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人生に失敗はない

受験シーズンですね。

SNSで「合格しました」という報告を見て一緒に喜ぶ一方で、
中には悲しい思いをしている方もいるのだろうな。。
などと思ってしまう職業病です。

  *

私の大学受験は、決して順調とは言えず
当時は、かなり苦く辛い経験でした。

私の世代は本当に人数が多く、浪人生も順々に増え
年々倍率が膨れ上がり「受験戦争」と言われた時代でした。

高校にやっと入ったと思ったら、すぐに
大学受験の話題でうんざり。

最初から頑張る気がしなくて、ただ逃れたくて
高校1年の時に指定校推薦、というものを知り
これだ!!と心に決めました(笑)

内申点を上げるために生徒会活動を頑張り
模試より期末テストに力を入れて、高校3年の春休みには
狙い通りある大学の英文学科の指定校推薦に内定。

高3の夏休みまで野球部の応援で
チアガールをやるなど、余裕に過ごしていました。

ところが、夏休み直前のある日
担当の先生から思わぬ報告を受けます。
  

学年で一番成績の良い子が、私の志望校に変更したとのこと。
当然英語も学年トップ!
なので、彼女の希望を優先するけど、どうする?

と。

彼女が元々志望していたのは
ランクも知名度もかなり上の大学の法学部。

理由はご両親から
「女の子が法学部に行ってどうするの。
文学部に行きなさい。と言われたから」と。

あなたは法学部に行きたいんじゃないの??
と叫びたくなりましたが、覆るわけもなく。

晴天の霹靂とはこのこと。

彼女の元々の志望校は空いているけれど
私の実力には見合わないし、法学部は文学部以上に興味がない。

だからと言って、私が他の学校を志望すると
また誰かが私と同じような思いをすると思うと
それも出来ず。

毎晩、家では父の前で正座をして
何がしたいのか、何のために大学に行くのか
問いただされる日々。(ほんと辛かった)

散々家族を巻き込んで悩んだ末
結局、好きなことは裁縫や工作。
   
今から建築学科は難しいけれど、服飾関係なら間に合うかな。
と、女子大の家政学部の受験に切り替えました。

受験に向けた勉強をしてこなかったので
夏休みの途中から1からのスタート。
当然、模試は毎度散々な結果。

「楽をしよう」と逃げていたバチが当たったと思いましたね。

母からは「ノイローゼになりそう。受けるなら自分で全てやって」

と、12月に30万円入った封筒を渡され、受験料の支払いから
受験のホテルの予約、交通手段の手配まで全て自分でやりました。

ホテル手配なんて人生初!
池袋の歓楽街に2泊も取ってしまい
受験よりもホテルに帰る方が恐ろしかった思い出💦

滑り止めのはずの早い日程の学校も落ち続け
本命の3校のうちの1つにやっと受かり

最後に指定校を見送った大学を記念受験させてください
と親に頼み込み、記念受験させてもらって、私の受験は終了。

なんとか無事に大学生になれたのですが
地獄のような半年間でした。

  ✨
  
ところが、この大学生活が思った以上に楽しく
「三流の女子大」なんて思っていた大学は
意外と歴史がしっかりしていて企業の信頼もあり
その後、あらゆる局面で助けとなったのです。

極め付けは、5年前に着物の着付け師の勉強をしていた時のこと。

通常だと数年間の実務経験が必要になりますが
なんと、私の大学が実務免除の対象になっていたのですね。
  
直後にコロナがやってきたので、もし実務が数年必要だったら
きっと今でも基準をクリアすることは難しかったと思います。

まさか、卒業して20年以上も経ってから
役立つとは思いもしませんでした。

人生、何があるかわかりませんね。

当時の私は英語がまるでダメ。
そんな状態で英文科に行っていたらどうなってただろう?
と、今では彼女に感謝しても仕切れません。

実は、この受験に関する一連のことも、この仕事を始めて
受験生のお子さんのことで悩む親御さんの相談を伺うまで
15年くらいすっかり忘れていました。

望み通りになることがもちろん良いのでしょうけど
例えならずとも、一見失敗だと思うことも
必要な人と出会い、必要な場所に行くために
そこにご縁があったのだと思います。

だから、失敗を失敗と思わず
後悔せず、諦めず、人を恨むことなく
自分を蔑んだり、咎めたりすることなく
選んだ道を信じて進んでいけば、きっと道は開けるのだと思います。

人生に失敗はない。
失敗は諦めた時だけだ、って、誰かの言葉でありましたね。

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