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気温25℃の朝がエモい理由

終わりを感じてしまうから。

今朝の気温に秋の訪れを感じ他のとともに、いわゆるエモさを感じた。

この季節のこの気温はエモさを感じるのは当たり前のようになっている。
大体は、フジファブリックの「若者のすべて」を聴いてエモくなるという話を嫌というほど耳にする。

エモくなるシチュエーションがわかっても、その正体がなんなのかいつもわからずに終わる。

でも今朝初めてわかった。このエモさは終わりを感じるということだと。

毎日続く夏休みの部活も、もうあと少しで終わりか。と気づいたのもこの気温だったと思うし、
真夏に行った旅行。最終日の明け方の気温もこれくらいだった気がする。

僕はヒッチハイクした時のことを思い出した。宿泊場所を見つけられずに、漫画喫茶で夜を明かした日。明け方の京都で気だるい体を引きずって鴨川まで散歩したことを覚えている。
鴨川に本当に鴨がいるというしょうもないことで一人で盛り上がっていた。鴨川等間隔の法則をお目にかかることはできなかったが。そんなことはどうでもよかったのだ。強引に進んでいく時間の中で着実に近づいてくる旅の終わりを確かに認識したんだった。

日差しはどこか柔らかくて真夏のようなとげとげしさがない。風も少し乾いているのか、肌にまとわりつかずに過ぎ去って行ってしまう。

毎年これくらいの気温の季節、僕らは終わりがあることに気づいてきたんだった。

また夏が終わりを迎えようとしている。

終わりが見えてしまったからこそ、焦って何かを頑張る。無計画な僕は毎年そうやって帳尻を合わせて生きて来た。

今年は初めて長い夏休みがなくなった年。

僕の夏はまだ始まってすらいない。

始まる前に終わりを感じてしまうのはどこか寂しい。
こうやって生活は変わっていくんだな。とちょっと悲しくなっている。

始まらずに終わってしまったことを思い出す。
「久しぶり、元気?」
と昔好きだった人から、メッセージが届いてくれればいいのに。

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