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【創作大賞 恋愛小説部門】 素足でGo! ②

2話 『宇宙銃をオフィスに常備』

大きいマフラーを巻いている女の人と一緒のエレベーターに乗った。
白いブラウスの上に、薄い生地の紺色のカーディガンを羽織っている。
涼しそうな服装なのにもかかわらず、マフラーっておかしくないかな、と思った。

もう5月の中旬だというのに。

暑苦しいだろうよ、と横目でチラッと見ると、首にコルセットをつけているだけだった。
白と黒の線の入ったボーダー柄で、よく見ないと気づかない、おしゃれなコルセットだった。
頭が小さいからなのか、凄く目立つ。
どんな人がコルセットをつけているのかな、と、エレベーターの正面のガラス越しに、僕の横に立っている女性の顔をみたら、楓さんだった。

楓さんも、僕の顔を見ていた。
目が合って少しびっくりしたらしく、軽く会釈をしてくれたので、僕も会釈をした。
緊張するな「首、大丈夫ですか?」ぐらい言ってみようかな。

2月に大雪が降った日に、怒っていたお客様の相手をしてくれた。

あの時のお礼をずっと言えないまま、3ヶ月も経ってしまった。
楓さんは4月の人事異動で隣の営業部に移っていた。
今、言ってみようかな、と、思っていたらエレベーターの扉が開いた。

総務部の主任が入ってきた。
僕はエレベーターの後ろの方に下がった。
「あら、楓さん、どうされたの、その首」
度がきつくて重そうなメガネを押し上げながら聞いた。
「昨日、取引先の本部長さんと相撲を取ったら、痛めました」
主任は自分の行きたい階を押し、「相変わらず、おバカねぇ」と言い、二人でウフフと笑っている。
「でも私、勝ったんですよ、おかげで仕入れ値がこっちの条件になりました」
「あら、あなた、相撲で仕入れ値、決めてるの? それは、おめでとう」

仕入れ値を相撲……、なんじゃそりゃ…。

二人の会話を、壁に寄りかかりながら聞いていた。
「あらっ、そうだっ! 楓さん!」
そう言って主任は、楓さんの腕を軽くパシッと叩いた。
「給湯室のカニ、あなたの仕業らしいじゃない!」

今度はなんだろう……、カニって…。

「はい、すいません、タラバカニをほったらかして近所の一〇〇均でカニ専用ハサミとスプーンを買いに行っていたら………給湯室から脱走したらしいですね」
「そうよ! 廊下で急にギャーッて叫び声がして、エイリアンがぁー、廊下にいるぅぅって、叫びだした子がいて」

うわぁ……、そりゃびっくりするだろうなぁ。

生きているタラバガニが廊下をカサカサとこっちに向かって歩いてきたら。
「そしたら花江さんが、何をバカな事を……うぎゃーホントにいるぅぅ…………
誰か! 宇宙銃! 宇宙銃もってきてぇ! って言い出したのよ」

あははは、宇宙銃! 分かるよ花江さん、宇宙銃。

あの先端がソフトクリームみたいになっていてビームを何発も打てる、あれでしょ。
けど、消化器みたいにオフィスに常備してないって、宇宙銃。

「あ・な・たは、どっから来たのよぉ! ってみんなで言いながら、給湯室に閉じ込めたのよ、コロコロの椅子で威嚇しながら」
「よく給湯室だって分かりましたね」
「廊下にタラバカニが通った濡れ後が、あった・の・よ!」
『の・よ』に合わせてまた楓さんの腕をピシッと打った主任。
そのあとまた二人でまた、クククっと笑い、肩を揺らしている。

主任と楓さんは、仲良しだなぁ。

 楓さんは目的の階に着き、扉が開いたので外に出て行ってしまった。
今日もお礼が言えなかった。
「あっ、そうそう、楓さん」
主任が扉を『開』のボタンを押しながら言った。
楓さんは首が動かせないので、体ごと振り返った。
「帰りに総務部に寄ってきなさい、その首、労災に申請書を出しましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
業務中に相撲を取って怪我をしたら、労災っておりるんだぁ、知らなかったな。
楓さんは、両腕を床に向けてピッと伸ばし、上半身だけのお辞儀をしていた。
そうしないとバランスがとれないらしい。
体育会系の『あざーす』みたいになっていて、可愛くてつい、関係のない僕までお辞儀を返してしまった。

 扉が閉まった。
そしたら、扉のガラスに写っている主任と目が合った。
「何、笑ってんのよ」と笑顔で言われた。
「2人の会話が面白かったので……つい」
入社して以来、初めてこの人が笑っているのを見た。
些細(ささい)なミスでも、ネチネチと大げさに嫌味を言ってくる人だったのでけっこう苦手だった。
仕事中はいつも能面のように無表情の人なのだが、笑うとけっこう愛嬌がある人だったんだな。
楓さんは、誰とでも打ち解れる人らしい。



最初に楓さんと会話ができたのが、営業部一課と二課の合同で暑気払いの飲み会をしている時だった。
あの日は確か、梅雨明け宣言された暑い日だったと思う。

20人くらいが座れる座敷部屋だった。
楓さんは社長の一人娘だって事がこの頃に判明し、ほとんどの独身男性は退いて行った。
でも逆に、『社長の一人娘だからこそ』という猛者もおり、そういう人達が、入れ替わり立ち代り楓さんの隣の席に来ては、売れない芸人がテレビに出ているときのように必死に自分をアピールしていた。
普段の営業もそれくらい頑張れば成績もあがるだろうに。

「楓ちゃん、あそこに逃げなさい」
疲れ気味みの楓さんを部長が気遣い、壁際の席に移ってもらって、隣の席は千川係長だけしか座ってはいけないルールになった。
そしたら僕の隣が千川係長になり、その隣に楓さんが座り、その横は花瓶と掛け軸が飾ってある床の間になった。

千川係長が途中、たばこを吸いたくて席を立ったので、座布団一枚を挟んで楓さんと隣同士になった。
話しかけるか、躊躇した。
もう落ち着いてゆっくり飲みたいだろうとは思ったが、落語のお礼を言うくらいは大丈夫かもしれない。
「すいません、楓さん」
スルメイカを両手で持って歯で引きちぎっている楓さんに話かけた。
「首、もう大丈夫ですか?」
首コルセットを外して2週間くらい経ってはいたが、心配だったので聞いてみた。
楓さんは首をコクンと頷いた。
「前に……、落語を披露してくれたじゃないですか? 有難うございます、本当に助かりました」
その時の取引先の方に会うたびに、楓さんの話ばかりする、という事を話しているのだが、あまり僕と目を合わさず、「ありがとう」と短く言っただけだった。
 疲れているのかな、と思い、軽く会釈だけをして話すのをやめた。
 その後は楓さんの方を向くのが気まずかったので、反対側の人の雑談に適当に相槌を打っていた。

「ごめんなさい。大輔さん」
しばらくしたら、楓さんが僕の肩を軽く指で突いてきた。
千川係長の座布団までにじり寄って僕の隣に座った。
「えっ……とですね、ごめんなさい…、あのちょっと意識しちゃってて、大輔さんの事」
意識しちゃって、という言葉で僕はドキッとした。
「わたし…田中大輔って聞くと、少し緊張といか……クラッとくるというか……」
あれっ……これってもしかして告白されるやつなのかも……。
「なんでですか」
普通に言わず、『二の線』な男前の口調で聞いた。
「大輔ってこうゆう字でしょ」
と自分の手の平で僕の名前の漢字を書いている。
「えぇ…まぁ…」
そう答えたが、綺麗な指先と手の平に見とれてしまい、どんな漢字をたどったか分からなかった。
「平成4年生まれでしょ……」
「はい、そうです」
楓さんは自分の席の梅酒に手を伸ばし、それをコクッと飲んだ。
「弟が5歳の時に病気で死んじゃったんだけど、弟と同じ名前と年齢なんですよねぇ」
あぁ、そういう事だったんだ――。
あれっ…でも僕より年上だったんだ楓さん、てっきり僕より2つぐらい年下かと思っていた。
「もし大輔ちゃんが生きていたら、大輔さんみたいな大人に成長してたのかなぁ…といつも思っていまして……ふふふ……輔さん仮面ライダー好き?」
「昔は、好きでした」
「そう、私よく怪獣役やらされてたんですよ」
そう言いながら、楓さんは両方の指をチョキにしておでこにあてた。
たぶん、何かの怪獣を模写しているのだと思う。
クスっとお互いに笑った後、楓さんは僕の隣でポツポツと話を始めた。

でもあまり話の内容が頭に入ってこなかった。
それより、間近で見れる楓さんの顔をぼんやりと見とれていた。
唇が、開いたり閉じたり。
小首をかしげたぞぉ、おっ、瞬きしたな…とか。
「うちの父もね、もしかしたら同じように、大輔さんを見ているのかもなぁ…」
そう言いながらまた、梅酒を口にした。

………本当にそうなのかも。

あれだけ就職氷河期で落ちまくっていたのに、ここだけトントン拍子で受かったのは、ひょっとしたら亡くなった息子さんと同じ名前と年齢だったからなのかなぁ。
「私が19の時に母親が亡くなる前にね、病室でボソッと、死ぬのは辛いけど大輔ちゃんに会えるから嬉しいって母が言った時、ショックだったけど……、でもこの歳になったらちょっと分かるなぁ」
タバコから帰ってきた千川係長が和室の部屋に戻ってきた。
人の背中と壁の狭いすき間をヨロヨロと歩いてくる。

チッ…戻って来なくていいのに。

「おっ、仲いいじゃん二人とも……うぃ…」
楓さんは梅酒のグラスを持ちながら「大輔さん、うちの弟と同じ名前なんですよぉ」と言って自分の座布団に戻った。
どっこいせぇのせぇと、言いながら僕と楓さんの間に座る千川係長。
「大輔さん、長生きしてね」
ハイタッチを僕としようと手の平を突き出してきた。
「はいっ!」
具体的に長生きって何をして良いのか分からなかったが、元気良く返事をし、差し出してくれている手に僕は手の平を重ねた。
 千川係長は自分の顔の目の前に重なっている手をうっとうしそうにしている。
楓さんはわざと千川係長のおでこにぶつけたり、鼻にぶつけたりして遊んでいる。
どーん、そう言って俺と楓さんの重ねていた手の間にチョップを入れて、分断した。

その後は楓さんと会話をする事が出来なかった。

理由は、楓さんの隣の床の間の、畳の半分もないスペースに、酔っ払った先輩が無理やり入ったからだ。
ムチムチとした身体をところてんのように強引にねじ込み、手に花瓶を持ったまま、正座をしていた。
「楓さん、僕にはデカイ夢があるとです」
独居房よりも狭くて息苦しい空間で、精一杯に身体を縮こませながら、先輩は大きな夢を語っていた。



 僕にだけ態度が違うと思ってしまった――。

会社から帰る時に、みんなには「お疲れ様」だけなのに、僕には「大輔さん、お疲れ様」と言って手を振ってくれる。
 出張に行ったお土産を配っている時に「中途半端だから大輔さんには2個あげよう」と信玄モチを二つくれた。
 雨の日の朝、会社に着いたら「大輔さんの傘ポンをやったげよう」と楓さんが僕の傘を取り、機械に傘を入れてビニールを被せてくれた。

 それらの事を担保に告白をした。
振られた――。

 会議が終わり、会議室に一人であと片付けをしている楓さんを偶然みつけ、食事に誘った。
キョトンとただ僕をみている楓さんにもっと直接的な事を言おうと、
「付き合ってください」
と言ったら、切なそうな表情に変わり、首を横に振られてしまった。
「突然に、ごめんなさい」
僕はそう謝って会議室のドアを開けようとしたのだが、開かない。
今すぐここから消えたいのに。
「ひくの」
この部屋どころか、世界からいなくなりたいぐらいなのに、扉がどうやっても開かない。
「ひくの」
そりゃ、ひくよな………自分の弟と同じ名前ってだけで優しくしてくれていただけなのに、調子に乗って僕って奴は……。
「あれっ…おかしいな……なんじゃこりゃ…」
ドアノブを何度もガチャガチャとひねっても開かず、扉をむやみに叩いたりしてもみた。
「大輔さん、そのドアは押すんじゃなくて、引くのよ」
ドアを引いたら扉が開いた。
あは……あははは…、自分でも気色悪いと感じる笑い声を出しながら、楓さんの顔を見ず、逃げるように部屋を飛び出た。


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