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日本列島の誕生と、プレート原理

最近のお気に入り番組「ブラタモリ」。テーマは非常に稀有だが、地学だ。この番組と並行して、NHKでは「ジオ・ジャパン」も好評だった。日本は地学の世界でも興味深いトピックの宝庫である。そんな番組に触発され、日本列島の100万年史を勉強してみたのが前稿である。

今回は、もう少し、地学の理論的なところを学んでみよう。冒頭画像は、『ちーがくんと地学の未来を考える』サイトからの引用。火成岩の分類のお話が分かりやすく説明されている。この話は本稿の中盤でも登場する。


プレート(地殻)はなぜ動く?

地質、地学、地震などの研究で最も重要なのは「プレート・テクトニクス」。地球表面では数枚のプレートが動き、ぶつかり、沈み込んで、様々な地質現象を引き起こす。日本列島とは、4つのプレートが交錯している非常に珍しい場所だ。では、なぜ、プレートが動くのか。これを説明しているのが「プルーム・テクトニクス」理論だ。
本稿は参考図書3冊で読み解いてみよう。

この理論の画期的な点は、山地・山脈の形成メカニズムや地震・火山の分布について合理的な説明ができるようになったこと。プレートがマントルに乗って動くので、衝突などで圧力がかかったところに山ができる。他方、プレートが沈むところでは、地震のエネルギーが蓄えられていく。そこには海水も一緒に混じってくるので、マグマを大きく育てることにもなる。これらの地殻運動は、すべてプレートの移動に関係している。

ちなみに、マグマとはプレートが地中で、高温によってドロドロに溶けた(溶融した)ものを指す。成分的には、プレート内の岩石によって様々だ。周囲のマグマより軽い成分になると、浮力によって上昇を始める。そこに水分や二酸化炭素が含まれ、揮発成分として、さらに上昇圧力を高めると、最終的には、火山ガスや溶岩として地上に噴き出してくることがある。

さて、プレートが動くのはその下のマントルが対流しているからだ。マントルは、地表プレートの下で、ゆっくりと動く分厚い層のことだ。地球全体の容積の8割以上を占めると推計されている。その下部、つまり地球の深部には核があり、マントルはその核の熱を受けて、運動エネルギーを有する(とされている)。マントル層と言っても、その下部で高温になった部分は密度が小さくなり、(マントル層の中で)上昇を始める。それと入れ替わるように、(マントル層の)上部は下方へと沈み込む。このマントル内での対流が、地表プレートを動かす原動力になっているのだ。

大陸移動の原動力について有力視されている説|海洋研究開発機構


地球の内部をのぞいてみると

地表から地球の内部に至るまでを、物質で大きく分けると、表層の地殻、そしてマントル、さらに核(コア)と続く。ニワトリの卵のような構造で、殻が地殻、白身がマントル、黄身が核となる。もともと誕生したばかりの地球が、マグマの海だったが当時、重い元素は徐々に中心部へと沈んでいった。内部は高温を維持したため、中間部もかなりの温度で液状のまま、ゆっくり対流している。表層の地殻は、冷えて、硬い層となった。

リソスフェアとアセノスフェア|ちーがくんと地学の未来を考える

硬い地殻を構成しているのは主に岩石だ。花崗岩、安山岩、玄武岩。いずれもマグマが冷えて固まった火成岩だ。深部でゆっくり固まったものは花崗岩。シリカ(二酸化ケイ素)の含有量が多い白っぽい石。沈みこみプレートが多い日本では灰色の安山岩が見られる。浅い位置で生成する。シリカが少ないのは玄武岩、黒っぽい色になる。

NHK そなえる 防災|噴火の源・マグマとは?


それら岩石の地殻は、マントルの上に浮いているようなものだ。地殻の厚さは、海に浮く氷山のように、上下に伸びている。つまり、陸地では高さがあるので、地殻も深くなるのだ。日本列島付近では30キロ、ヒマラヤ山脈などの高山域では上下に厚くなり60~70キロにも及ぶ。逆に、海洋での地殻の厚さは7キロとほぼ一定。地域差はほとんどない。硬い地殻は、マントルより比重が軽く、両者は接触面(境界)で力(=地殻の荷重と地殻に働く浮力)の釣り合った状態である。

マントル掘削への挑戦(JAMSTEC;国立研究開発法人海洋研究開発機構)

地殻に比して、マントルの上下の厚みは2900キロに及ぶ。マントル上部は主にかんらん岩で構成されている。これが下部に沈むと、結晶構造が変わり別の鉱物となる(=相転移する)。かんらん石は、地球上で圧倒的な存在感(体積の8割)を有する鉱物だが、地上にはほとんど出てこない。緑色に輝く宝石「ペリドット」は、かんらん石である。(地殻を構成する主要成分の)二酸化ケイ素の含有量が少なめで、マグマがゆっくり冷えて固まった岩石を指す。ちなみに、石とは(そもそも厳密に言えば)自然界にあり、地質作用によって造られた個体(=鉱石)の集まったもの、を意味する

マントル起源のかんらん岩(黄緑色)を含んだ玄武岩(灰色)。|学びの場.com

それにしてもマントルとは神秘的だ。地殻の下に位置し、人類はいまだにそこまで掘り下げられていない。旧ソ連が謎の掘削を行い、20年以上かけて到達したのが、深度12kmという。つまり、誰も見たことがない地中に、ゆっくりと流動している巨大な層があり、我々生命のいる地殻・プレートは、そのマントルの上を漂っていることになるのだ。

世界で最も深い1万2000メートルの穴を掘った人類が学んだこと
SciShowの文字起こし翻訳記事(ログミー)

ただし、マントルは流動性こそあれ、個体であることに間違いはない。地震波(S波=横波)が伝播するのは何よりの証拠だ。そのマントルが高熱によって動くことを「マントル対流」と呼ぶ。熱によってその一部が膨張し、軽くなって、温度の低い部分と位置を変えてしまう現象だ。その上昇流や下降流をプルームと呼ぶ。

プルームとは「羽毛」や「煙」のようにフワフワとしたものを指す。マントルの中に沈み込んだプレートは、残骸のように沈降し、再び地下で温められると上昇してくるとされる。冷えて沈む(コールド)プルームと、熱まり昇る(ホット)プルーム。この循環がマントル対流を生じさせる。たとえば、大西洋に広がる中央海嶺(中央に連綿と連なる巨大な海底山脈)が形成され、新しいプレートが左右に広がっていくのは「ホットプルーム」のなせる業だ。これはプルーム・テクトニクスとも命名されているようだ。


地球を「石」から考えてみる

ここで話を「石」にフォーカスしてみよう。上記定義により、石は地質作用で作られている。その主要元素は、ケイ素(と酸素)だ。太陽系が誕生した当時、のちに星を構成する様々な元素は、あの太陽系の巨大な遠心分離機の中で回転し、ケイ素(や酸素)は、岩石惑星の位置、つまり今の地球がある位置で、太陽の周りを漂っていた。このことが、地球等を構成する材料として、取り込まれていった理由と考えられる。地球に、造岩鉱物(酸化ケイ素)があるのは、なんと、太陽系が関係していたのだ!

酸素とケイ素が結びつくと、結晶が生じる。だから硬い「石」となる。地球には主に三つの石があり、地球深部のカンラン岩、すなわち「橄欖岩」、海洋地殻の「玄武岩」、大陸地殻の「花崗岩」に大別できる。(ここからは漢字にするが)橄欖岩が圧倒的な比率(8割)を占め、玄武岩は2%さえ満たない。花崗岩に至ってはさらにその半分。それ以外は金属が占めている。ただし、三つの石に限って言えば、ケイ酸の含有比率で区分けがなされているだけで、親子関係と言える。分化していった系譜がある。

ところが、その、存在感たっぷりのはずの「橄欖岩」を見ることはほぼない。上述したが、地球の深部でゆっくり生成し、ごくたまに地表まで飛び出してくるだけ。また、上がってくる頃には「蛇紋岩」と名称を変え、変質している。地中のマグネシウムを含んでしまい、黒ずんだ濃緑色に変わるのだ。そうは言っても、日本では北海道・日高山脈の南端・アポイ岳にて(変質していない)橄欖岩を見ることができる。かつては上部マントルだったアポイ岳そのものが、プレートに押し上げられ、地表に露出したからだ。

次に「玄武岩」。ハワイのキラウエア火山に行くと、玄武岩のマグマが流れ続けている。粘性が低いため、地を這うように遠くまで流れていく。もともと玄武岩は、マントルが溶けて、さらに固まったものと考えられている。融点の高い鉱物から固まっていくために、岩石になるタイミングによってはその成分が変わってしまうのだ。ケイ酸の重量比率が53%に達しないものが玄武岩と言われ、黒っぽい色をしている。

ハワイの“大人しい”火山に危険な一面|ナショナル ジオグラフィック

玄武岩が大量に噴出しているのは、海嶺である。たとえば大西洋・中央海嶺からは、膨大なマグマが溢れ出ており、冷えて固まると海洋地殻を構成する。その7割が玄武岩だと推計されている。大西洋の底・中央海嶺の暗黒の海底に潜ると、潜水調査船のライトにピカピカ光る反射が見られる。実はこれが、地中から湧いて出た玄武岩マグマのガラス質だ。その後、玄武岩は、粘性が低いため、海底に薄く広がっていく。世界最大クラスになると、日本の総面積の6倍に達する。パプアニューギニアの東の沖にあるオントンジャワ海台である。また陸上では、インドのデカン高原が日本の1.5倍の規模で溶岩台地を形成している。

玄武岩の特徴がよく表れているのは、何と言っても日本の富士山だ。円錐形でなだらかな裾野をもつその姿は、噴火のたびに噴出した溶岩が「薄く広く」何層にも積み重なってできている。噴出物の中にはスコリア質(多孔質)が多く、水が地下に染み込んでいく。そのため、山の表面が侵食されにくい。それが美しい斜面を維持できた秘訣だ。しかも、富士山は独立峰であるがゆえに美しい。その神秘性が多くの人々を魅了し、信仰の山となった。富士山が単独でそびえるのは、その位置の真下にプレートの沈降域があり、付近に高い山地が生じなかったことで四方に裾野が広がった結果である。

国際宇宙ステーションから見た富士山/NASA撮影(2001年)

石の話に戻ろう。花崗岩だ。玄武岩の黒に対して、花崗岩は白い。近畿地方や中国地方で見られる岩石だ。神戸市の「御影石」は、切り出した花崗岩である。硬いのに、加工しやすい特徴があり、石材として様々な用途がある。節理という割れ目に楔を打ち込むことで、容易に切り出せるのが魅力だ。この花崗岩は、大陸地殻ではたくさん見られる。相対的に軽いため、その花崗岩(大陸)は、玄武岩(海洋)の上に乗っかる。つまり、大陸と海洋の二つのプレートがぶつかれば、海洋地殻が沈み込むのはこのせいだ。

御影石のルーツをたどる|神戸新聞社

さて、この花崗岩はやはり橄欖岩から派生してくる(火成岩な)のだが、ある謎が生まれた。マントルの融解で始まるマグマが、玄武岩を、そして花崗岩を生み出すとして、計算上(この結晶分化作用だけでは)、玄武岩の半分に達するほどの花崗岩の量を生み出すことができない。大陸地殻を構成する大量の花崗岩は果たしてどのように生成されたのだろうか。

その秘密は、海洋プレートからもたされた水にある。大量の水が地殻下部に落ちていき、圧力の低いところで安山岩・花崗岩を生成する。たとえば、日本の西之島新島は、2013年の噴火によって(旧島を包み込むように)誕生した島だ。東京から1000キロも離れた、小笠原諸島付近の位置である。海底地殻の(比較的)浅い位置で、安山岩が生成され、地上部に出てきた。もしもこれが、陸地形成の典型的なパターンとなれば、のちに、安山岩が花崗岩に変わっていくプロセスを経て、厚みのある大陸地殻を形成していくことになるはずだ。つまり、マグマがいきなり花崗岩を産み出したのではなく、安山岩を一度経由した、と考えられるのだ。

花崗岩の特徴にも触れておこう。花崗岩はその結晶も非常に大きく、ゆっくりと形成されたことがわかる。またそのマグマは粘性が高く、周りの岩石を溶かしながら時間をかけて上昇する。その過程で、様々な元素が取り込まれ、色々な石を生み出す。花崗岩で言えば、石英・斜長石・正長石・角閃石・雲母など、いずれも(ケイ素の割合が大きいため)白っぽい岩である。

ついでに学校で学ぶ6つの石(火成岩)についても触れておこう。マグマが地表近くで急速に冷えて固まったものは、玄武岩・安山岩・流紋岩に分かれる。他方、地下でゆっくり生成した深成岩は、斑糲岩・閃緑岩・花崗岩。マグマが冷えていくと、融点が高い岩から分離晶出していき、ケイ素の割合を増やしていく。つまり、生成される時間と、ケイ素の比率によって、呼び方が変わるのだ。

火成岩の種類と覚え方の解説|「さわにぃ」の中学理科・苦手解決サイト
石好きになったら、図鑑の前にこの本!『石はなにからできている?』|岩崎書店


今日、どこにでもある石は、地球が誕生した初期の数億年、非常に稀な存在だった。宇宙に漂っていたケイ素や隕石・隕鉄などを集め続けた地球は、徐々に成長し、内部に熱を蓄えた。原始地球の表面はドロドロに溶け、マグマの海に覆われていたと考えられている。このとき、重い鉄は中心部にまで沈み、核となる。核の周囲は橄欖岩に取り囲まれ、いわゆるマントルになった。後に、その表層にできたのは、冷えて固まった地殻だった。人の体で言うところの「かさぶた」に当たるのかもしれない。

そのマントルが熱をもって対流し、プレートを動かした。プレートとは地殻だけを意味しない。硬い地殻と、それに付着する上部マントルまでを含めている。引っ張られたプレートは、一方で沈下し、他方で地中から湧き出す。これが「プレートテクトニクス」理論だ。この現象は、水星や金星、火星など他の星では見られない。海から顔を出したプレートがぶつかるなどして大きなシワを作れば、それは巨大な山脈となる。たとえば地球最高峰のヒマラヤ山脈は、インドプレートがユーラシアプレートにぶつかってできた巨大なシワだ。同様のことは伊豆半島も同じ。フィリピン海プレートが運んできた伊豆半島は、海底火山の連なりの北端にあたる。それが本州に激しくぶつかり(百万年前)、陸地が生まれ、シワになった。これが丹沢山地である。その結果、関東山地も生じた。そして、複数回の火山活動によって生まれたのが富士山である。このあたりは、冒頭の、僕の別記事で紹介している。


日本におけるプレートの作用

さて、いよいよ日本列島の話に迫ろう。上述した伊豆半島のプレートが、実は、日本最大の関東平野を造った。プレートがシワを、つまり山脈を造った話は分かるが、平野を造ったとは何だろう。沈み込むプレートが、本州側に次々と打ち寄せ、物質を堆積させた。それらが房総半島や三浦半島となり、海岸部を盛り上がってしまった。面白いのは、その後背地に平らな面(海盆)が生じることだ。シワの膨らみの奥は、凹むという理屈だ。そこから水が引いたあと、広大な関東平野が誕生した。

海水が侵入し,約6千年前には広大な入り江ができた。
霞ケ浦環境科学センター

時代はかなり下って縄文時代前後(1.9万年前)になると、氷期と間氷期が繰り返し訪れている。そして関東平野は海の下に沈んだり、陸地になったりした。縄文時代には、今以上の温暖化によって海水が侵入(縄文海進)。霞ヶ浦は海となり、平野の多くが入江となった。当時の海岸と考えられている場所には、縄文人の貝塚が残されている。

プレートテクトニクスの影響で巨大な関東平野ができ、その後、ずっと時代を下って、江戸という大都市が建設された。古代にはいくつかの集落があっただけの場所だが、なんと、徳川家康の移封後には、大都会の礎が築かれた。大阪を模倣した大都市建設が始まったのだ。それが江戸だった。昔の大阪は、首都・京都とつながり、近畿三角帯と呼ばれた。大阪は湖であってもおかしないくらい海抜が低く、奈良・京都と水路でつながった。古代人は常に水際で生活し、都市間を行き来している。そんな大阪の地の利を、江戸に見出し、発展させたのが今日の東京だ。物流を支える水路の存在がいかに重要だったか、よく分かる。


消えたプレートの存在

日本の地形を語る上で、神話上の名を冠したプレートに触れてみたい。そのプレートはもはや存在していない。その前に、まずはこちらから・・・。

フォッサマグナとは(糸魚川市)

日本の地形を語るときにはずせないのは「フォッサマグナ」だ。巨大な溝という直訳の通り、東北日本と南西日本を分断している。それもそのはず、両者は、この溝を介して異なるプレートの上に乗っているのだ。東北日本は「北米プレート」、厳密に言えば、「オホーツクプレート」にあたる。南西日本は「ユーラシアプレート」、これもまた「アムールプレート」という小さな括りにあるのではと考えられている。この2つのプレートが、太平洋側に押し出された際、角度を変えながら向き合い、ぶつかったという。そこに伊豆半島(伊豆火山弧)が南から衝突という。フィリピン海プレートだ。これら3つのプレートの衝突したのが日本。まさに「事実は小説(空想)よりも奇なり」である。その三方からの衝突が大地溝帯を形成し、今日の糸魚川・静岡構造線となっている。その溝には、6000mもの堆積物が溜まった。

地震と津波の豆知識|海底地震津波観測網(NIED)

日本にあるのは、その3つのプレートだけではない。もうひとつ、太平洋プレートが加わる。これら4つのプレートが交錯する日本列島では、海洋型プレートの二つが、大陸型プレートの下に沈み込んでいる。その沈み込みは、海洋プレートの地殻が薄く、マントル成分を多く含むため、大陸プレートより重いのが原因だ。沈み込んだプレートから海水が滲み出し、岩石と混じってマグマだまりを作る。これらはすでに上述した内容だ。したがって多数の火山ができやすい。つまりマグマが地上に吹き出るから、火山となるのだ。こういうタイプの火山は、全体の四分の一を占めるともいう。

マグマのでき方(沈み込み帯のマグマ)|大鹿村中央構造線博物館

さあ、いよいよ、謎のプレートの登場だ。日本列島が今の形をなすには、「イザナギプレート」の果たした役割が大きい。日本神話に出てくる「イザナギ」の名が、5000年前に消えてしまったプレートに用いられているのは言い得て妙である。かつては太平洋プレートに隣接していたプレートだが、ユーラシアプレートの下へと消えてしまったのだ。そのイザナギプレートが、日本列島に残していった堆積物が「付加体」である。沈み込むプレートからはぎとられ、陸地側にくっついたものだ。

付加体のイメージ(『図解 プレートテクトニクス入門』木村学/大木勇人を一部改変)
海洋研究開発機構のサイトより

イザナギプレートが消えてしまった以降の日本列島は、2000万年前から徐々に今の姿になっていった。実は、その前(イザナギプレートが消えた頃)、フィリピン海プレートが赤道付近に突然誕生。のちに、中国山地や富士山をもたらす。そのプレートが徐々に北上を始めた。また、大陸と日本列島との間に陥没が広がったのもこの頃だ。今日の日本海ができる。この段階では、西南日本がまだ対馬海峡と陸続きであり、東北日本の北上山地などの大部分が海の底だった。そこにぶつかってきたのが、太平洋プレートであり、東北日本が隆起した。そうこうしている間に、北上したフィリピン海プレートも日本列島とぶつかり、相模トラフ、駿河トラフ、南海トラフを形成。ちなみにトラフとは、海底の溝状の地形のことである。

南海トラフ地震とは|気象庁


日本を災害大国にした原理

プレートが沈み込むのは、反対側のプレートが盛り上がり、山ができることを意味する。海底にあった東北の地が山の上まで押し上げられたことは、(山の上の)化石の発見で明らかだ。また、この沈み込みのとき、上盤のプレートとの引っ掛かりが生じてしまう。この、部分的な固着が生じてしまい、のちの地震の震源地となる。ひずみ(ズレ)が蓄積し、その限界値を越えたとき、一気にそれが修正され、地震のエネルギーとなる。

部分的な固着、引っ掛かりのことを「アスペリティ」と呼ぶ。物体表面の粗さを示した言葉だ。プレート境界で蓄積されたひずみが、このアスペリティを次々破壊することで、地震となる。2011年、宮城県沖で例の大地震が起こったのは、2005年の地震と連動したものとされる。またその前から同地では地震が何度も繰り返されており、継続監視とすべき震源地だ。

歴史的に心配されているのは南海トラフだ。記録に残っているのは奈良時代の白凰地震。巨大な被害が報告されている。その後も、地震の記録は綴られ、江戸時代の慶長地震では津波が広範囲に発生した。さらに過去最大級の宝永地震はマグニチュードが「8.6」にまで達した。繰り返される南海トラフ地震は、今後も我々の生活を脅かすリスクとして認識せざるを得ない。

防災情報 (「南海トラフ」で起きた過去の地震)|名古屋テレビ


次に、火山だ。東北日本では、海溝に並行して火山の列が並んでいる。富士山・伊豆から小笠原諸島にかけても同じだ。これに対して西日本には活火山がほとんどない。南日本・九州においては、阿蘇山から桜島、そして南西諸島へと続くラインには再び、火山が並ぶ。(繰り返しになるが)火山とは、地下にマグマだまりを抱え、噴火を通して形成された山である。

東北地方の活火山|気象庁

日本を代表する活火山は桜島だ。1000年近い休止期もはさんだのだが、大正噴火では大量の溶岩を流出させ、大隅半島と陸続きになったほどだ。東京ドーム約8杯分のマグマがたまっていたとされる。歴史的に名高いのは、関東の浅間山だろう。天明の大噴火では、詳細な記録が残されている。現在、多くの観測機器が設置され、警戒監視が続く。

天明3年の浅間山噴火を描いた「夜分大焼之図」(長野県小諸市美斉津洋夫氏所蔵)

火山は厄災だけでなく、日本に多くの恩恵も与えている。そのひとつが温泉である。マグマだまりが熱源となり、地下水を温めている。溶け込む成分によって、温泉の効用は大きく変わる。また、火山の熱がそのまま利用されて、地熱発電につながる場合がある。さらに、地中の高温水が金属資源を集めて、鉱床を形成することもある。かつての日本は豊富な貴金属の鉱床が存在した。たとえば「金」。年間の産出量は8トン。鹿児島県の菱刈鉱山は今日でも有力な金鉱山である。佐渡金山はすでに掘り尽くした感があり、江戸時代からの400年弱に渡って合計80トンを産出。黄金の国・ジパング伝説を支えた。


それにしても、火山の厄災は半端ではない。富士山の宝永噴火(1707年)では、連日連夜、煙を吐き続けた。火砕流が時速100kmで麓に流れ出て、噴石を四方に飛ばした。富士の火山灰は東側の一帯を60cmも覆ってしまうほどだったので、当時の被害は想像に難くない。なぜなら、灰にはガラス質の尖ったものが含まれ、人の気管支に入ってしまうと喘息を引き起こしてしまうからだ。しかも、江戸は火山灰によって昼間でも薄暗くなったと記録されている。農作に深刻な影響を与えただろう。

火山の活動は時として文明そのものを滅ぼしてしまう。ヴェスヴィオ火山の火砕流がポンペイ(イタリア)の街を一瞬にして埋め尽くしてしまった歴史的事件はあまりに有名だ。多くの人の死に様は、今日の僕らに貴重な歴史的証拠を残してくれたが、それにしても火山への恐怖は強まるばかりだ。

火山と言えば、とにかくマグマだ。固体だった岩石が液体になったもので、地表での温度は1000度前後となる。岩石を融解させるためには高温が必要であり、成分によって融解温度が異なる。そもそもだが、溶けるとは、温度によってエネルギーを与えられた分子が、結合エネルギーを上回る熱運動エネルギーを得て化学結合を断ち切るプロセスである。水が加わると、分子同士の結合エネルギーは弱まり、溶けやすくなる。つまり水を含んだ岩石は、より低い温度で鉱物を溶けやすくするのだ。本稿のプレートの話題に戻せば、海洋性プレートはマントルに沈み込んで「スラブ」を生じる。そこから水が滲み出て、プレート境界を上昇。そのスラブ起源の水がマントル上昇流に付加されると、かんらん岩(橄欖岩)などが融解しやすくなる。マグマ(地上に出てくると「溶岩」)とは言葉の通り、高温で溶けた岩石だ。みずからの浮力により、あるいは上昇流により地上に飛び出してきて「溶岩」になる。この原理が、本稿を貫くプレートの移動やマントルの対流を起こしている。

最後の小咄として、関東大震災に触れておこう。1923年、正午に襲った大地震は、10万人以上の命を奪った。浅草では当時の象徴的な建物・凌雲閣が倒れ、いくつもの火災が東京の街を破壊した。ただ、プレート境界のすべりが6~7mに達し、200年分くらいのすべり欠損を解消したとも言う。すべり欠損とは、上述にもあるが、プレートが固着している度合いのことだ。欠損が大きいと、将来の地震リスクとなってしまう。

日本列島の地震発生層はおおむね15km以下。厚みがあれば容易に崩壊しないため、ひずみが蓄積しやすい。地震とは基本的に、地殻の変形を一様化するプロセスであるため、周囲の地層と比べて、どれだけひずみ(ズレ)があるかを調べられれば、将来の震源地が推測できる。それでも、「30年以内に70%以上の発生確率」というレベルである。不安を感じるしかない予言だろう。それだけ、地震予測は難しいのである。

知ってタメになる話を、知っても「どうしようもない」ことで終わらせるのは心苦しいが、これが現実なんだろう。この文章の続編も登場。


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