見出し画像

4月20日は、モスクワ音楽院の大ホールがオープンした日

1901年4月20日に、モスクワ音楽院の大ホールがオープンしました。

今日は、モスクワ音楽院の大ホールを紹介します。2019年6月に行われたチャイコフスキーコンクールを毎日のように聴きに行き、その時に、撮った写真を紹介します。コンクール期間中、いろんな席に座ったので、それぞれの場所からの舞台の見え方も少し参考になると思います。


オープニングセレモニー修了後

まず、オープニングセレモニーです。私は、仕事帰りに立ち寄ったので、セレモニーが終わった後でした。

チャイコフスキーの像の前に献花があり、出場者のいる国の旗が飾ってありました。

レッドカーペットもあります。

たぶん、キリル文字の表記でのアルファベット順です。

日本は、『Япония』で、キリル文字の33文字の一番最後の文字の『я』から始まるので、最後になります。

オープニングコンサートを会場で聴かず、家に帰って、オンラインで聴きました。
翌日からのコンクール鑑賞に備えて体力温存です。

1次予選1日目

第1次予選1日目。

早目に会場について、周辺の写真を撮っていました。

写真を撮っているときに、ピアノ部門に出場する唯一の日本人の藤田真央さんが、練習を終えたのか、通り過ぎました。この日に演奏をしないけれども、コンクール期間中ということで、集中力が切れては悪いと思い、藤田真央さんだと思ったけれども、話しかけませんでした。

ポスターです。左からピアノ、ヴァイオリン、チェロです。チェロ部門は、サンクト・ペテルブルクで行われました。

左から、声楽、木管、金管です。この3部門もサンクト・ペテルブルクで行われました。

日程表です。

チケット売り場の入り口です。

会場に入ると、チャイコフスキーコンクールの展示がありました。

コンクールの受賞者や審査員の名前もあります。

ロビーにもチャイコフスキーの胸像があります。

1990年のピアノ部門はボリス・ベレゾフスキーさんが優勝し、ヴァイオリン部門は諏訪内晶子さんが優勝しました。

1998年のピアノ部門の優勝は、デニス・マツーエフさんです。

2002年のピアノ部門は上原彩子さんが、女性として初めて優勝しました。もちろん、日本人としても初めて優勝しています。

2011年は、当時首相だったプーチンさんが挨拶にも来ています。

階段を上って、1階席のロビーのところに、ステンドグラスがあります。

ここのロビーにもチャイコフスキーコンクールの展示がありました。

ロビーに展示されている絵です。

リストの肖像画もあります。

メンデルスゾーンとハイドン。

ショスタコーヴィチの胸像です。

スヴィリードフの胸像です。

サフォーノフの胸像です。

ハチャトゥリアンの胸像です。

ロストロポーヴィチの胸像です。

チャイコフスキーの胸像です。

シベリウスの胸像です。

スクリャービンです。

さらに、階段を上りました。ホールの2階席のロビーです。

ラフマニノフです。

2階席のロビーにも展示があります。

チャイコフスキーコンクールは、ネット配信をするので、ここで、映像などの作業をしていました。

スヴェルニコフと子供たちの合唱の写真があります。
『うたごえは平和の力 原爆は許すまじ 1954年 参加きねん』という旗が写っています。日本人女性みたいな人は、関鑑子さんだと思います。

ピアニストのエミール・ギレリスです。

最前列で足を組んで座っている女性が、ヴェーラ・ゴルナスターエワ先生です。2002年のチャイコフスキーコンクールのピアノ部門で優勝した上原彩子さんの先生です。

上の真ん中には、ゴリデンヴェイゼル先生の写真です。ヴェーラ先生を音楽学校に合格させた恩人です。

スヴィリードフの歌曲のコンサートのポスターもありました。

1次予選初日の昼の部は、2階席のバルコニーの席でした。正面を向いて座ると、こんな眺めでした。

ステージの方を向くとこんな感じです。

緑色の机の所に審査員が座ります。

席の近くの出口から出てすぐには、配信の舞台裏です。


1次予選2日目

初日は、余裕がなくて、写真を撮り忘れたので、チケットを見せるところです。

1階席のロビーの展示をじっくり見ました。


モスクワ音楽院の歴史の展示です。


ピアニストのリヒテルの写真です。

1次予選2日目の席は、3階席です。

演奏がない時間に、話をしている2人です。

1次予選3日目

毎日モスクワ音楽院の大ホールに通っていると、ロビーの展示を何度も見ることになり、初めて見た時には気づかなかったものも何度も見ているうちに見つける場合があります。

プロコフィエフの写真もありました。

この日は、下手側のバルコニーの席のチケットを取っていたので、その近くの展示を見ていました。
その時に、係の人に声をかけられ、「チケットを見せて。」と言われました。何だろう?と思って見せたら、休憩中に話している人たちの近くで、私が座る予定の席は、規制線が貼ってあって、そこに座ることができないようです。それで、代わりに、2階席の1列目の席のチケットを渡されました。
そのため、このような眺めになりました。

この2人が立っている向こうの赤白線のテープがある辺りに座る予定でした。

しっかり覚えていませんが、たしか、バルコニーの部分と2階席1列目では、2階席1列目の方がチケットの料金が高かったと思います。
思いがけず、ラッキーでした。

2次予選1日目

3階席からです。

ステージより天井の方が近いので、天井の写真を撮ってみました。

中国のピアノ『長江』です。爆音で、聴くのが大変でした。中国人の奏者の音が大きいのか、よく鳴るピアノなのか分かりませんが、とにかく音が大きかったです。

2次予選2日目

この日、いつも一緒に聴きに行っている友達は、習い事があるということで、遅れてきました。そのため、隣が空席になっていて、通路の席だったので、ポーランド人の女性が座りました。彼女はロシア語が分かるということで、少し話をしました。「来年(2020年)は、ショパンコンクールだから、それも聴きに行くよ。」と話していました。
3階席からの眺めです。

ポーランド人の女性が、なかなか隣の席からどかなくて、そろそろ友達が来るのに嫌だなあと思っていました。
私の片言ロシア語で、そろそろ友達が来ることを伝えました。すると、「分かっているよ。だけど、私の席に、ロシア人のおばちゃんが座っていて、座れないの。」と言い出しました。
休憩になったときに、このポーランド人女性は、席を移動してくれて、その後、友達が来ました。
その後、このポーランド人女性は、勝手に座っているロシア人のおばちゃんにどいてもらうように言ったけれども、どいてもらえず、係の人に話をしていました。
係の人がロシア人のおばちゃんにチケットを確認したところ、その日の席は違うのに、数日前のチケットを見せて、「私はこの席だ。」と言いました。
ポーランド人女性が、私に、怒りながら教えてくれました。
係の女性がどくように言っても、近くにいる人たちが、それなら、詰めてここに座りましょうと周りもおばちゃんの味方になったらしく、係の人の言うことをきかない事態が発生しました。
ポーランドからわざわざ来て、こんな目にあい、ポーランド人女性は、本当に怒っていました。

さて、気を取り直して、演奏に集中です。第1次予選は、夜の部で登場した日本の藤田真央さんです。
夜の部のチケットは買っていなかったので、配信で見ました。スタンディングオーベーションで、「ついに、すべてのプログラムを弾きこなせる奏者が現れた。」と、画面越しに見ていました。

2次予選は、スクリャービン、ショパン、プロコフィエフのプログラムでした。
スクリャービンは、私はよく分からないので、いいも悪いも分かりませんでした。
ショパンのソナタは、圧巻でした。チャイコフスキーコンクール開催中、会場で電話の音が鳴る人が多く、毎回「電源を切るように」とアナウンスがあるけれども、途中で電話がなります。2楽章の静かな時に電話が鳴ったら嫌だなあと思っていましたが、電話が鳴ることはありませんでした。
そして、この2楽章が、もう素晴らしくて、素晴らしくて、私は、感動して泣いていました。藤田真央さんのピアノの音って、音楽療法にいいというか、とても癒される音だなあと思います。
ショパンを弾き終えた後、会場の拍手はなかなか鳴りやみませんでした。私も、一生懸命拍手をしました。藤田さんの音は、他の奏者に比べて、小さいと感じていたので、この後に控えているプロコフィエフのソナタ第7番をプロコフィエフの音で弾き通せるのか心配で、少しでも手を休めて欲しいと思って、できるだけ長く手を叩きました。
まあ、そんな心配をする必要もなく、先ほどのショパンとがらりと雰囲気が変わり、プロコフィエフの音になりました。3階席までもばっちり伝わりました。
そういえば、ショパンの繊細な音も3階席までしっかり伝わりました。

審査委員長のマツーエフさんが、ファイナル進出者の名前を演奏順で呼ぶのに、藤田真央さんのことを気に入ったので、わざと、どきっとする順番で名前を呼びました。
藤田さんは、無事にファイナル進出です。

ファイナル1日目

ファイナル1日目は、友達は、ヴァイオリン部門を聴きに行くということで、私は、音楽ジャーナリストの2人目の義母と一緒に聴きに行きました。
毎日モスクワ音楽院の大ホールに通って、いろんな場所で聴いているうちに、2階席の椅子のクッションは硬いと思いました。義母は腰を痛めているので、事前に、「座布団のような、クッションみたいなものを持ってきた方がいいよ。」と伝えておきました。6曲の協奏曲を聴くし。
眺めはこんな感じです。

上着を着ていないオーケストラです。

休憩中は、義母と同じ音楽大学を卒業した友達も聴きに来ていたので、ロビーで演奏の感想などの話をできたのが、おもしろかったです。耳の肥えた義母の友達の意見とほとんど同じで、私も少し自信になりました。

モスクワ音楽院の同門の後輩たちも先輩の応援に駆け付け、学生たちは、無料で聴けるので、通路に座って聴いていました。

この日、ある出場者の曲順が逆になるというアクシデントがありました。
1曲目がチャイコフスキーの協奏曲第1番で、2曲目が、ラフマニノフのパガニーニの狂詩曲の予定でした。
ところが、指揮者が指揮を振って、オーケストラから聞こえた音は、ラフマニノフのパガニーニの狂詩曲でした。
この2曲をよく知っている人なら、これがどんなに大変なアクシデントか分かると思います。
チャイコフスキーを弾くつもりでステージに出てきて、いきなり、ラフマニノフだったら、弾き始める準備が間に合いません。この奏者は、とっさに、ラフマニノフだとびっくりしつつも弾き始めました。その後、配信で見ると、指揮者を思いっきりにらみつけていました。
アナウンスもラフマニノフから最初に言っていたので、アナウンスがロシア語と英語で言っているときに、気づけばよかったと思うけれども、会場は熱気で拍手が大きくて、おそらく、舞台の上ではアナウンスの声は聞こえなかったか、集中していて聞いていなかったと思います。

一生がかかったコンクールという場面で、「曲順が違います」と言って、弾き直すべきか、そのまま弾くべきか、そんなことを考えることもできず、すべて弾き終えた後、アクシデントの話が出てきました。
審査委員長は、別の日にもう一度、正しい曲順で演奏してもいいことを提案したけれども、本人は、弾き直すことはしませんでした。その代わり、そのような状況で弾ききったということで、特別に『勇敢賞』を受賞しました。
また、オーケストラの楽譜を譜面台にセットした職員は解雇になりました。

ファイナル2日目

前列です。ファイナルのチケットからよく売れて、ここしか残っていませんでした。
2次予選の結果によっては、藤田さんがファイナルの2日目に弾くようになれば、花束を持って行こうと思っていましたが、藤田さんは最終日になったので、花束を持って行きませんでした。

前列の端っこで、ピアニストの顔は見えません。

私の席からよく見えたのは、配信のためにビデオをとるカメラマンです。

この日、フランスのカントロフさんの演奏を聴き、あっ、この人が優勝だと思いました。カントロフさんを超える演奏を藤田真央さんでも無理だろうなあと思いました。

ファイナル3日目(最終日)

チャイコフスキーコンクールの最終日は、3階席でした。眺めはこんな感じです。

1日目は上着を着ていなかったオーケストラでしたが、アクシデントをうけて、2日目、3日目は正装となりました。
藤田さんの演奏が終わった直後です。

やはりカントロフさんを超える演奏ではありませんでした。
オーケストラが演奏している途中にタオルで汗を拭く姿を見て、私はがっかりしました。たしかに、若い時は、私も手汗がすごくて、汗をかくのも分かるし、会場の熱気で顔から汗が垂れるのも分かるけれども、拭くならせめて楽章と楽章の間だと思います。私の考えが古いだけかもしれないけれども。
藤田さんは、2位になりました。

私の知り合いのロシア人ピアニストは、配信で聴きながら、「優勝は、カントロフと藤田だ。」と思っていたようです。


【モスクワ音楽院の関連記事】


最後までお読みいただきありがとうございます。 有料記事は、全文を読むことができるように設定しているものもあります。 無料記事に対するサポートもありがたいです。