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【創作大賞 お仕事小説部門】  コンプラ破壊女王 ⑦

7話 『土下座の新人研修』

 気象庁がやる梅雨明け宣言というのは毎年、『3日前から雨降ってないから、その日から梅雨明けって事で』的な態度が多かったのだが、今年は今日から梅雨明けですと、きちんと宣言をしてくれた。
 お昼をだいぶ過ぎた2時近くに、暑くて食欲がなかったので、ざる蕎麦ぐらいしか食べる気にならず、取引先の近所の蕎麦屋に入った。

「そんなに気を使わなくていいですよ」
昼飯代を出すよと僕が言ったら、田中さんにそう言われてしまった。
 そうは言うが、どうしても社長の娘さんと知ったのなら、どうしても気にかけてしまう。
でも、ちゃっかりデザートで抹茶白玉パフェを頼んでいた。


 田中さんが言うには、社長と言っても創業者ではなく、本社から雇われている社長なので、中間管理職みたいな立場なのだそうだ。
いつ社長じゃなくなってもおかしくはないらしい。
 実際に1年前に一度、本社から退任するように言われたのだが、後任者が見つからなかったので、やっぱり社長を続けてくれと言われたそうだ。

苦労をかけてしまっているな。

 テーブルにお蕎麦が置かれ、割り箸をわって、さぁ食べようかという時に、「係長」と田中さんに言われた。
「3ヶ月間、お世話になりました」
ペコリとお辞儀をしながら言われた。
「こちらこそ、勉強になったよ…………、田中さんの真似はしないけどね」
二人でフフフと含み笑いをしながら、二人で頂きますと言い、蕎麦をすすり始めた。
明後日まで二人で同行し、それ以降は独り立ちをする事になった。
ホッとするような……、でも、寂しいような。

「これっ見てくださいよ、千川係長」
田中さんが一枚の名刺を僕の天ざるの横に置いて見せてくれた。
デザイン事務所の名前の横に、フレンチブルドックのイラストが描かれてあった。
「田中さんが考えたイメージキャラ、さっそく名刺に印刷されたんだね」
「はいっ、昨日、私宛に社長さんからお礼のお手紙と一緒に送って下さいました」
二人でゾルゾルとざるそばを啜りあいながら、話を続けた。

「いやー……、いくらイメージキャラクターを頼まれても、フレンチブルドックなんか書いたら、叱られるかと思ったけど、気に入って貰って良かったね」
ぞるぞると啜りながら田中さんは「ちがいます」と答えた。
「二人きりで会議室にいる時に、ブルドックに似てませんか? と私が聞いたら、そうかなぁと言われたので、ホワイトボードに書きました」
ぶへぇっと言いながら僕はつゆ入れにざるそばを戻してしまった。

これで何回目だよ。

食ったり飲んだりしている最中に田中さんに何かを言われ、リバースさせられるのは。
僕はむせっ帰りながらハンカチをとりだして、口元をぬぐった。
田中さんはお店の出窓の所にあったテッシュを僕に寄せてくれた。

このひとの真似したら、地獄を見ることになる――。

生まれ持った天性なものを、田中楓さんはもっているのだろう。
普通、初対面の取引先の社長さんに向かって、顔が犬に似ているとか言い出さない。
描いて見せたりもしない。
それを褒められて、イメージキャラに採用されない。
そして、感謝の手紙など貰わない。
絶対に真似をしたら、駄目だ、絶対。


 ちょっと前に駅で、取引先の方とばったり会った。
「君の会社の女の子をうちの上司が気に入っちゃってさぁ……、落語をする子なんだけど」
あぁ、もうそれだけで、田中さんの事だなと分かった。
「どんな落語でしたか?」
「なんか裸でカゴに乗って宇宙に行って、最後、ガガーリンって叫ぶらしい」
なるほどね、田中さんだ、間違いない。
訳のわかんなささが安定しているな、田中楓さん。

裸の人がカゴに乗って、それが宇宙へと旅立ち、ガァガァーリィィン! って本当に叫んだんだろうなぁ…、どこかのオフィスで……。
普通のナイスミドルな管理職の男性が、田中さんによって無理やりに亜空間へと連れさられ、お花畑で手を繋ぎ、ピーヒャララと楽しそうに歌って踊っている姿が、目に浮かぶ。

普通は………、

落語をなんて、突然に他所(よそ)他所の会社の人に披露しない。
田中楓さんの真似したら、死ぬ。
台風が来ている時にサーフィンに行ったら、流される。誰も救助が出来ない。

真似をするな。

 ここ1年間ぐらい月間トップ賞を取り続けていたのだけれど、この調子ではあっという間に抜かれるだろうな。

勝てるハズが無い。

 妻に、今、目の前でズルズルと蕎麦を啜っている『ぶっとび社長令嬢』の話をした。
ふむふむと話を一通り聞いてくれた後に、「私はその人、パパちゃんが言うほど、変な人ではないと思う」と言われた。
 たぶん、人と人とが揉めたりしている所を見ているのが辛くて、その間に割って入って、その場で思いついた行動を起こす人なんだと思う、と。
 それにしても、その行動がぶっとびすぎていると思うのだが。

まっ、妻も、天然な所があるし。
駅に着いたら、とりあえず目の前に電車があるからって行き先も調べずに乗り、
「今、新宿のどこらへん?」
と聞いたら、
「もうすぐ八王子……、ごめん反対方向の特急に乗っちゃった」
って言う人だからな。
 田中さんは首コルセットを外してからも、特にエキセントリックな行動はしなかった。
僕も充分に気をつけていたし。
交渉事が長引きそうになったら早めに切り上げたり、危険そうな物を排除していった。
前に、他所の会社の会議室のアワイトボードにあった『指示棒』をおもむろに取ろうとしていた。
僕は、そうはさせるか、と、田中さんの手首をガッと掴み、『やめるんだ』と目で訴え、首を振った。

この指示棒で、フェンシングをしませんか?
この指示棒で、野球いたしませんか?
ボールはこのペンのフタで。
この指示棒を頭に乗せている間に係長はサルサを踊っていて下さい、それをお客様は瞬きをしないで見ていて下さい、絶対ですよ。よーいスタート!
この指示棒を……、指示ー…。指示……。し……し…。

「もう戦国武将の話をしないんですか?」
蕎麦を食べ終わり、ざるそばセットのお盆を下げられた後にパフェがきた。
それを食べる前に、戦国武将列伝のリクエストをされた。

なんだ、結構ハマってたんじゃん。
「2年前に、真田丸って大河ドラマやってたじゃん、あれって結構よくできててさ」
関ヶ原の戦いの前の上田城の戦いの話をメインに語り始めた。
田中さんは話を聞いているのかいないのか、パフェをスプーンでゆっくりとほじくり返して、『あっ! こんなの入っている』と、幸せそうな顔をして中身を確認している。
 こうゆう所を見ていると、妻の言うとおり、ごく普通の女性なのかなと思った。
足を伸ばしたくて椅子の横に座り、背もたれを脇に挟んで、『兵力の差が10倍なのに徳川軍を蹴散らした真田家のスゴさ』を熱く語っていた。

エアコンの風があまり僕に届かず、汗が止まらないので、冷えたおしぼりで額をぬぐった。
僕は人の顔を見ないで好き勝手に喋り続けていた。



話も終盤になり、ふと田中さんの方を見ると、顔色が変わっている事に気がついた。
パフェがまだあと3口ぐらい残っているのに、スプーンをテーブルに置きっぱなしにし、手はテーブルの下にある。

首は垂れて目は下を向いていた。

先生に叱られている子供のように体を縮こませている。

「どうしたの?」
僕がそう聞いても答えようとはしない。
唇も少し震えている。急に気配を消しているようだった。
「楓」
僕の背中から男性の声がした。
振り向くと、梅雨明け宣言をしているにも関わらず、きっちりとスーツを着ている30代半ばくらいの男性が蕎麦屋の入口で立っていた。
 何かのスポーツをやっているらしく、肌の黒さとがっちりとしている体格が相まって、スーツが良く似合っている。
男前がそこに立っている、と感じた。

 部下らしい人が店に入ろうとしていたのだが、「ちょっと外で待ってて」と促(うなが)した。

「知り合い?」
名前を言えたのだから知り合いに決まっているのに、田中さんに聞いてしまった。
 俯い(うつむ)たままでいる。
「楓、ちょっと外に出てもらってもいい?」
そう言われてもピクリとも動かず、痛くて辛そうな目をしている。
狭い肩幅をより一層小さくしている。
今まで一度も見たことがない田中さんの表情だった。
 4人組でぺちゃくちゃ喋っていた女子大生たちも、3人で食事をしていた会社員の人たちも、狭い店内で黙って見てみないフリをしていた。

 お店に迷惑がかかると思い、僕が間に入ってなんとか場を収めようとした時、男の人はこっちのテーブルまで歩いてきた。
そして、テーブルの前まで来るとゆっくりとしゃがみはじめた。

えっ……この人……今から、何を始めるの?

と、周りがびっくりしているのもつかの間、
背の高い彼の頭が、だんだんと低くなり、テーブルの高さまでくると、膝を折って、正座をした。
 女子大生の席に白玉ぜんざいを運ぼうとしていた、エプロンをつけている高校生ぐらいのお店の女の子が、通路を塞がれて困っていた。 
正座の姿勢のままから体を田中さんの方に向けた。

「私の不徳の致すところ、多大に辛い目に合わせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
と店内に響き渡るような声で言い、手をついてゆっくりと頭を下げた。

遅めのランチで、まったりと過ごしていたお店の雰囲気の中での、突然の土下座。
誰も指1本も動かせられなくなり、店内が緊張感で静まり返った。

そんな中で僕は一人、土下座ってこうやるんだ……、と思っていた。
 まず正座をしてから謝罪の言葉を述べ、それから手を添えてから頭を下げる。
そうゆう作法だったんだなあ、と。
僕の土下座はいつも、相手の靴めがけてザザーと正座をしながらヘッドスラインディングのように滑り込み、「すんませんでしたぁ」と半泣きの声で謝っていた。
なんでだろぅ……、たぶん、一秒でもいいから早く頭を下げた方が、誠意が伝わるような気がしていたからだと思う。
謝罪の言葉を述べてから、頭を下げなきゃいけなかったんだ――。
新人研修で習わなかったなぁ、土下座。


 それでも田中さんは動こうとしない。
 経験上、頭を上げて下さいという人がいないと場が収まらないので、僕がその役目をやろうと思い、椅子を引いて立ち上がろうとした時、田中さんの方が先に勢いよく立ち上がった。

 空席のテーブルの上にあったプラスチック製のお冷ポットを殴るようにとってから、男の人の前でしゃがんだ。
土下座をしている人のつむじのそばに、田中さんの膝小僧を摺り寄せた。

そして、怒気をおびた目で、何も言わずにポットを傾けた。
 近くにいた女子大生が「ヒッ」と軽く悲鳴を上げた。
 男の人の後頭部に水が注がれ、それが辺り一面にはじけている。
僕のズボンと革靴もにもかかってきた。

 透明のポットの水面に合わせて角度を傾けて水を流し続けている。
 店内が無音だったので、水がぴちゃぴちゃと跳ねる音がよく響く。

 1リットル近くあった水を出し切ったのだが、それでも気が収まらないらしく、ポットを揺らして水滴を浴びせている。
 自分の遺恨を搾り出すように、何度も何度も振っている。
 もう一滴も落ちてこないと傾けるのを止めた。
 もぅおしまいかなと思ったら、今度はポットの蓋を開け、氷を頭の上にボタボタと落とし、後頭部にポコポコと当てていた。

 その後、ポットを床に置き、男の人の襟首を左手で掴み、右手でワイシャツの襟を広げ、首筋に空間を作った。
そして左手で氷を4個くらい握って、裾の中に滑り込ませ、背中に氷を押し込んでいた。
徹底的にダメージを与えたいようだ。

 次の氷を掴んだ時に、こりゃもうヤバイと思い、僕は立ち上がって土下座をしている男の人の腰に腕を回して抱き抱え、「外に出ましょう、外へ」と店外へと引きずりだした。


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