありなんといった感じで置いてしまった。
タラバカニの両足のつま先がテーブルの横の長さとほぼ同じ。
うちのリビングにある40型液晶テレビぐらいの大きさの生き物が、東京に突如現れたゴジラのように暴れだした。

「でけぇ……これと同じ奴を去年、子供たちをつれて水族館でガラス越しに見ましたよ」

フェンス越しに見ていたプロ野球選手に、ばったりプライベートで会いました、みたいな事をテーブルから少し距離を取っている取引先の人が言った。
 開放感に満ちたタラバガニが、エイリアンのようにウネウネと動きだす。
テーブルの上にあった大事な資料を、ハサミでジョキジョキと切り始めた。
じゃんけんのチョキがパーに勝つ、その実写版を目撃することができた。

その資料を僕が奪い返すと、テンションがマックスになったのか、僕のノートパソコンに片足を乗せてガッツポーズをとり、泡を吹き始めた。
タラバカニにとっては、ゴジラが爽快に放射能を吹いて街を破壊しているような気分なのであろうが、泡に勢いはなく、よだれのようにダラダラと口元を滴らせて、僕のノートパソコンをびしょびしょに濡らしている。

「はいっ、係長! しまってください、このカニ!」

えっ! このタイミングで…。

談話室の破壊者を気取っているタラバカニの背中に回り、甲羅を掴んだ。
駄々っ子を無理矢理にチャイルドシートに座らせるみたいに、タラバカニを元の発泡スチロールに戻す。
取引先の人も、いつまでもしまわない長い脚を、マウスパットでペシペシと叩きながら手伝ってくれた。

「なんで一旦、テーブルに置いたの?」
やっとこさ蓋を締め、それを抱えて給湯室へ向かおうとする田中さんに聞いた。

「元気なところを見てもらおうと思いまして……」
そう言い残して談話室から出ていった。
タラバカニなんか生きている所を見せれば十分だろうに。
なにもイタズラにテーブルの上で暴れさせなくても。

 タラバカニは凄く美味しかった――。

ただ大きな問題がでてきた。
「ところでこのタラバカニどうしたの?」
と、最後の1本を口に運んだ時に田中さんに聞いたら、
「〇〇物産さんから社長宛に届いたやつです」
と田中さんが教えてくれた。

しまったぁ! 聞くのが、遅かったぁ! 

なぜ、最初に聞かないんだよ、俺。
ちゃんと社長に許可もらったのって、今さら怖くて聞けないよ。

新入社員が横領。
上司の監督不行。

というよりもその横領に僕は加担している?
いや、現に今、加担しているだろう、食っているし。
あんなに美味しかったタラバカニが、業務上横領罪の可能性が含まれている事を知り、最後の1本がまったく味がしなくなってきた。
 カニ味噌を啜っている取引先の人が、まぁそれはそっちの問題だから、という目で僕を見ている。


 食事後の取引の交渉は、僕に同情したのか、タラバカニが美味かったのか、こちらの条件をだいぶ譲歩してくれた。

 僕はもぅ疲れたよ――。

動物園のこのベンチに座ってから、僕は30分ぐらい動いていない。
 たまたま座っていたベンチがパンダの形をしていた。
パンダがうつ伏せに寝そべっており、その背中がベンチになっている。
そこからあまりに動かなかったので、妻に「たれパンダか!」と突っ込まれた。

田中楓さんが鳥になった――。

違う、取り引きの時の話です。
取引先の方が雑談で、休みの日に劇団四季のライオンキングを観に行ったという話になった。
「一人で鳥の大群を表現するのがあってそれが凄くて…」
と言ったら、「あぁこれですね」と言って田中さんが立ち上がり、手を広げて回転し始めた。
「あはは、おちゃめな人だなぁ」
取引先の年配の方が、目の前の人が突然に踊りだしても動揺せずに、優しく促してくれた。
もう一人いた若い取引先の人も、可愛い人だなぁという目つきで田中さんを見てくれていた。

その場の空気が和やかになってくれた。

そこまでは良かった。
問題は、いつまでたっても、その回転を止めない事だ。
ぐぅーるぐぅーると、『洗濯機の洗い』みたいに右に左に上に下に、両腕と腰をランダムに動かしている。
『ライオンキングの鳥』はもぅ十二分に伝わっているはずなのに、回転を止めない。

 踊っている田中さんの横顔がチラッと見えた。

憑依している。

『一人で鳥の大群を表現する人』ではなく、一人で鳥の大群になっている。
目が、オフィスでOLをしている、それ、ではない。
サバンナの大空を舞っている、20羽の鳥の目になっている。
「もぅいいから!」
目をさませぇ! とばかりに腕をグイッと引っ張って強引に座らせた。

おお、ここはどこだ!

とばかりに目をパチクリし、身体をブルッと震わせて、正気を取り戻した田中さん。

その他にも、スイッチ式のボールペンで消しゴムを飛ばす競争を取引先の偉い人とやったりとか、親指相撲したりとか、色々な事を次々にしていた。

でも、4月の成約件数はかつてないほどの好成績だった。
特に多かったのが、見込み度が少ないお客様の所に行き、案の定、こことの制約はとれそうもなさそうだな、という雰囲気になってくると、田中さんの横やりが入ってエキセントリックな事が始まり、すったもんだあって制約になる事だった。
 

「代打、わたし!」
といって勝手に打席に立ちたれ、逆転ホームランをかっとばされる感じだった。
悠々とダイヤモンドを一周し、ベンチに戻ってお茶を啜る田中さん。
それを見守るレギュラー選手の僕が、グラウンドでひとり、トンボがけをしたり、後片付けなどの雑務に追われる、そんな1ヶ月間だった。



もぅあの、エキセントリックな女の人と一緒に仕事をしたくないよ。
 僕はもぅ疲れたよ…。
パンダの後頭部にアゴを乗せ、もたれ掛かった。
いよいよたれパンダっぽくなってきた。

明日からまた田中さんと仕事をしなければならない事を想像すると、とたんに身体がダルくなる。
ルーベンスの絵の前で、教会の床に力つきている少年のような僕。

「パパちゃん、お猿さん、見に行こうよ」
それを、天国へと舞い上げてくれる天使のような娘。
娘の背中にうっすらと羽が生えているのが、僕の目には見える。
「よぉし、いくぞ!」
娘を抱き抱えて立ち上がり。3歩ほど歩き始めたら足腰に激痛が走った。
昨日から酷い筋肉痛だった。

 一昨日、僕は凧揚げをしました――。

神奈川の河川敷で凧を上げました。
 凧の大きさは、石川五右衛門が乗れるサイズのヤツです。
名古屋城の金のシャチホコを盗んだ時に乗っていた、あのサイズの凧を上げました。
田中さんが一人でみつけてきた新規のお客様。
総務部の時に仲良くなった方らしい。
その人のイベントを手伝いに行くといっていたので、心配になって行ってみた。

そしたら『季節はずれのインフルエンザ多数』からの人手不足という事で、スーツを着た僕がはっぴを来た地元の青年団と消防団に紛れて参加させられた。

風に煽られながら30人ぐらいで、しめ縄を掴んでダッシュで引っ張った。
そのダッシュを20回くらいはやった。
はっぴを着ていた田中さんは、誰とでも楽しげに話していたので、どの人が新規のお客様になってくれるのかが分からなかった。


「接待って、普通ゴルフとかじゃないの? 凧揚げって……」
家に帰ってスーツのズボンについた泥を玄関で落としている時に妻に言われた。

娘を背中に背負い、電気が体中に走る痛みに堪えながら、サル山についた。
一番、最初に目に飛び込んできたのは、タイヤのブランコでゆらゆらと揺れながら、ゲロを吐いている猿だった。

あっち向いて、ホイ!

してたなぁ、スズキ建設のロビーで。
交渉が終わってロビーの所で、トイレに行ってくるからちょっとここで待ってて、と、田中さんに頼んだ。
 用を足して、ロビーに戻ったら、80歳ぐらいのおじいちゃんとソファで向い合せに座って、あっち向いてホイをしていた。
 ヤギみたいなひげを垂らし、少しデザインの古めのスーツをだぶつかせた険しい表情のおじいさん。
どことなく品もあるので、明治政府の役人みたいな人だなとぼんやりと思った。

足が悪いのか、杖がソファの横においてある。
「あっちむいてぇぇ、ホイッ!」
ゆったりと横を向くおじいさん。
指先を上に向ける田中さん。
それをソファの横でただじっと立って見ている僕。
僕がロビーから離れて数分で、知らないおじいさんとあっち向いてホイをやれる田中さん。
どんなアプローチをすれば、知らないおじいさんと、あっち向いてホイができるのだろう。

まぁ…、たぶん、ふらっと近づいて、「あっち向いてホイをやりませんか?」ってストレートに聞いただけなのだろうな、いつもみたいに。
どんな社交性だよ、この人は。

普通のあっちむいてホイより、たいぶテンポが遅いのは、このおじいさんに合わせてあげているのだろう。
「じゃん・け……ぽいっ」
チョキを出した田中さんより、後出し気味にグーをだした、おじいさん。
「あっちむいてぇぇぇ」
田中さんがそう言うと、彼女の顔の直ぐ側に指を差し出した。
その指先がプルプルと震えている。
「ぽいっ」
おじいさんが右に指を向けるのより、やや遅れて田中さんも右を向いた。
わざと負けてあげいるのかな…。

「負けましたぁ」

と田中さんが言うと、険しい顔をしていたおじいさんがだんだんと笑顔にかわっている。

「さっ、次の現場、行くよ、田中さん」
僕がそう言うと、田中さんは立ち上がり、
「とても楽しかったです、鈴木さん。失礼し致します」
と言って頭を下げた。

鈴木さんというおじいさんは、手を横に振っている。
老人の手の震えと、バイバイを掛け合わせしてくれていた。
久しぶりに会った孫を見ているような、優しい表情だった。


 さっきゲロを吐いた猿は、すっきりしたのか、おやつのバナナをパクつきながら、激しくブランコを揺らしている。

小学生男子みたいな猿だな……。

その猿をぼんやり見ていたら、ふっと気が付いた。

あの……鈴木さんっておじいさん……スズキ建設の創始者とかだったら、どうしよう……。
スマホで調べればすぐに分かるのだが、………やめておこう。

今度は僕がゲロを吐きそうだ。

 今日はゴールデンウイークの最終日。
家族デートの動物園を楽しもう。

そぅ、楽しもう…楽しもう。

……明日から、仕事に行きたくない。

本当に、行きたくない。


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