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【創作大賞 お仕事小説部門】  コンプラ破壊女王 ⑧

8話 『笑顔がみたいから』

「何を飲みますか!」
蕎麦屋から50メートルくらい離れた所に公園があり、そこまで二人で歩いて行って彼をベンチに座らせた。
 公園の自販機にコインを投入し、聞いたのだが、俯いたまま答えないので、500ミリリットルの水と自分用の缶コーヒーを買い、はいどうぞと差し出すと、口では礼を言わずに会釈だけをして受け取り、蓋を開けて一気に半分近くまで飲み干した。
 きちんと整髪料をつけていた髪の毛がびしょびしょに濡れて乱れている。
スーツも背中の半分と胸元まで、お水で色が変わっていた。

「これっ使います?」
僕の汗をいっぱいに吸っているハンカチを手渡し、僕は彼の横に座った。
 ハンカチを手渡され、自分が今、水浸し(みずびた)になっている現実にはたと気づき、慌てて拭き始めた。

「あのぅ…」
25歳ぐらいの細くて頭の良さそうな青年が声をかけてきた。
「あっ、悪ぃ……先に会社に帰ってくれ」
男の人がそう言うと、彼は失礼しますと頭を下げて去っていった。
礼儀がきちんとしている。
よっぽど彼との関係性がいいのだろうな。

 僕はコーヒーの缶を開けて飲んだ。
彼は僕のハンカチで何度も頭を拭き、絞ってはまた拭いていた。
ハンカチ程度では1リットルの水は無理だろうな。
エリートでプライドの高そうな彼が、冷や水をたっぷりと浴びて、さぞかしびっくりしたのだろう。

僕は、さっきの彼の土下座に、少し違和感があった。

あんな場所で突然に土下座をされたら、相手は迷惑だろうに。
本当に、申し訳ないと思っているのなら、もっと違う謝り方があるはずだ。
こんな完璧な俺が、土下座をしているのだから、お前は許すに決まっている。
そんな傲り(おごり)みたいなモノを僕は彼から感じられた。
偏見かもしれないけれど。

「楓とは2年前に離婚しました」
僕のハンカチをギュッと絞りながら、彼はおもむろに話をはじめた。
なんのブランドか知らないが、彼の高そうな靴のまわりに、軽い水たまりができている。

「そうなんですか……」
素っ気ない言い方で誤魔化したが、心の中ではびっくりしていた。
結婚していたんだ、田中さん。
よっぽど色々なことがあったのだろうなぁ、この人と。

「当時、自分の会社の経営が傾いていて、借金がひどくて、楓を風俗に…」
「ちょ、ちょ、ちょっ、ちょっと待ってくれよ!」
聞きたかねぇよ、そんな話!
なんだよ、この人! やめてくれよ。
「あのさっ、君、変だよ、変! お店の迷惑も考えないで土下座して、なんか勝手にしゃべり出して、あれだよ! あれっ……変だよ! 変!」

頭が真っ白になり、何て言って良いのか分からず、変という言葉を連呼する事しか出来なかった。
「あのさっ、何? 君! 要点だけ言ってよ! 田中さんと復縁したいとかそうゆう事?」
声を荒げた僕に少し驚き、ペットボトルの水をまたグイっと飲んだあと、すいませんと軽く謝った。
この男の人はたぶん、自分の事しか考えないタイプなのだろう。

「えっと……殴られたんですね、お父さんに…」
お父さんに殴られた?! ……だから何なんだ。

「その…しつけというかさ、うーん……30過ぎてる息子でも殴るのは、やっぱ育ての親の宿命というか……、でもそれ、田中さんと関係なくないですか?」
男の人は、少しびっくりした目で僕をみた。
「あっ…違います、俺の父親ではなく、楓の父親に殴られました」

「はぁ?」

社長が? あの社長が! お人好しの化身みたいな人が! 
田中さんと顔がそっくりの顔をしたあの社長が! いつも会議で、維新の志士の格言ばかり言ってるあの社長が!
それはないだろう。あの人は人を殴ったりはしない。
怒っているとこ、一度も見たことないもん。
「それは……ないんじゃないかなぁ」
「いえ…、殴られました。マンションのエントランスで。離婚してすぐに用事があって実家に行った時に、娘は旅行に行っていると言われ、2週間経っても言われ、2ヶ月経っても言われたので、楓が居るのは分かってんだぁと、俺が叫んだら、殴られました」

社長………。

僕は缶コーヒーをぎゅっと握りながら、目を強く瞑った。

社長……。

屈みこみ、缶コーヒーの飲み口をおでこにあてた。
自分の身体が少しワナワナと震えている事を感じた。
「そのまま二人で最寄りの警察署に行って、私はこの方に暴力をふるいました、と入口のカウンターでお父さんが言って、加害者と被害者でふたつに別れて取り調べをして、その時、おまわりさんにこっぴどく俺も叱られて、それで目が覚めました」

社長…………。

今時、会社の社長が暴力なんて振ったらヤフーネットニュースにのったりするのに。
僕は涙を流しそうになっていたが、必死に耐えた。

「被害取り下げの用紙を出して、訴訟をしない誓約書をご自宅に送っているのですが、なかなか受け取って貰えなくて……」
少し泣き出した涙をごまかすために、目をゴシゴシと拭いた。
缶コーヒーをグイと飲んだ。

「いいんじゃないですか……別に2年前の話だし……」
そう言ったあと、他所様の問題に僕がいい加減な事を言うのは良くない事に気がつき、
「ごめんなさい、今のなしで……えーっと、僕が直接、社長…じゃない、田中さんのお父さんに言っときます、それでいいですか? で? 他には?」

「何もないです………」
「そう……それじゃ」
と言ってベンチから立ち上がり立ち去ろうと歩きだした時に、「あのっ! ハンカチ、お返しします」と言われた。

 僕は、いらないです、差し上げますというジェスチャーで返した。

もうこの男の人のそばをすぐにでも立ち去りたかった。
この人の自分勝手のオーラの渦に巻き込まれたくなかった。
でも、一言だけ言いたくなってしまった。

「剃髪(ていはつ)ってわかりますか?」
「ていはつ………ですか? 分かりません」
「髪を坊主にするって事です、田中さんは2ヶ月間………何っていったっけなぁ、すいません………、修行僧みたいな恰好で四国のお寺を80個ぐらい歩いて回る、なんとかって事をしていたらしいです。」
彼は絶句した目で僕を見ている。
今更、そんな顔したって遅いよ、君。
さっきの安っぽい土下座なんかで、許されるような事じゃないんだよ。

「実はですね」
と彼が言ったのと同時に僕は、
「あなたは…」
と言ってしまい、かぶってしまった。

お互いに、発言をさきにどうぞと譲り合った。

 僕が言おうとした事は、どうでもいいことだったので拒んだ。
だけどあまりに、どうぞとしつこいので、先に言う事にした。
「あのさぁ、楓って呼び捨てにするの止めません? 今は他人ですよね、…………で、実は、なんなんですか?」
彼は何かを言おうとしたのだが、口を噤んだ。
「いえ………なんでもないです」
あっそっ…とだけ短く言って振り返り、公園を後にした。



蕎麦屋の入口の前で田中さんが立っていた。
夏の始まりの日差しのせいでアスファルトに陽炎が立っている。

顔を見るのが少し辛い。

少しずつ距離が縮まるにつれ、なんと言って話を切り出して良いのか分からなかった。
けど、僕が蕎麦屋の前に立つやいなや、「申し訳ございませんでした」と田中さんに頭を下げられてしまった。

あぁ……この子が人に頭を下げる事なんてあるんだな……。
想像もしていなかったよ。

「いいって、いいって、気にすんなってぇ」
そう言っても一向に頭を上げようとしない。
仕方なく、抵抗はあったが、両肩を両手でそっと掴み、頭を上げてもらった。

「ドンマイ、ドンマイ」
それでも田中さんの沈んで曇った顔のままだった。
気まずかったので、とりあえずお会計を済ませてこようとポケットから財布を取りながらお店のドアを開けようとした。

「あっ! それなら大丈夫です」
と言われて今度は僕の腕を捕まれた。

「お金は払わなくて大丈夫です」
「なんで……」

えっと……、と言いづらそうにしている。

「モップをお借りして掃除をしていたら、あまりにお店の雰囲気が気まずかったので、あの人は私の元ダンナです、借金が凄くて、私は風俗に売られそうになりました、と言ったら……、」

あぁ…なんだ………売られそうになっただけなんだ……よかった。

「向かいに座っていたサラリーマンの人達が、そいつぁ冷水ぶっかけるわなぁ! と言って、私たちのお支払いをしてくれました。大学生の女の子たちも掃除を手伝ってくれました」 

あぁ……そうなんだ。

てっきりお店の人に迷惑をかけたから「金はいらねぇ、二度とくるな」みたいな事でも言われたのかと思った。

 僕を掴んでいる手をほどき、ちょっとお礼を言ってくると、扉をガラガラと開けた。

「あのぅ……」
とお客さんが一斉にこっちを向いた。
「どなたがお支払いを…」
と僕が言ったら、いいからいいからとサラリーマンの一人が席を立ち上がって言い、他の人たちも払わなくて良いからと笑顔で手を振ってくれた。
この人たちで割り勘にしてくれたのかな。

 大学生の女の子たちも手を振ったり、片手でガッツポーズを取っている。
 僕の脇の下から田中さんがひょっこりと顔を出していたので、それに向かってやっている。

 お店の厨房からご主人が出てきた。
帽子を取って短髪の白髪まじりの髪の毛を見せ、
「また来てね」
と言ってくれた。
 その横にいてお盆を持った女の子も、笑顔でペコリと頭を下げてくれた。

 誰ひとり、元夫婦の痴話喧嘩をいやらしい気持ちでみないでくれていた。
「どうも美味しかったです。また伺います」
そう言って扉をゆっくりと閉めた。

ふぅと息をついた。

僕は田中さんと向き合い、しばらく見つめあった。
「みんな、いい人たちだったね」
「はい!」
田中さんは、いつもの笑顔になってくれた。

 その笑顔が、鳥肌が出るくらいに可愛かった。

色々な事があって、それを乗り越えて、今のこの笑顔なのだろう。

なるほど、この笑顔が見たくて、みんな田中さんに優しくするんだね。

ぶっとび社長令嬢こと、エキセントリック楓さんの謎が少し解けたような気がした。

僕は時計を見て、「ちょっと急ごうか」と言って歩きだした。
「はいっ、係長」と言って田中さんがついてくる。
 
夏が今日から始まった灼熱の街を、次のお得意先を目指して二人で歩いた。
汗を拭こうとポケットに手を突っ込んだのだが、ハンカチを例の男に上げてしまった事を思い出した。

「これっ使ってください」
田中さんが僕にハンカチを手渡してくれた。
 ブルーの下地に、トマトが描かれている、夏らしい絵柄のハンカチだった。


     了



あとがき
ある日、会社から自宅に封筒が届きました。
開けると社内の『コンプライアンス委員会』なる組織からだった。
表彰状とか卒業証書並みに紙質が分厚かったので、なんか褒めてくれるのかと思った。
内容は、
僕が何々をした違反から、金十万円を給料から天引くうんぬんと書いてあった。
一通り読み終わった後、紙を真っ二つに引き裂きました。
紙質が良かったので、大変に良い音がした。
腹が立ったので『コンプライアンス委員会』のメンバーを調べたら、なんて事はない、単なるうちの会社の経営者で組織されていた。
だったら、直に上から言えばいいじゃんか!
ちゃんと、第三者視点で見てますから! 的な態度。

俺たちが法律。
俺たちが倫理。
俺たちが法律じゃあ!
って事なんだろう。

あーあ……どこかに『コンプライアンス委員会』に盾突くスーパーヒーロー現れないかな、とか思っていた。
委員会の人たちが、「コンプラ、コンプラ」言っててごめんなさいと、謝ってくれるような人。
そんな事を悶々と日々を過ごしていたら、この小説『コンプラ破壊女王』を書いていました。
書いていたら楽しくなってきてしまい、金十万払わされた怒りも浄化されました。
気が澄みました

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