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【読書感想文】『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸)

 私が大学3年生の頃、ちょうどフランス留学から帰国し、外国かぶれしていた頃。配給会社も見つけていないような日本未公開映画を掘るのにハマっていた時期がある。そんなある日、Twitterを見ていたら同じように日本未公開映画を貪るように観て紹介している人物がいた。彼こそが、済東鉄腸さん(@GregariousGoGo)だ。彼は、よくTwitterで見かける、日本公開が決まっている作品を輸入や海外の配信で観るタイプではなかった。ルーマニアから、コロンビアなど、日本であまり知られていない国の作品を観て紹介していたのである。そのスタイルに痺れてから、追うようにした。

 当時の私の映画評は、今読むとあまりにも恥ずかしいほどに拙かった。それだけに、5年ぐらいは相手にされなかった。しかし、数年前にclubhouseやスペースといった音声メディアが普及してから、済東鉄腸さんと一緒に日本未公開映画について話す機会が増えた。実際にVoice to Voiceで話してみると、饒舌で豊穣な語りにこれまたインスピレーションを掻き立てられた。

 彼がいなければ、私は映画ライターとして日本未公開映画を紹介することもなかったし、映画配給に携わることもなかったであろう。まさに、私の人生を変えてしまった方なのだ。

 そんな彼がエッセイ本を出した。タイトルは、こうだ。

 『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』

 『チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話』みたいなポップさを持ったタイトルに笑った。しかし、私は知っている。この中身はとてつもなく濃いと。ということで早速購入して読んだ。思い出補正も当然ながらあるが、それでも私のオールタイムベスト本になった。というよりか、長年、鉄腸さんの文章を物理的に欲しかった私にとって夢が叶った瞬間であった。さて、内容について触れていくとしよう。

部屋/図書館/ショッピングモールからでも世界を変えられる

 飲み会で外国かぶれな人が、「私、フランスのシネマテークで大島渚の『愛のコリーダ』を観た」などと中身のない自慢をすることがある。そこにはユーモアも何もなく、そういった話を聞くとウンザリする。Google Mapsを開けば世界を飛び回ることもできるし、日本で公開されていないような映画も大抵手に入る時代。物語なき行った自慢にどんな意味があるのだろうか?もちろん、私も大学時代トラベルジャンキーだったこともあり、この手の話をしてしまっていたことはある。しかし、それはもう卒業しようと意識しながら話をしている。

 それもあってか私は細田守映画が好きだ。細田守映画の場合、ある特定の場所から自分や世界の危機を救う話が多い。物理的に移動しなくても、世界と繋がれて影響を与えられる様子にロマンを感じているのだ。

 さて済東鉄腸さんの場合どうだろうか?

「日本に住みながらルーマニア語で小説や詩を書いている日本人の小説家」

p6より引用

 と一言で表現されている。しかし、掘り下げてみると興味深い。部屋、図書館、ショッピングモールの3つの拠点でひたすら本や映画に触れて、ルーマニア語で小説を書いているとのこと。引きこもりなため、ルーマニア語で話すことは苦手とのこと。文を書くことが専門なのだ。一般的に日本では「語学ができる」と聞くと、社交パーティでペラペラ英語はもちろん、時に応じてフランス語等の言語を使いこなすイメージがある。しかし、彼の場合、基本的に文章のやり取りだけでVICE RomâniaLiterNauticaなどといった媒体に掲載され、文壇デビューを果たすに至ったのだ。さらには、「関節の外れたインターネット・ミーム」だと煽っていた、ルーマニアの文芸評論家ミハイ・ヨヴァネル氏が、現代ルーマニア文学史をまとめた本『Istoria Literaturii Române Contemporane 1990-2020』に「済東鉄腸」の名を紹介するまでの知名度を獲得することになる。人と話すのが苦手な私にとって、このエピソードは燃えるものを感じた。インターネットを使えば、世界と簡単に繋がれる。遠く離れた国に影響を与えることができる。マルチバースは決してアメコミ映画だけの話(=虚構)ではないことが分かる。

たった5文字を翻訳する難しさ

 済東鉄腸さんは、宇佐見りん『推し、燃ゆ』をルーマニア語に翻訳しようと試みていた。『推し、燃ゆ』とは、推しのアイドルを「解釈」することで自己を保っていた主人公が、そのアイドルの炎上事件によって心の行き場を失っていく様子を描いた作品だ。「推し」という概念がルーマニアに存在するのか?「燃ゆ」という日常では使わない表現の扱いはどうするか?たった5文字のタイトルにもかかわらず、そこから漂うニュアンスを正確に翻訳することは至難の業である。

彼は、まず逐語的に翻訳を試みる。

「Idolul meu favorit pe care-l suprijinesc este criticat în mod vehement pe internet(私がサポートしている一番好きなアイドルがネットでめちゃくちゃ激しく叩かれている)」 

しかし、これでは説明でしかないと思い、キーワードを探す。

推し=Idolul meu(私のアイドル)
燃ゆ=sub foc(ネット炎上)

繋げて《Idolul meu,sub foc》はどうか?

 LiterNauticaの編集者にして親友のミハイル・ヴィクトゥスと議論をすることになる。彼は、《Defăimarea idolului meu(私のアイドルの堕落)》を提示してきた。そこには「、」の味わいが欠落してしている。

 済東鉄腸さんは、「燃ゆ」に着目してみる。sub focだと現代っぽい言い方だ。ルーマニア語に燃えるの古い言い回しがあるのだろうか?ミハイル・ヴィクトゥスに訊いてみる済東鉄腸。返ってくる提案。「rug」が魔女狩りに使われる炎を形容する際に使われた言葉らしい。まさしく、推しが炎上する現象を古語から指し示すことができる単語である。こうして、『推し、燃ゆ』のルーマニア語題は《Idolul meu,pe rug》となった。翻訳とは、単に直訳することではない。文法構造を解体するのはもちろん、互いの文化の共通点を見出しながら、より原題に近いニュアンスを汲み取っていく作業である。そのプロセスの情熱が伝わってきて、知的欲求が掻き立てられた。

MURAKAMIから逃げても新たなMURAKAMIが現れる

 村上春樹といえば、毎年ノーベル文学賞を受賞するのかどうか議論される国際的に有名な小説家だ。文壇の場において、その認識だけでは甘いらしい。つまるところ、どんな文章を書いても「村上春樹」の名からは逃れられないということだ。済東鉄腸さんはルーマニアで文壇デビューするにいたり、インタビューを受けることとなるのだが、毎回、村上春樹について訊かれたとのこと。悪気があるわけではないのだが、なんでも「村上春樹のような」という比喩に押し込められてしまう状況にしんどさを覚えるとのこと。

 この話を聞いて、大学時代にゼミの担当教員であった小説家のリービ英雄が村上春樹を嫌っていたのを思い出した。具体的な理由は教えていただけなかったが、ひょっとすると済東鉄腸さんのように、毎回インタビューで彼のことが訊かれウンザリしていたのだと思われる。

 さて、なんとか「村上春樹」の名から逃げたとしよう。残念ながら、もうひとつ逃れられない名前があると語る。それは「村上龍」だ。

だがたとえ、村上春樹から逃れられたとしても、俺の前に新たな影が現れる。
その名は・・・・・・村上龍!

p113より引用

 文章だけみると、思わず笑ってしまう部分だが、切実な苦悩っぷりに頭が痛くなる。なので、もし海外で小説家デビューする際は覚悟しておこう。また、日本語で小説を書く外国人作家に、村上春樹の名は出さないようにしようと思った。

『Police, Adjective』について

 本著では、当然ルーマニア映画の話も出てくる。済東鉄腸さんが以前からオールタイムベストルーマニア映画だと言っていた『Police, Adjective』についても当然ながら言及される。本作の監督はコルネリュ・ポルンボユ。日本では汚職警官がマフィアの使っている口笛をマスターしようとするホイッスラーズ 誓いの口笛や金属探知機でお宝を探す『トレジャー オトナタチの贈り物。』と変わった作品が紹介されている監督だ。そんな彼の日本未公開作『Police, Adjective』は、麻薬の売人として高校生を逮捕しようと躍起になる警察官の上司と、「彼は売人じゃないだろう」と疑問を抱く部下との関係を描いた作品。彼は次のようにこの映画の魅力について語る。

 だが、ルーマニア語を学ぶという点においてが最も重要で、それはこの映画が言語というか、ルーマニア語そのものがテーマとなる作品だからだ。というのは、劇中で幾度となくルーマニア語が話題になるんだよ。例えばYouTubeから流れる往年の名曲をきっかけに、ルーマニア語の修辞法が議論されたり、主人公が恋人と言い争いになるかと思えば、その原因は定冠詞の書き間違いだったり。
 つまり言語学的な洞察、それも普遍的というよりルーマニア語の独特さをめぐる洞察がめっちゃ多いんだ。映画にもそうだが、ルーマニア語そのものに引き込まれるんだよ。

p26~27より引用

 ここまで言語に執着する映画は珍しい。映画は何千本、何万本観ても新しい発見があるものだ。そして、全く初めてな映画文法や表現、物語に触れた時、全身に電流が走るであろう。私の場合、ガイ・マディンの『The Forbidden Room』がそうなのだが、彼の場合『Police, Adjective』がそれに該当したそういった映画ファンの生涯ベストに出会う物語に触れると私の心の情熱も激る。

最後に

 他にもたくさん語りたいことがあるのだが、是非とも本著を手に取ってほしいのでここでやめる。東京国際映画祭でルーマニアの映画監督と話したエピソードやルーマニア語で悪口を言われた話など、興味深い内容が目白押しとなっています。

 コロナ禍でなかなか旅行にいけない今、インターネットから異界の扉を開く先駆者の物語に癒されてみてはいかがでしょうか?

▲2/25(土)21時から済東鉄腸さんをお招きして彼のオールタイムベストルーマニア映画について訊く対談配信をします。是非、遊びに来てください!



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