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30代で心筋梗塞になった男の体験 4

30代で心筋梗塞になった私の体験を綴っています。同じような事が起こった人の参考になるように。健康な人が増えますように。

心筋梗塞の日の夜

発症から2時間強が経過し、ようやく症状がおさまった。

心筋梗塞で死亡する場合、その90%が1時間以内ということを考えると、自分の心臓は本当に良く頑張ってくれたと思う。

そのまま5日間は絶対安静。次の日には帰る予定でいた自分としては驚いたが、家族は「いや当然でしょ」といったような反応であった。自分としては、正常に戻ったあとはいつもと変わらぬ体調だし余裕と思っていたが、周りから見れば、やはり明らかに異常なのである。

死とは、健康な状態から階段を下りるように近づいていくものとは限らない。突然、死に至るということもあるのだ。どれだけ健康であろうとも。それがよく分かった。

なお、緊急カテーテル手術も検討されたようだが、若いからいける!という理由で見送られた。

最初の4日間は集中治療室(ICU)とのこと。3段階あるレベルのうち、真ん中のレベルの部屋だったと思われる。部屋では自分の脈の音がピッピッ・・・と鳴っている。50を下回るとピーー!とか鳴る。

その夜は、とりあえず、生きていることに安堵しながら、先の事を考えたりした。この状況でぐっすり眠れる人はいるのだろうか。念力で脈拍50を下回らないようにしながら、眠れない夜を過ごした。

ICUでの1日

朝になり、看護師さんにいろいろ教えてもらった。

・すごく若い人が来たと話題になった。(50代でも若い)

・現状、診断名は不整脈(心筋梗塞と言われるのはもっと後の話)

・不整脈でも「心室頻拍」という危険なやつであった

・もし脈が無くなっていたら2、3分で命の危険。救急車を呼んで正解

・意識がずっとあったというのは珍しい

2、3分で死にはさすがにビビったが、不整脈と聞いて、「たかが不整脈でこの状況?」と無知な自分は思った。人に話すとき「不整脈が出てドクターヘリで運ばれました」では、「犬小屋にセコムしてます」みたいに聞こえる。

ICUでの生活はすべてベッドの上。これが苦痛であった。体調に問題無いのに、ベッドの上で食事、排泄まで行うという。ベッドの位置はたまたま窓があったので、空は見えた。鳩も見えた。いつも同じところにとまる鳩を、「院長」と呼ぶことにした。

ICUにスマホは持ち込めない。我が奥様がとりあえず、メモとペンと本を1冊持ってきてくれていたので、それでICU生活をしのぐことにした。

ちなみに本はブロニー・ウェアさんの「死ぬ瞬間の5つの後悔」。奥様、テンパりすぎである。周りの視線を気にしながら読んだ。死ぬ前に読めてよかった。(とても良い本なので、皆さんもぜひ読んでみてください。)

心電図は常時接続。血圧計も常時接続され、一定時間ごとに腕を締め上げてくる。検査は採決、レントゲン、MR、CTなどを繰り返し行った。

ICU生活で思ったこと

ICUでの生活は、当時の自分にとっては地獄のように感じた。重症患者ではあったが、自覚症状0だったため、そう感じた。

あんなに(自分的に)健康体でICUに入ることができたのは、ある意味貴重な体験だったと思う。

毎日メンタル維持のために、思い浮かんだことをベッドの上でメモに書きまくってた。4日で大学ノート1冊分書いた。もちろん、本や雑誌やマンガなど、頼めば持ってきてもらえるのだが、まったく読む気が起きなかった。前述の本を1冊読むだけで精一杯。

有名なマズローの欲求5段階というものがある。人間は「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」である。この順番で人間の欲求は現れ、満たされていくという。

この時まさに「生理的欲求」が満たされていない状況であったので、次の欲求が湧かないのだ。思えば子どもの事も、すっかり頭から離れていた。考えようと思えば考えられるが、自然とは出てこなかった。

死の危険に直面したら、真っ先に子どもの事を考えるだろうと思っていたのに。

それはおそらく、人間が生き延びるために必要な機能なのであり、神秘的とも思った。生命を維持しようと、脳は自分の事に集中しているのだと。

健康であって、自分の事が自分で選択してできること。すなわち自律的であること。これが人間の喜びであって、自由なのだ。何でもできる、ではなく、自分で選択できること。そこに自由があり、責任がある。自分でトイレに行けるなんて、なんと素晴らしいことか。

自律を奪われた不自由な生活の中でそれを学んだ。




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