薩摩歌

世話物2作目、のつもりだが、第6巻まで飛んだ。
初演年の特定が難しいという話は、月報で触れているようだ。月報だけでもちょっとした読み物なので保留して薩摩歌へ。

導入があっさりしている感じはしたものの、登場人物の事情が一通り説明され終わるまでが長い。
地名を折り込むのはよくあるけれど、薬を折り込むのは面白いなと思っていたら、最後に繋がっているということかな?
華佗が名前だけ出て来て三国志が懐かしくなった。

途中からおまんと源五兵衛だけの話へと移行し、そこに残りの登場人物が順に現れる。

・おまんとの関係故に郷にいられない状況の源五兵衛
・不承知な婚姻の話を拒否したい、おまん
叶わぬ恋のために逃避しようというパターンだが、2人にとって死が必須であったかは微妙なところだと思う。ただ、意識している様子はあった。

逃避して合流後、その後の流れ(心中or逃避行)の定まる暇もなく、源五兵衛はおまんを誤って斬り、自身も切腹を試みる。
心中の厳密な定義というものがあるのか知らないが、このように心中を目的とせずに女を斬っている時点で、その後めでたく一緒に死んでも心中は成立しないだろうと思う。

腹を切りすぎて力が入らず死にきれないところに、源五兵衛に恩を感じている三五兵衛が現れ、おまんの結納話は自分が手を回したのだと言う。恩返しのために、2人を結んでやるつもりだったと。
大人しくしていれば全て丸く収まったのに、早まったばかりに死ぬことになるなんて。

せめて三五兵衛が介錯するかと思ったら、良い医者がいるから大丈夫と言って、おまん源五兵衛を連れ去るのであった。
な、なんだこれは。置いていかれた感覚になった。題に心中とないので恐らく何か起こるとは予想して読んでいたが、切腹しても助ける凄腕がいるとは。

敵討ちのための女装、その正体たる三五兵衛に嫉妬させるための夜の一計。この辺は素直に読んでいくと騙される立場になるが、仕掛けを明かされるとなるほどと思う。
仲人が持ちかけてきた話の裏も、なるほど恩返し、と思った後に、切腹しても繋げば大丈夫というお気楽なことを持ち出されるので、そのまま流れでうんうん頷いておけばいいのだろうか。
霊験物ならともかく、これは無茶だと思うのだが、当時の観客はどう受け止めたのだろう。三国志辺りの話が出てくると、伝説的解決として受け入れるという、機械仕掛けの神の類いか。

明らかに心中物ではないが、単なる心中失敗で終わらないことにビックリ。恩返しの物語と言えなくもないか。これはどう分類される作品なのだろう。

おまん源五兵衛は西鶴からの翻案では?ということで、どこかで読みたいと思いつつ、まずは世話物を読み進めるぞ。

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