菅原伝授手習鑑

再読完了したのでメモを。

最初に三大浄瑠璃を読もうとしたときは、これを最後に読んだはず。菅原道真が左遷されて最終的に神様になった話をどう浄瑠璃に?と思っていたし、『浄瑠璃を読もう』を先に読んでいたので概要はなんとなくイメージしつつも、上場あまり面白そうではなかったので。

出来事が盛り沢山な物語だし、あらすじを書き留めなくても、あれこれ転がっている有名作品なので、気になったところだけ書く。

菅丞相が独特なキャラクターで、どうもつかめない。人間が神様になった、あるいは、神様がかつて人間(の姿)であった物語なので、奇蹟を起こすのは分かるけれども、力の使いどころがちょっとずれているというか。

特に印象的なのは、安楽寺で気楽を願うのかと問われて「我に科なければ、仏に苦労かけ奉り、身の上祈る心はなし。」というところ。
神仏に祈るに当たって、手を煩わせるのも申し訳ないし、などと考えたことがなかったので、なかなかの衝撃。

冤罪も流刑も然したる大事ではないと思っているのか、じっと大人しくしていたのに、帝が危ないとなって始めた怒り狂う、何を考えているのか不思議な菅丞相であった。

『浄瑠璃を読もう』の該当箇所も再読した。
時系列の分かりにくい点(分からなくても問題はない)も、これで納得。
情報収集と分析は大切だという教訓も、本当にそうだよなと首肯。
菅丞相の行動の遅さについての解説とツッコミは笑える。

国立劇場建て替え前の目玉演目は通し狂言 菅原伝授手習鑑。通しとは?という話もあるけれど。
開場企画も菅原伝授手習鑑だったようで。

すっかり浄瑠璃は「読む物」になってしまい、劇場からは足が遠退いている。

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