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自分で糸をつくる

藍染めをはじめてから、麻の手仕事に興味をもち、そこから徳島へと繋がっていきました。
麻から糸を績んでいく手作業は大変根気がいります。
麻の繊維を柔らかくして、細く糸が作れるように工程を経て、髪の毛くらいの細さの繊維を繋ぎ合わせていきます。
繋ぐときに必要なのは自分の口に含ませた唾で、少し湿り気があることによって繋がりやすくなります。唾の中にあるアミラーゼという酵素によって糸と糸がくっつくのです。

麻の手仕事を学びはじめて、大嘗祭の麁服(あらたえ)の話を聞きました。
麁服と呼ばれる麻織物となる糸づくりは歴史が古く807年まで遡ります。

 大同2年古語(こご)拾遺(しゅうい)に「天(あめの)富(とみの)命(みこと)、日(ひ)鷲(わしの)命(みこと)が孫を率いて、肥饒地(よきところ)を求めて阿波国に遣わして、穀(かじ)、麻の種を植えしむ。その裔(すえ)、今(いま)彼(そ)の国に在り、大嘗の年に当たりて、木綿・麁服及(あらたえまた)種々(くさぐさ)の物を貢(こう)する。所以(このゆえ)に郡の名を麻殖(おえ)とする縁(ことのもと)なり。」

忌部一族は、古代朝廷における祭祀を担った氏族であるとされています。
徳島県美馬市の木屋平にある三ノ木という場所に住む忌部の一族が、忌部の地で育てた大麻草で織ります。
天皇即位の践祚(せんそ)大嘗祭では、麻の織物麁服が重要な神事を司るからです。
三木家は大正天皇の即位から麁服の調進に復活したのです。
三木家のある木屋平で令和の大嘗祭の麁服も準備されました。
平成三十年十月三十一日 地鎮祭
平成三十一年四月九日 播種式(はしゅしき) 
令和元年七月十五日 抜(ばつ)麻(ま)・初蒸式(はつじょうしき)
 3m以上になったら、抜麻習慣串、葉と根を取り除いたものを、繊維を丈夫にし雑菌を殺すために、熱湯で湯通しする。
皮剥・麻挽(おび)き
1週間~10日くらい天日干しをする。麻の皮を剥ぐため麻船に水を入れて浸し、こもを掛けて発酵させ皮を剥ぐ。ほどよく発酵して粘り気が生じてきた麻の皮剥を行います。
皮剥したものを1本ずつ麻挽き大に載せ、麻かきで表皮を削り取る作業を行います。
初紡式(はつぼうしき)
神社で白い格衣に緋の袴姿で、細かく手で裂いた麻の繊維を紡車にかけて、指先で丁寧に糸を撚って仕上げます。
令和元年九月二日 紡糸(ぼうし)出発式
  霧箱に納めた紡糸を神前に奉納して、祝詞を奏上し、玉串を捧げて山川町へ出発しました。
令和元年九月十日 織(おり)初式(ぞめしき)
 山川町山崎忌部仁社で織初式が行われました。
令和元年十月二十七日 出発式と皇居供納
  麁服出発式を斎行しました。徳島を出発した麁服は二十九日に皇居新嘉殿に納められました。

このような映像を見せてもらい三木家の当主とご挨拶もでき、山奥の秘境で作られているのだとわかりました。


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