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【思い出】I先生のすみれの25年をこえるの軌跡

実家に帰ると
母から「今年もすみれが咲いてるよ」と
言われた。

私の口から出た言葉は
「えー!?今年もΣ(゚艸゚〃)」

まさかこのすみれが30代になるまで
咲いてくれてるとは思いもしなかった。

小学校3年生か4年生の時、
たしか理科で植物の観察をするという
授業だったと思う。

当時の担任は50代の男のI先生。
ベテランの先生で面倒見も良かった。

多くの先生は校内にある花で観察を済ませると思うが
I先生は自宅からわざわざ花を持ってきてくれていた。

帰りがけに友達と話していたところを
I先生に呼び止められ、
「今日使ったお花持って帰る?」と聞かれた。

子供たちに観察され、触られ、
正直瀕死状態の花たち。

それでもゴミ箱に捨てるでもなく、
それを持って帰るか?と聞いてくれたI先生に
大人になった今、とても人柄を感じる。

いくつかあった花の中から
私はすみれを選んだ。

瀕死状態の花を手で握り締めながら
大事に持って帰った。

子供の「大事に」握り締めるは時に残酷で、
帰宅した頃には瀕死どころか息絶えていたと思う。

それでも
授業に先生が花を持ってきたこと、
その花をくれてもらって帰ってきたことを
親に話せたことが嬉しかった。

そして、
父がそんなクタクタなすみれを鉢に植えた。

今の私が親だったら生き返るわけないだろうと
その日のみ楽しみ、サヨナラしてしまうと思う。

それがみるみる花の数が増え、
そして毎年花を咲かすようになった。

I先生の計らいと父の行動、
そしてすみれの生命力には
毎年びっくりさせられて約25年。

大人になってもI先生のクラスでの思い出、
またI先生の言動で記憶に残ることが多々ある。

ひとつはクラス目標。

大体のクラスは生徒たちに話し合いをさせて
1つの目標を決めるのがほとんどだと思う。

それがI先生は3年生の始業式に
壁に貼り出す用のクラス目標の紙を手にして
教室に現れた。

「私のクラスでは毎回同じクラス目標です」と言って
紙を広げた。

【みんなは1人のために、1人はみんなのために】
と書かれていた。

中には勝手に決めるなよ~( ー̀εー́ )と
言っている子たちもいたが、
私はこの目標が好きだなと思った。

この言葉は劇団四季の「ユタと不思議な仲間たち」で
「友だちはいいもんだ」の歌詞にも出てくるので
今でもたまに思い出す。

なかなかできる事じゃないけど
クラスという集団には
これ以上良い目標はないなと思うし、
30代になった今でも好きな言葉である。

もうひとつの思い出は運動会。

小3の運動会は雨が降り、
通常授業になっていた。

この時もみんなブーブー言いながらも
雨で薄暗い教室で授業を受けていた。

すると男子が「O君!!」と叫んだ。

O君は学期の途中でお父さんの仕事の都合で
仙台に引っ越した男の子だった。

廊下にはO君と親御さんがいて
「運動会を見に来たんですが中止ですか?」と
お父さんが残念そうな顔をしていた。

そんな親の心配はお構いなしに
O君は教室に入れられて
元クラスメイトから揉みくちゃにされていた。

気がつけばI先生の姿は見えない、
少し経つと鍵をチャラチャラやりながら帰ってきた。

「みんな、お遊戯の道具を持って体育館へ行こう」と
言い始めた。

そう、
わざわざ仙台からやっていてくれたO君一家に
学年でやるはずだった演目を披露しようと
体育館の空きを確認し、鍵を取りに行っていたのだ。

4クラスでやるはずのフォーメーションを
1クラスだけのお遊戯ではあったが
観客はO君家族のみの特等席。

O君はとても大人しい男の子だったが
キラキラした目で見てくれ
とても大きな拍手をしてくれたのが
印象的だった。

そのあともO君と球技か何かをして
プチ運動会気分を味わったと思う。

親御さんもI先生と私たちに
ありがとうございましたと
何度も言ってくれた。

あの時、授業は続行しないまでも
クラスで何となくO君と過ごして終わりする
先生も多いだろう。

それを運動会を精一杯再現しようとした
先生の計らいが子供ながらにとても嬉しかった。

その他にも
帰りの会の直前に友達と喧嘩をして
早く家に帰りたいという子を
無理に止めるでもなく、親を呼び付けるわけでもなく
「送って行ってあげなさい」と私と友人に
そっと後ろから着いて歩くだけで良いからと
家まで無事に見送る役を頼まれたことがあった。
これも騒ぎ立てないことに子供ながら優しさを感じた。

集金を忘れてきた子には
立て替えをしてあげていて、
それをだまっているでもなく
その子を叱るでもなく
「かあちゃんに先生が払っといたって伝えてな」と
話をしている姿を見かけて、
今考えると家庭に事情があった子だと思うが
当時は忘れちゃったんだ位に見えていた。

テストに自分のあだ名を書いて提出する子にも
名前を書けていないから0点とかではなく、
きちんと返却の時に横にフルネームを書くように
伝えていた。
その子もいつの間にかきちんと名前を書くようになっていたと思う。

他にもいろいろなことがあった。

さくらももこさんがちびまる子ちゃんで
小学校3年生を題材にしているように、
人間界にやっと馴染んできつつも
まだまだ宇宙人感があり、感性も豊かな年代で
事件と発見の毎日だった。

その先生とは未だに年賀状のやりとりをしている。

1度だけタイプカプセルを開けるのに
大学入学の時に再会した。

タイプカプセルを作る時も
雨に濡れたら嫌だからと
自宅の納屋にそっと保管してくれた。

開封の時も小4から高校卒業までの
8年の月日が経っていたが、
クラス名簿を持ってきてくれていた。

万人に愛される先生なんてなかなかいない。
I先生も賛否両論あったと思う。
私には昭和感があり教師という名が合う
唯一の先生であった。

今の小学校にはこんな先生がいるのだろうか?

今年はまた対面が出来るよう
連絡を取ってみたい。

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