小説 岐阜とベルちゃん
何回も失敗し、やっと召喚した悪魔ベルゼブブは薄黄色の体に真っ赤な複眼を持っていた。
晶子は想像していたのとは違うタイプの悪魔が現れたことに少し驚いたが、悪魔界にも都合があるのかもしれないと折角召喚したベルゼブブもどきを肯定的にみようとした。
(これはアルビノ種なのかもしれない、悪魔のアルビノっているのかな。)
じっと体を見つめられていることに気付いたベルゼブブは「何見とんのじゃ。そこの女子。」と言った。
声も甲高いしなまりもあるし、ひょっとしたらとんでもない悪魔の雑魚が送られてきたのかなと自分はやはり能力がないのだとがっかりした。この日のために死ぬ気でラテン語を独学で勉強し、悪魔との契約に臨んだのに。
晶子は義理の父親に虐げられて育った。それからというもの笑えなくなり、学校でも浮いた存在になっていった。
澁澤龍彦の本を読んで、黒魔術に興味を持った晶子は実際に悪魔を呼び出してみたいと思い必死で研究した。そしてついに現れたのは、馬鹿でかい白っぽい蝿だった。
晶子の冴えない表情をその複眼でしっかりと捕えたベルゼブブは「わしはキイロショウジョウバエそっくりやから、こういう見た目だけど普通のベルゼブブと何も変わらんよ。」と言った。「それにこの赤い眼がチャーミングやろ。」ととぼけた。
確かに普通の蠅よりもこのベルゼブブはかわいらしいカラーリングだし、これから一生を共にする相手として威圧感たっぷりに「吾輩はベルゼブブ、悪魔の王である。」とか重低音で言われ続けるよりも、このキュートなベルゼブブの方がなんぼかましである。
「ではでは契約するで、ええか。」
「はい、お願いします。」
「甲は乙と、」
「ん?」
「ここは日本やろ、日本式の方が安心やないか?」
「そういえば、ずっと日本語を話してますけど、ベルゼブブさんは。」
「世界中何処で召喚されるかわからんから、語学は堪能よ。」
「ラテン語オンリーじゃないんですか?その為に私は血のにじむ思いで、」
「ラテン語はスタンダードではないな、やっぱり英語の方が世界中で話されておるから。」
「え、英語?嘘でしょう?」
「まぁでもな、わしぐらいのクラスになるとやっぱりラテン語女子に萌えるわけや。」
「私のラテン語を聞いていたのですか。」
「なかなか今時聖職者以外でラテン語をかましてくる奴はおらんからな、新鮮やったよ。」
「聞いていたのに無視していたんですか?」
「シカトしてどんだけ食いついてくるか、そのガッツが見たかったんや。」
「根性ですかね。」
「そうや、人間最後には精神力がものを言うんじゃ。」
「はぁ、」
「お前は合格したんや、コングラッチュレーション!」
薄黄色のベルゼブブは後ろ手に隠していたクラッカーを取り出し、晶子に向けて豪快に線を引いた、パンと軽い音がしてしょぼい中身が露呈するとベルゼブブは「なんや、くす玉の方がええと最初は思ったんやけど。」とぽりぽり頭を掻いた。
晶子はこころから笑った、彼女が笑うことはほとんどなかったのに。
「さて、お前に名前を授けよう。」
さっきまでとは打って変わった厳かな雰囲気に呑まれ、彼女は背筋を正した。
「よし、お前は今日からGiftedじゃ。」
「ギフテッド?」
「ギフテッドは神にあたられた素晴らしい能力という意味や。」
Gifted、と地面に書きながらベルゼブブは伝えた。
「お前には潜在的な能力がある、自分でも未だきづいてはおらんやろうけど。その力をわしがフルにしてやろうと思う。わしは神ではなく悪魔や、神に与えられた素晴らしい能力を悪魔がつこうたろと思ってな、笑えるやろ。これほどの皮肉はないわ。」からからと笑うベルゼブブを見て自分の能力とは何だろうかと晶子は考えていた。
「お前、棒手裏剣投げたことあるか?」
「棒、なんですか?」
「棒手裏剣や、しらんのか。日本人のくせに。」
「手裏剣なんて見たこともないよ。」
思わずためぐちで話してしまった晶子に赤い目を細めてベルゼブブはこう言った。
「ため語で接してくれた方がこっちも遠慮なくいけるから気にするなよ。これからはGiftedだと長いからお前のことは岐阜とよぼう。」
「岐阜?行ったことないよ。」
「これから行けばええやろ。ええところやで、温泉はあるし。」
「温泉はいるの?蠅なのに。」
「馬鹿者、わしは天下のベルゼブブ様じゃ、蠅ではない、見た目は確かにキイロショウジョウバエに激似ではあるがサイズが違うやろ、まず。」
確かにこんなに大きな蠅は世界中どこにだっていないだろう。
「ちなみに、サイズは変えられるんや。とりあえず今は岐阜と同じサイズやけど飛ぶのが大変やから」
と言うとベルゼブブはその体を小さくした。そしてひょいと岐阜の肩に乗った。
「よしこれなら楽に移動できるな。満足満足。それからな、わしのことはベルちゃんと呼べ。こんなに可愛いらしいのにベルゼブブって響きが気に入ってないんじゃ。」
「ベルちゃん。」
「ほーい、なんじゃ岐阜?」
この後ベルちゃんと岐阜は契約を交わした。
岐阜が死ぬ時までベルちゃんは共に行動して、岐阜が死に逝く時、その命はベルちゃんに委ねられると。
そして契約を交わした者にしか悪魔は姿を見せない、声も聞かせない。
よって他者から見たら岐阜がずーっと一人ごとを言う危ない人に見られがちだったが、彼女はそれでもよかった、今までも独りで生きてきたのだから、何も変わりはしない。
契約をした後にベルちゃんは岐阜に告げた。
「能力1、お前は棒状の凶器を投げる才能がある。」
「棒状、あ、さっきの棒手裏剣って。」
「先のとがった棒状の手裏剣じゃ。それを相手の喉仏に投げたら相手は必ず死ぬやろうな。」
「それが私が神にあたられた能力なんですか?つまんない。」
「お前、なかなか出来ることやないぞ。訓練していない人間がそんなこと。」
「シックスセンス的なものかと思ってたから。」
「人間はすぐ超能力とか言って物を触らないで動かすとか、体を宙に浮かすとか大仰にものを考えがちなんや。人よりも少し超えた能力が超能力だと何で考えられんのやろう?」
「そうだね、たしかに。」
「能力その2、お前は人を憎む能力が高い。」
「は?」
「わしがその素晴らしき怒りを増幅してやろうと思う。」
「私が怒りっぽいってこと?」
「ちゃう。憎む能力。妬み嫉みも含む。」
「ちょっと待ってよ。全然嬉しくない。」
「悪魔やからな、憎しみの力は大好物や。岐阜、お前は人間にしておくのがもったいないほどの逸材じゃ。こんなに他人を憎むことが出来るなんて悪魔界でもなかなか、そのハングリーさが、」
「ちょっと、すごい、いやなんですけど。」
「だからわざわざわしが出向いてきたんじゃ。面白いやつが悪魔を欲してるなと思ってな。」
「それはそうだけど。私の能力ってその二つですか?」
「あと勉強熱心やからわしの指導にもついて来れそうやし。」
「指導?何か勉強するの?」
「当たり前やろ、お前悪魔とタッグを組むっちゅうことは神に忠誠を誓うのよりも茨の道が待ってるとは思わなんだか。」
「呼び出して、あとはおまかせかと。」
「ばかたれ。そのぬるさはいかん。悪魔たるものストイックたれ。まずは基礎体力作りからじゃ。そんな細こい体では憎みのパワーがマックスでも行使できん。」
「えー。体育は苦手なんだけどな。」
「インナーマッスルが大事なんや、わしなんてシックスパックどころかシックスアームやんか。」とつまらないギャグを言って笑ってるベルちゃんを岐阜は忘れてはいない。
あれから髄分経ったけれどきちんとベルちゃんの言うトレーニングをかかさず行い、女を武器にすることもあるかもしれんと言うベルちゃんのいいつけで、彼女は身なりを整えて美しくあろうと努力することも忘れなかった。
37歳にして細身の体をキープしてつやつやのボブカットにしている岐阜はいい女(世間の言う)である。そして懐にはかならず棒状の凶器を忍ばせている。肩にはベルちゃんがのんびり乗っかっている。
「なぁ、岐阜よ。」
「なによ。」
「このままいったらお前は。」
「一生独り者や、でしょう。何回も言わせないでよ。悪魔を信仰するということは全てのものに背を向けて生きるということでしょう?」
「ちゃう、生涯収入はいくらやと聞きたかったんじゃ。」
ベルちゃんと岐阜はタッグを組んだ後、新しい商売を始めることにした。
必殺仕事人業である。
まずはヒアリングをして、その退治したい相手がその行状に見合えば殺人も厭わない。
とはいうものの、長い仕事人業で二人は実際には人殺しまでは行うことは無かった。
おいたが過ぎればお灸を据え頭を下げさせる、それぐらいで大抵の顧客は溜飲を下げる。
探偵業と仕置き人がミックスされたようなその仕事はえらく繁盛した。
依頼人の復讐に対しててきぱきこなす岐阜を敵に回すのを恐れて客はかなりの額を支払った。
自分では行えないかたき討ちを岐阜とベルちゃんはてきぱきと代行していった。
ベルちゃんは他人への憎しみが大好物なのだし、岐阜は自分の持つ憎しみのパワーが少しでも誰かのためになればと仕事を頑張ったので二人はかなりの額の金を得ることが出来た。
二人とも金に対しての執着が無いので、たまに旅行にいき温泉に浸かる位しか使い道がなかった。意外にも純情なベルちゃんは女湯に向かう岐阜から降りて自分は男湯にブーンと飛んで行くのだった。ちなみに岐阜が着替える時やシャワーを使う時もきちんと背中を向け続けるベルちゃんなのであった。
「今までずいぶんと仕事をこなしてきたが、いやはやこの国は大丈夫なんか?」
ベルちゃんは好物の固いグミ、ハリボーのくまさんグミを噛みながら呟いた。
「やった、ラズベリー味が二連チャンや!明日はきっといいことがあるで。」
「刑法とやらがうまく機能していないんだよ、みーんな泣き寝入り。被害者が気の毒。」
岐阜は風呂上がりのドクターペッパーを片手に次に行う仕事の依頼を品定めしている。
あまりにも依頼が多いため優先順位というものがあるので、二人で話し合い吟味してから仕事を行う。
今回は騙した男を社会的に抹殺してほしいとの依頼だった。端的にいえば結婚詐欺の被害に遭ったということらしい。依頼人はその男のせいで貯金していた540万円と女性としてのプライドを失った。
精神の安定を欠いて一時期は鬱状態にあったが最近は安定してきたものの、胃に穴があき現在病院に入院中である。
「なぁ、岐阜よ。可哀想だとは思わなんだか。男に泣かされ、金も奪われ、胃潰瘍になるなんて、踏んだり蹴ったりやんか。だからなこの人には破格のお値段でお仕事してやろうや、なっ!」
このインターネット普及の昨今、口コミだけでこの仕事ができるのはひとえにベルちゃんのおかげである。
悪魔であるベルちゃんは日本国内全域に捜査網を張っており、お、こいつは人を殺したいくらい憎んでるなとセンサーでキャッチしたらぶーんと移動してそのもとにさりげなく必殺仕事人のご要望のチラシを置いてくる。悪魔のポスティングサービスベルちゃんなのであった。
今回の件もその女性の病室にベルちゃんがチラシをさりげなく配達したことで岐阜に連絡がはいったのである。
ベルちゃんは美人が好きだ、しかも和風で薄倖そうな美人が。
岐阜が思うに今回の依頼人はベルちゃんのタイプど真ん中なんじゃなかろうか。
今二人が見ているのは、結婚詐欺師の写真である。色が浅黒く、黒髪の短髪でスポーツが得意そうな好青年といったところか。
「ふん、対してハンサムとも思えんけどな。」
「だってベルちゃんの言う男前って昆虫系でしょう?反町隆史とかさ。」
「阿呆。バッタみたいで格好いいやんか。」
「それはレイバンのティアドロップ型のサングラスをかけていたってだけじゃん。」
「複眼系男子が次に来るな。うん、間違いない。」
「じゃあネクスト男前はどなたですか、ベルちゃんおすすめの。」
「タモリ。」
「阿呆、もうとっくにティアドロップ型は卒業されていますよ、タモさんは。」
「時代は繰り返す。なぁ、岐阜よ、こいつに決めようや。なぁおい。女子を泣かす男なぞろくなもんじゃないわ。」
「わかった、まずは調査からね。こいつがどうやって彼女を誘惑したのか、お見舞いがてら聞いてみようか。」
「サンキュー、岐阜!」
ベルちゃんは星野源の恋のメロディーを口ずさみながら8の字に飛びミツバチの求愛ダンスを密かに再現していた、それを見て岐阜はあぁあ、悲壮感漂う美女に弱い悪魔だなぁと思っていた。
「綺麗な人だったね。」
「いつもは手厳しい岐阜が褒めるんやから相当なもんやな。」
「男の方にも当たるしかないわね、依頼人の言い分が正しいのかどうかきちんとジャッジしないと。」
「うーん。」
「どうしたの、ベルちゃん。」
「なぁ、どうして胃潰瘍の病人にフルーツの籠をお見舞いとして渡すんかな?」
「ちょっとちょっと駄目だよ。まさか勝手に盗ってきたんじゃないでしょうね?」
「なめんなよ、わしを誰だとおもっとンのじゃ、わしは、」
「キイロショウジョウバエ、フルーツ大好き。」
「人さまのもんに手を出すわけがないやろ、だけど帰りにマスカット買うてくれや!」
どうにかして男にコンタクトを取らなければならない。
ということは岐阜が相手のカモになればいいということだ。
「ひとつ気になっとるんだが、岐阜、お前は恋をしたことがないやろ、いい年こいて。」
「は?悪魔と契約してこの年月そんな暇なかったね。」
「いんや、お前は男に異様に厳しい。」
「そんなこと無い。私の人生に於いて好きな人が現れなかっただけで、」
「お前、王子様を待ってたのか…、ぶるぶる恐ろしいげに恐ろしきは岐阜の乙女心か。やっぱりこの依頼ことわろか。」
「なんでよ、他人にあんまり興味が持てないだけだよ。復讐のために最善をつくそうよ。」
「その悪魔的なクールさがこの仕事を行う上では役立ってきたんやけど。」
「そうでしょ?だから余計なこと言わない。」
「でもな、今回は結婚詐欺師やぞ、お前惚れてる演技何か出来るわけないやん。」
「じゃあどうするのよ。相手に近づいて恋人関係に成らなければだまし討ちできないでしょうよ。」
「練習しよ。」
「へ?演技の練習?そんな時間ないよ。」
「ちゃう、恋のお稽古や。師匠と呼びたきゃ呼んでええぞ。」
「ベルちゃんが師匠?ベルちゃん熱でもあるんじゃないの?」
「わしは真面目にいっとるのや、心配なんや。相手は詐欺師やぞ、なめたらあかんぞ。」
「たしかにあんなに美人さんがころりと騙されたんだから、特別なテクニックがあるのかも。」
「その男に無理やりされてしまったらどうするんや。」
「ベルちゃんの口からそんな言葉聞きたくない。だいたいこの仕事やりたがってたのはベルちゃんじゃん。わたしは騙された振りして犯人を地獄に突き落とす役なんだから、こういう時こそ女の武器を使うべきなんじゃないの?今までのトレーニングがものを言うわけでしょう?わたしを護るのはベルちゃんの仕事。だから信頼してるから一緒にいてよ、ずっと。」
「プラトニックラブを貫く鋼鉄の乙女に徹してくれ。」
「ラジャーです、師匠。」
二人は気づいていない。悪魔と契約者でタッグを組んで人助けをしていることに。
岐阜は幼い頃から虐げられて育った恨みの力を見事に昇華し、自分が困った人を助けることを生業にするなど考えもしなかっただろう。ベルちゃんだって一応ベルゼブブという高位の悪魔なのに生来性格がよいのであった。
岐阜にとってベルちゃんがそばにいてくれることでどんなに心が落ち着くことか。
二人の冒険はまだまだつづく。
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