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【最近のモスクワ】2024年4月

4月30日の日の出時刻は、4時48分、日没時刻は、20時50分です。
朝は、明るいので自然と目が開くようになりました。夕方も日が長いので、1年で最高の時期が始まりました。夏至に向けてまだまだ日が長くなるので、今のうちに屋外の撮りたい写真を撮りためておきます。

今月も6600字を超えて長くなっているので、目次を見て、お時間のある時にご覧ください。


異常気象

4月上旬なのに、最高気温が20度を超えたモスクワ。過去最高の気温になりました。それなのに、部屋は、セントラルヒーティングがついていたので、暑くて大変でした。
そんな4月2日の夜、夫がお風呂に入ろうとしたら、お湯が出ませんでした。
「今からお湯を沸かすのも時間がかかるよね。今日は、暖かかったし、気合で水のシャワーにする?」と、めっちゃ鬼嫁発言をしました。
夫は、水で入ろうかと試したけれども、無理だと思い、大鍋を出して、お湯を沸かし始めました。
翌朝もまだ、水は出ませんでした。お昼くらいまでお湯が出なくて、お昼過ぎにやっとお湯が出ました。
そして、今度は、風が強くなってきました。仕事から帰ってくる時間は雨の予報で、この風と雨だと傘の意味がないなあと思っていました。
風が強くて、雨が降る前に義母が帰ってきました。帰ってくるなり、「風が強いよ~。」というので、「そうだね。」と答えたら、「風が強くて、木が倒れたよ。ピャチョーロチカの所。」と言いました。そうなんだと思い、適当に返事をして終わりました。そういえば、私がモスクワに住んで1か月半ごろ、嵐が来て、木が倒れて、下敷きになった人が亡くなったというニュースがあったのを思い出し、確かに、このくらい強い風だと木が倒れるなあと思いました。
夫が帰ってきたときは、雨がやみ、風も強くなく、いい時間でした。そして、義母が夫に木が倒れた話をしています。
夫が通訳したところ、義母が歩いている目の前で木が倒れたようです。たしかに、「倒れた」という単語を聞き取ったけれども、目の前で倒れたとまでしっかりときいていませんでした。もう少し早く歩いていたら、木の下敷きになるタイミングだったようで、そうなると、帰ってきてすぐに、興奮気味に話していたのも納得できました。それなのに、私の反応が薄く、義母は義母で、消化不良だったと思います。冷たい嫁になっていました。
木が倒れる前に、倒れそうな音が聞こえたため、警戒して歩いていたようです。その音を聞いていなければ、木の下敷きになったかもしれません。
これが、倒れた木の根元です。

台湾の地震のニュースを知った義母は

台湾の地震を知った義母は、「日本は大丈夫か?」と訊いてきました。だから、「沖縄に津波が来たよ。」と話しました。「沖縄は、遠いのか?」と言われたので、「ものすごく遠くて、行ったことがないよ。」と答えました。「ところで、チェブラーシカは、どこの島なの?」と訊かれたので、「本州だよ。」と答えました。義母が知っているのは、北海道だけです。日本の地理が分かっていない義母は、何かあると、「遠いのか?近いのか?」と訊いてきます。まあ、たしかに、日本にいる実家の母もロシアの地方の都市を言われてもほとんど分かっていないので、そんな感じだと思います。

また、メロンパンを焼いた

だんだんコツがつかめてきたから、これくらいになれば、義理の妹家族に食べてもらってもいいなと思いました。
しかし、今まで焼いたのは、6個でした。
義理の妹家族は子供が4人いるので、6人家族です。家に帰れば、おじいちゃんも一緒に暮らしているから、お土産で持って行ってもらうとして、7個は必要です。
倍の分量にして、焼いてもいいけれども、同じ分量で、6等分にするところを12等分にして、焼くといいかな?と思いました。
しかし、6等分が12等分になると、1つのメロンパンの大きさが小さくなり、焼く時間が少し短くなるのか、それとも、そのままでいいのかよく分からないので、一度練習することにしました。
いつ練習しようかな?と思っていたけれども、4月なのに、20度越えで暑い日は嫌なので、最高気温が一桁になり、涼しくなった日に作ることにしました。夫に「今日、メロンパンを食べたい?」と訊いたら、「はい」と返事が来たので、それで、作り始めました。

最終発酵をする前です。

最終発酵後です。

12等分にしても、デザートとして食べる分には1個の大きさがいい感じです。

最終発酵中に義母が帰ってきました。

焼きあがりました。

冷ましてお皿に置いたのを写真に撮ろうと思っていたら、義母が、台所に来て、「できた?」と訊かれたので、「できたよ。おいしいか分からないけど。今日は、硬い気がする。」と言って、1つ手に持ったら、外は硬いけれども、中はやわらかくて、「やわらかいよ。」と言って、義母も食べ始めていました。
それで、写真を撮り忘れました。
義母と私が1つずつ食べた後の写真です。

これで、義理の妹家族が来る日に、作ろうと思います。しかし、4時間くらいかかるから、義母と同時に台所を使うとなると、ちょっと問題があるけれども、そこは、様子を見ながらにします。

寝相が悪かったらしい

ある日の朝、夫が「手首が痛い」と言いました。「寝ている時に変な姿勢だったかね?」と訊いたら、「昨日、チェブラーシカが俺の足を蹴ってきて、サッカーの夢でも見ているのかな?と思った。」と言いました。
サッカーの夢を見ていないし、蹴った記憶もありません。
ここのところ、アールグレイの紅茶を飲むのを辞めて、もらった玄米茶や七草粥の残りのハーブを急須に入れて、ハーブティーにしたり、

だいぶ前に義理の妹にもらったハーブティーを飲んだりしているからか、夜は突然睡魔が襲ってきて、そのままバタンQとなります。
もちろん、寝相が悪かった日も、バタンQでした。

その日の予定をギリギリまで電話でやりとりする義理の妹

金曜日の夕方の義母の買い物状況や、夕ご飯の支度で、だいたい週末に義理の妹家族が来るのかどうか推測できます。
ある金曜日は、黒パンも白パンもたくさん買い、ヴィネグレットサラダに使うジャガイモと人参とビーツを鍋でゆでていました。
これは、義理の妹家族が来るなと思いました。
そして、訊いてみると、「土曜日の夕方に来て、泊まる。でも、時間は分からない。」と。
日曜日の何時に出かけるかも分かりませんでした。

そして、土曜日。朝から、義母はブリヌイ(パンケーキみたいな物)とスィールニキ(チーズケーキ)を朝食に作っています。さらに、プロフのためのひき肉も炒め始めました。
そうしていた11時頃、義理の妹から義母に電話がありました。
「1台の車が壊れ、残り1台の車で義理の弟が仕事に行くから、行くことができなくなった。」と。
義理の妹の行く行く詐欺と、義母の来る来る妄想の始まりです。
もともと金曜日にきいた話も予定が全く見えず、本当に来るのか?と疑問でしたが、やはりドタキャンになりました。
そうなって、困るのは、大量の油ギトギトプロフです。6人家族が来ると思って用意していた物を、義母と夫と私の3人で食べなければならなくなります。さらに、義母のプロフは、作る日によって、おいしい、おいしくないと当たり外れがあるので、これでおいしくない外れになると、最悪です。

そして、その翌週。
義理の妹家族は来ました。
しかも、2泊すると分かりました。それで、メロンパンを焼きました。
義母は、サラダにプロフ、スープとすべて作り終えた後で、食べ物が十分にあり、台所で作業をしないと思ったので、タイミング的に今だと思いました。
夕方5時から作り始めたので、完成したのは夜9時頃でした。
義理の妹家族は、友達の家に遊びに行っていて、夜10時過ぎに帰ってきました。
子供たちは、すでに何か食べて満腹の様子で、台所のタイミングは良かったけれども、お腹の空き具合のタイミングは悪かったようです。
しかし、義理の弟が、「気に入った。」と食べました。
小学校3年生の甥は、歯がいたくて食べられず、5年生の姪は「おいしい」と言いながら、塩の量を気にしていました。
幼稚園の年長の甥は、夜も食べ、翌日、起きてきたら、すぐにメロンパンに手を伸ばして食べていました。
義理の妹は、「おいしい」と食べたけれども、幼稚園の年少の姪は食べたかどうか分かりませんでした。
メロンパンは、砂糖をたくさん使うから、12等分して、それを1つたまに食べるくらいでちょうどいいと思います。

その翌日、散歩に行くというので、近所の公園へ一緒に遊びに行きました。
何やらおもしろい遊具がありました。これは、自分で好きな道を選べるし、楽しいです。左側には、怖がる孫と一緒におばあちゃんがいます。甥が「チェブラーシカも一緒に行こうよ。」と言ったけれども、「無理だよ。見ているよ。」と言ったくらいで、このおばあちゃんは、すごいと思いました。

別の滑り台には、お店屋さんごっこができるようにこのようなものがありました。

甥がお店の店員になり、遊びました。遊びながら数字の勉強になります。


日本から知り合いが来た

日本から知り合いが来ました。それで、ВДНХで開催中の展覧会『ロシア』へ行きました。

お土産売り場で、ワクチンのシェディングに効果があると言われている『チャーガ』を見つけたので、1つ買ってみました。

また、2月にモスクワに来た友達に教えてもらったシーバックソーンのジャムも見つけました。こちらは、開封後10日間で食べきらないといけないみたいで、いつ開けようか考え中で、まだ食べていません。

マトリョーシカを大量に買っている国はどこか?

いつぶりだか思い出せないくらい、久しぶりにお土産市場へ行きました。

コロナ前だと、「ニーハオ」とよく声をかけられましたが、コロナ後は、「ハロー」になりました。
そして、今回、何も声をかけられませんでした。
「ニーハオ」でも「ハロー」でも「アンニョンハセオ」でも「こんにちは」でもなく、本当に何も。
国籍不明者に見られたかもしれません。

作戦が始まってからは、イランやインドの人が多いなあという印象でしたが、今回は、イランやインドの人は見かけませんでした。地下鉄などでツアーを盛んに行っている中国人も今回はいませんでした。見かけたのは、東南アジア系の女性のグループでした。どこの国かは分かりません。

以前は、ロシア語で交渉し、お店の値段より安くしてくれて、大量に買うと少し値引きをしてくれましたが、今回は、そんなことはなく、お店で買うのと100ルーブルしか変わらないし、たくさん買っても値引きをしないということで、結局、プラトークを買いませんでした。
また、プラトークは、パブロフスキー・パサードのロシアのものは少なくて、カシミヤのショールをよく見かけました。どこで作られているのかを訊いたら、インドで作っているようです。ロシアに来たのに、インドのお土産になってしまったら、がっくりなので、ショールを買う時は、気を付けてください。ただ、インドのカシミヤのショールは柄も素敵で温かそうでした。あっ、値段を訊き忘れました。

私は、もともとマトリョーシカにあまり興味がありません。しかし、どんな品揃えかなと一通りお店を見ました。あまり、ぱっとするものはありませんでした。
そして、驚いたことに、マトリョーシカを大量に注文している国があるようで、生産が追い付いていないようです。
さて、問題です。大量に注文している国はどこでしょうか?

考えてみてください。


心の準備はいいですか?



びっくりして、心臓が止まらないように気を付けてください。




いきますよ。



なんと、アメリカだそうです。



制裁を率先してやっているアメリカが、ロシアのマトリョーシカを1500個も発注しているようです。



日本では、ロシアの経済を潤さないように、ロシアへ行くな、ロシアのものを買うなと言っていますが、制裁を率先してやっているアメリカは、マトリョーシカを大量に注文し、ロシアの経済を潤してくれています。しかも、マトリョーシカの値段を以前より高くしても買っていくのがアメリカです。

コロナと作戦で、マトリョーシカ作家が減り、マトリョーシカを作る人がいなくなるかと心配していましたが、アメリカが大量に注文してくれたおかげで、なんとかマトリョーシカは、存続できそうです。

おにぎり

近所のショッピングセンターでおにぎりが売られていることを見つけました。
しかし、土日は入荷しないのか、見かけません。
おにぎりを食べるロシア人は多いのかな?とも思います。売り上げが芳しくなく入荷しなくなると嫌だなあと思い、売り上げ協力を兼ねて、買ってみることにしました。
120ルーブル(約180円)です。
これは、生姜入りの鮭のおにぎりです。お米は、酢が入っていて、紅ショウガと鮭で、ゴマもちりばめられておいしいおにぎりでした。

その翌日、キノコ入りの鶏肉のおにぎりがあったので、それも買ってみました。

他にもいろんな味のおにぎりがあります。
詳しくはこちらのホームページをご覧ください。


親知らず

気に入ったおにぎりですが、酢が入っていたのと、ゴマが入っていたのが原因か、夜になって、親知らずが痛くなってきました。
2月に、「親知らずが虫歯になっているから、抜かないとならないよ。」と言われて、夫のバケーションの時に抜こうと思っていたけれども、その前に、痛くなってきました。
痛み止めの薬を飲んだけれども、まったく効かず、夜は、痛くて眠れず、痛くなると歯茎のマッサージのために親知らずをやさしく磨くと、少し痛みが治まります。それで、30分くらい眠れました。しかし、30分後、また、ものすごく痛くなります。また、歯を磨きます。こんな感じで、夜が明け、6時過ぎからは、15分ごとに痛くなるので、これは、もう無理だと思い、8時に開く歯医者へ行きました。
手術のところで、8時45分のチケットをもらえたので、診てもらいました。
初めて歯医者に行ったときの若い女医さんが担当で、炎症を抑える薬を注射してもらい、5日間飲む薬の紙をもらいました。
去年と同じ薬です。そして、その後、レントゲンを撮って、親知らずを抜く話になりました。ロシアも5月の連休があるので、連休明けの夫のバケーションの日程で抜歯しようと思います。
朝一で見てもらえたので、夫は、30分の遅刻で仕事に行くことができ、私の痛みも治まり、よかったです。

ところが、去年と同じ薬は、スロヴェニアかオーストリアの薬だったので、今は制裁の影響なのかないようです。それで、ロシアの薬になりました。
制裁によって、ロシアで薬を作れるように開発しているのだと思います。
夫が薬を買いに行きましたが、薬局でその薬を飲むと、副作用が出るから、それをおさえる薬も売りつけられたようです。
副作用はそれほど出なかったけれども、売りつけられた薬は害はなく、妊娠中も飲む薬だと夫が言うので、途中から飲み始めました。
しかし、この副作用を抑える薬が曲者で、その後、お腹が痛くなり、1日に何回もトイレに行くこととなりました。
連休中は天気もよく、ВДНХにいくことができたのに、薬のせいで出かけられませんでした。
それだけでなく、トイレットペーパーもいつもより使うし、水もいつもより流すし、とんでもない薬を売りつけられたので、夫が次に買う時は、「いらない」とはっきり言ってもらうことにしました。夫は言えないと思うけれども、「この薬のせいでひどい目にあった。」と一言言いたいくらいです。
たぶん、体の大きいロシア人向けの薬で、私の体は、小学校5年生の姪に越されるくらいなので、分量としては、子どもと同じでちょうどいい気もします。

ウクライナ東部の住民のインタビュー

元ドンバスの住民のインタビューは必見です。

日本のメディアでは、2022年2月からのことしか報道しないけれども、「戦争は10年続いている。」。これが、現地の人の言葉です。

日本のメディアが珍しく事実を伝えている

日本のメディアが珍しく事実を伝えていると思った動画です。


花が咲いた

去年はいろんな植物を観察して、散歩をしながら写真を撮ったけれども、今年は、ВДНХの展覧会を見に行くのに忙しくて、植物の写真を撮っていません。

それでも、チェリーだけは撮りました。

これは、梅です。


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