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やさしさのはなし。

ああまたか、と思いながら一か月過ごしておりました。
ご無沙汰しております。

膝が急に体育座りの状態から曲げ伸ばしできなくなるロッキング。
5年前の手術以来でしょうか。

一緒に心の調子を崩し、SNSというSNSをお休みしておりました。

ちょうど同じ頃に、京都、福岡、愛媛、東京に友達ができました。
福島の私を含め各地に1人ずつ。

不思議なもので年齢も25.27.30.31とバラバラ。
住まいも生き方も好きなものもバラバラな5人が、同じツールを通して仲良くなりました。

そこで出会った方の話です。
何かの間違いで見られた時に困るので(笑)内容は割愛しますが、悩みを聞いていく中で彼が

「誰かの大丈夫になりたい」

とぼやいていました。

◯◯がいるから大丈夫。
隣を見てでも、下を見てでもいい。
誰かが「大丈夫」と思える存在になりたい。

根っこの根っこまで本当に優しい人間なのは、話を聞く中でずっと感じていたことですが

人生25年生きてきた中で、こんなにじんわり締め付けられるような苦しさがある言葉は初めて聞きました。

気持ちの矢印って考えたことありますか?

恋人、家族、友達。
なんだっていいです。

人を「好きになる」「愛する」というときに、
その気持ちや理由が相手に向いているかって、考えたことありますか?

いろんな人の話を聞き、自分が様々なことを経験する中で、常々考えていることです。

たとえば、のはなしなのですが

あなたを好いている異性が2人言い寄って来ています。

Aさんに好きな理由を聞いたら
「すごく優しくて、浮気しなさそうだから。」
Bさんに聞いたら
「仕事熱心な姿が素敵だった。あなたの◯◯という考え方が好き。」

と答えたとします。
この場合、あなた自身にベクトルが向いているのはどちらでしょうか。

私は思考や普段の姿を見ているBさんじゃないかと思うのです。

具体性のある言葉だから、ではなく
何を見ているか。だと思うのです。

物をくれるから。言葉をくれるから優しい
のではなく、
相手の状況や心、これまでとこれからのことを考えている
から優しい。のではないでしょうか。

彼はその点にとても長けていて
病気なくらい「相手の嫌なこと、傷つくこと」に敏感で、かと言って悪いところを指摘できないわけではなくて。

人間と向き合い愛するというものすごく優しい人間性が、彼自身を追い詰めてる気さえする
ここ最近で一番尊敬できる人間性を持ってる人です。

私はわりと気性が荒く、義に死すとも不義に生きずな人間です。
人をちゃんと愛せているのか、汲み取ることはできているのか。
考えれば考えるほどに、なんだか周りの人たちに申し訳なくなってきます。笑

2024年、始まったばかりですが
みなさん今年はどんな人になりたいですか?

私は彼みたいな人間になりたい、と
己を見つめ直す日々です。

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