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チームラボプラネッツ TOKYOがスゴかった件

おはようございます。

先日、豊洲にあるチームラボプラネッツ TOKYO DMMへ行ってきました。いく前までは、「インスタ映えする綺麗な空間」というイメージしかなかったのですが、実際に体験してみると人間の感覚に対する哲学が編み込まれたスペクタクルとなっており、想像以上に良い体験ができました。

今回はその感想を書いていきます。

1.入口

新豊洲駅から徒歩3分、豊洲駅から徒歩15分。ライブ会場のような箱がドンと構えている。事前に購入した チケットのQRコードを準備して並びます。

全く調べていなかったのですが、このスペクタクルは水や全面ガラスを使ったものが多いのでロングスカートや大切なズボンを履いてこない方が良いみたいです。もちろん、必要ならばハーフパンツの貸し出しもあるそうなので万が一のことがあっても大丈夫となっております。

2.視覚が奪われる空間

スタッフの説明を聞く。

1.荷物はスマホ、カメラ以外はロッカーにしまってください。
2.裸足になってください。
3.1周目は、水のエリアへとお進みください。

なにがはじまるのだろうか?

指示に従い、ロッカーに荷物を預ける。身軽になったわたしは水のエリアへと吸い込まれていく。暗くて細い道。せせらぎの音が聞こえてくる。足元に冷たい感触が注ぎ込まれる。

水だ!

我々は、水の流れに逆らいながら坂を登る。まるでサケが遡上するように。

次は、柔らかい丘が広がる暗き通路を進むこととなる。全身を使って移動するのだが、一歩進むと身体が沈み込む。ハイハイして進もうとするが、なかなか思ったような動きができない。我々は日頃、無意識に身体を動かす。それは精神と肉体が結びついている状態を自覚していないことでもある。この空間では「思ったように動けない」状況を通じて、精神と肉体の関係を意識下に浮かび上がらせるものとなっている。

3.光はあるが我々は何も見えていない

そして、仄暗い空間を抜けると、光が差し込んでくる。全面に鏡が敷き詰められ、ライトの鎖が動線を作る。そして、色彩豊かな光の流れが空間の空気を作っていく。闇により視覚を奪われ、触覚が研ぎ澄まされていく空間と対照的な空間になるかと思いきや異なる。今、我々は光を得て視覚が解放されている。しかし、無数の光の粒と鏡による反射により視覚の主導権は空間に握られてしまっているのだ。そのため、方向感覚がわからなくなる。光の誘導によって空間を彷徨うこととなるのだ。

「あなたはまだ何も見ていない」という事実を突きつけられる。

再び、闇の通路を彷徨うとスタッフが現れて、

「ズボンの裾を高く上げてください」と指示される。

それに従い、闇の先を目指す。

すると、白濁した水が足元へと流れ出す。そして眼前に現れたのは、電子鯉と色彩が生暖かい液体の中でゆらめく空間であった。光は、来場者の背中、顔を媒体として液体から飛び出してくる。ファンタジー映画のような煌びやかな世界がそこにあった。

4.コントロールされ続ける我々の感覚

さらに進むと床が鏡のプラネタリウムへと辿り着く。方向感覚を失い、宇宙空間を彷徨っているような感覚に襲われた。視覚を闇と光の側面から奪い、触覚を刺激した末に現れるプラネタリウム。これは感覚が研ぎ澄まされているのだろうか?恐らく違うだろう。徹頭徹尾、感覚は空間に支配されていたのだ。

例えば絵画を鑑賞するとき、我々は美術館の空間と分断された中で絵画へ眼差しを向ける。絵画に没入することもできるが、物理的世界と絵画の中の虚構との間に一定の距離感がある。我々は一歩引いたところから絵画を鑑賞する。

しかしながら、我々の感覚をコントロールし、全面が虚構の世界へ導かれたとき、我々から物理的空間と虚構との境界線は既に奪われている。その証拠に、画が開店しているだけにもかかわらず「空を飛んでいる」と触覚が錯覚しているのだから。

それを考えると、チームラボプラネッツは単なるインスタ映え空間ではないことがよくわかる。

5.植物の世界

2周目は自然のフロアとなっている。苔の丘の中に、人工物である金属卵が無数に置かれた空間だ。これは『2001年宇宙の旅』における荒野にモノリスが置かれる異物感と同等のものを感じる。自然の中の異物。それを通じて自然とは何かを考えさせる空間となっているのだろうか?

最後に、下から見る植物園エリアへと案内される。床面ガラスの空間。上から植物が降りている。我々は、植物のカーテンを潜る。そして見上げる形で植物を見る。これは興味深い。

通常、我々は横から植物を見る。花の形を知りたければ、上から覗き込む行為を取る。しかし、ここには3つの眼差しを向けることが要求される。横からの眼差し「下から覗き込む」眼差し。そして床下の鏡を見ることで、擬似的に我々が日頃行う「上から覗き込む」眼差しを実現できるのだ。

視覚を奪い続けるスペクタクルの最後は、視覚を取り戻すスペクタクルとなっており、全体を通して「見るとは何か?」と問いかけてくるものであった。

これは行って楽しかったです。会期は2023年末まで延期されたので、興味ある方は訪れてみてください。

P.S.赤の空間で写真を撮ってもらった。カッコいい肖像画が撮れました。

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