見出し画像

15年かかった

今日は、15年かかってやっとコンサートに行けた話。
5500字を超えているので、目次を見てお時間のある時にご覧ください。


知ったきっかけ

私が、渋谷ロゴスキーへ初めて行ったのは、2008年。
その時、かかっていたロシアの音楽が気に入りました。

音楽を聴きたくて、渋谷ロゴスキーに行ったことがあるくらいです。ロシアの音楽を今みたいにネットで簡単に聴けるわけではなかったので。
そして、店員さんに、何のCDなのかを訊いたほど好きになりました。
そのCDは、「Золотое кольцо」という名前でした。

その後、渋谷ロゴスキーの創業者の息子さんも同じ音楽が好きだということで、いろいろ話をすることが増えました。
この渋谷ロゴスキーの創業者の息子さんは、「いつロシアへ行きますか?」と、なんだか、スーパーやコンビニへ行くような気楽な感じでロシア旅行をすすめてきました。
ビザが、ロシア語が、治安が、テロがといろいろ心配で後回しになっていたロシア旅行でしたが、私の初めてのロシア旅行を後押ししてくれた人です。

初めてのロシア旅行で

そして、2011年の初めてのロシア旅行時に、サンクト・ペテルブルクからペトロザヴォーツクへ、バスで北上しました。
その時、お昼を食べたレストランで、Золотое кольцоの音楽が流れていて、嬉しくなりました。そのレストランは、こちらです。

どこかの村にあるレストランでした。
初めてだし、どこで食べたかなんて、分からなかったけれども、この時の旅行はユーラシア旅行社を使っていて、ユーラシア旅行社は、添乗員さんによる毎日のA4のお手紙が翌日配られます。そのお手紙を振り返って、どこにあったのか分かりました。
当時は、パソコンも持っていなかったし、ロシア語で検索もできなかったけれども、今なら、それができるので、どこか分かりました。
地図
初めてロシアにきて、Золотое кольцоの音楽を現地で聴いて、ますます好きになっていきました。

そして、渋谷ロゴスキーで流れているCDを買いたいと思っていました。
自由行動がないツアーだったので、グム百貨店で40分の自由行動の間に、トイレに行き、CDを探しました。
当時は、3階建てのお店の館内案内図みたいなものはなく、3階しか分かりませんでした。
とりあえず、エスカレーターを駆け上り、3階へ行き、CDショップのサユーズを探しました。
すぐにお店が見つかったのは、ラッキーでした。
店員さんにCDがあるかどうかを訊くと、すぐに棚を案内してもらいました。
渋谷ロゴスキーとまったく同じジャケットのCDはなかったけれども、何枚かCDがありました。
値段を見て、びっくり。250ルーブルくらい(当時のレートで683円くらい)で、アルバム1枚が売られていました。
お店にあった3枚のCDを買って帰りました。

帰国後

家で何度も聴きました。

旅行に行ったら、新しいCDが出ていないかな?と探したり、神保町のナウカ・ジャパンで探したりして、だんだんとCDやDVDが増えていきました。

旅行中に、お店やレストランとかで、Золотое кольцоの音楽を聴くことも多く、結婚式の時も義理の妹のスマホの中に入っていて、途中流れました。

モスクワに住んでから

住んでから、コンサートに行きたいなあと思いましたが、国内の演奏旅行をよくしていて、モスクワは、12月の年末にすることが多かったです。
2017年は、仕事で行けず。
2018年は、父の末期がんが発覚し、緊急帰国前でそんな気分でなく行けず。
2019年は、日本から知り合いがモスクワに来ていて、知り合いが帰国する日の夜で行かず。
2020年は、パンデミック中で行けず。そもそも、コンサートがあったのかどうか分かりません。
2021年は、ワクチン未接種だし、モスクワで大流行していたので行けず。そもそもコンサートがあったのか分かりません。
2022年は、すっかり忘れていて行かず。
2023年にやっと行くことができました。

それも、モスクワ在住の友達が、「モイセーエフのコンサートに行こうと思うんだ」と言ったのをきっかけに、そういえば、毎年12月にЗолотое кольцоのコンサートがあったなあと思って、検索をしました。
毎年、年末の29日とか30日とかが多かったのに、今回は9日ということで、気分的に行きやすいと思いました。
それで、思い切って出かけることにしました。
夫は、こういう音楽を聴くと頭が痛くなるということで、私1人で行きました。

コンサート当日

いざ、当日。
1週間前くらいから、コンサートの日の気温と天気を見ていましたが、-20度とか、-18度とか気温が低い予想が続きました。
しかし、当時になったら、-14度で暖かくなりました。

ところが、当日の午後になったら、頭が痛くなり始めました。これは、時々起こる頭痛だと思い、ひどくなる前に、塩をなめて、ペットボトルの水を500ml飲んで、少し寝ることにしました。横になったら、少し楽になったけれども、完全回復までならず、頭が重いまま、出かけました。

駅のホームから外へ出る階段が屋外で、鉄でできた階段で、すべる、すべる。
私は、手すりにつかまって、1段ずつゆっくり、ゆっくり降りて行きました。
私の目の前では、若い男の子が、滑って、そのまま下まで滑り落ちていました。
それを見たら、なお慎重におり、気づいたら、最後になっていました。そんなこんなで、階段を下りるだけで5分くらいかかりました。
その後、並木道を歩いて行きますが、我が家の近くと違って、街灯が暗く、コンサートの後、一人で歩くのは危険だと思いました。
ヤンデックスの地図では、徒歩15分となっていたけれども、信号待ちも長く、雪道だし、徒歩30分かかりました。

劇場の前はライトアップしていて、急に人がたくさんいて、ほっとしました。

2005年にできた黄金の輪という劇場です。

ロビーには、写真もあり、一緒に撮っている人がたくさんいました。

ロビーには、たくさんのヨールカがあります。

来月もコンサートがあるようです。

私の座席は、ここです。

第1部

このコンサートの何が良かったかって、開演時刻の19時ぴったりに始まったことです。

そして、ナジェージタさんが歌い始めた瞬間、いつも聴いていたCDやDVDと同じ歌唱力で感動しました。

現在、ナジェージタさんは、64歳。私がCDを聴いたころは、48歳の録音です。

年齢とともに、歌唱力が落ちる歌手がいますが、まったく変わりません。

グネーシン音楽大学を卒業して基礎ができているからだと思います。

民族衣装っぽいデザインの服を着たダンサーたちも素敵です。

そして、こちらが、ナジェージタさんの旦那さん。

バックスクリーンに映し出されるロシアの風景も素敵です。

エレキのバラライカも。

この男性、誰か知りませんが、この人の歌も素晴らしかったです。

ナジェージタさんは、何度も衣装を着替えるので、見ている方は嬉しいです。

ダンサーは、マトリョーシカの衣装です。

マトリョーシカの衣装の後ろ姿もかわいかったけれども、タイミングが合わず、撮れませんでした。

歌なしで踊りだけです。

ダンサーは、今風の衣装で出てきました。

第一部が終わり、休憩になりました。

先ほど歌っていた男性は、息子さんかなと思い、とりあえず、写真を撮りましたが、違いました。息子さんは、第2部の後半で3曲歌いました。
なんと、この日に初リリースした曲があったようです。
ナジェージタさんが歌う曲が少なくなって、がっくりと思いましたが、初リリース日に立ち会えたのなら、それはそれでよかったかなと思います。

休憩中に、ドア係の女性に訊いてみました。
「終演後に、ナジェージタさんに会うことができますか?」と。
すると、「できない」と言われました。「プレゼントを持ってきているけど」というと、「彼女が歌い終わった時に、ステージへ持って行って渡してください。」と。
私の席からは、ステージに持って行くのは難しいし、それなら、仕方ない、諦めようと思いました。

第2部

第2部が始まります。

前奏が始まった瞬間、Широка река(川が広い)と分かり、スクリーンには、クインジの絵のようなものが映し出されていました。

この曲は、特に好きなので、感動しました。

この歌を歌うときは、体があまり動かないので、写真も撮りやすかったです。

歌なしの踊りだけです。

そして、ナジェージタさんの息子さんです。

ヨールカも出てきました。

コンサートは終演しました。

【12月11日の過去記事】

終演後の奇跡は、有料記事にさせてください。

ここから先は

2,050字

¥ 100

最後までお読みいただきありがとうございます。 有料記事は、全文を読むことができるように設定しているものもあります。 無料記事に対するサポートもありがたいです。