漫画のアニメと原作の違いについて

漫画の原作とアニメでは、読者のイメージとアニメ制作者の意図するものが違って見える。

特に声優陣の使い方や作品の趣旨と合わない声の使い方など、アニメでは馬鹿丸出しの設定になる作品が出てきたりする。

好きな漫画の一つに、ワールド・トリガーという漫画作品があるのだけれど、声優陣の使い方やコンセプトが作品の内容をスポイルしてる部分が多過ぎる。

アニメ作品の監督は万人受けを狙ってるのだろうけど、緻密なストーリーや設定において、怒声や威迫する部分は戦闘シーンで多くみられても漫画のイメージとアニメのイメージでは、大きく解釈にズレが生じてる物が多い。

例えば、漫画のワンシーンでは、ふたコマ程度で終わる内容でもアニメだと声優に声を張らせて見せ場のシーンのように大袈裟な表現を入れてくる。

稚拙なシチュエーションが数多く盛り込まれており、アニメ制作者の知能指数の低さを感じてしまう。

アニメを見るのが少年少女が多い事もあるのだろうが、30分番組の尺に合わせて、実際には10分程度で終わる内容の部分が、無理やり尺の都合で長めに引っ張られていたり、原作の都合でストーリーが追い付かない部分を前の話と繋いで引っ張る感じのニュアンスで原作の面白さを殺してしまうのがアニメの特徴にもなってる。

顕著に感じるのは、キングダムや戦闘シーンの多いアニメ。

おそらくテレビのアニメ作品ではなく、原作のコマを全てページ単位の扱いにして紙芝居的な作りにした方が、セリフを短く設定したり迫力を持たせる必要性もなくなる。

そもそも戦争などの部隊作戦で大声で叫んでも仕方ないし、戦国時代のような太鼓や旗で合図をやり取りして、号令や作戦を指揮していた知見のない人達には、サバイバル・ゲーム的な内容の作品を作る事は難しい感じもする。

普段から叫んでる奴というのは、頭が悪い奴が多い。

相手を見て怒鳴ったり、相手の本質を知って黙ったりするケースが殆んどであり、通常は相手を見て使い分けて声の張りを変えるのが、人の特徴とも言える。

例えば、先ほどのワールド・トリガーの設定でも理解できるのは、4人の主人公の内、三雲修というキャラクターの設定が既に崩壊してる部分。

自頭が良く奇策を思い付く人の多くは、実は個人技に優れる人が多い。

テニスプレーヤーや卓球選手などのような個人技の高い人達の多くは、実はボードゲームなどでも高い勝率を持つ人が多い。

ワンマン・スタイルで個々の能力に応じた位置決めを設定するので、段取りなどにも長けた子が、小学5~6年生くらいから目立ち始める。

リーダーシップがなくても圧倒的な能力を持つ子ども達が居たりする。

勉強は全くやらないのに、スポーツやボードゲーム(将棋やオセロ)などのゲームでは、他者に負けないといった子ども達に見られる傾向。

こういう子達は、テストの点数も勉強をしない割りに高かったりする。

ワールドトリガー内の三雲修のような存在は、ガリ勉君な割に平均点も低い人が多い。

小中学生の頃にスポーツや遊びに集中してた人達というのは、知らず知らずの内に状況判断や遊びと勉強の両方を社会から学び取ってる人が多く、協調性も高かったりする。

大学に通わなくても大成してる人達というのは、身体的な能力が平均値であっても自分で起業して成功してる人達が多いように、ある一定のレベルの基準を満たしてる事が多い。

キャラ設定で言える事は、中学生になりたての頃に体を鍛えていたという内容にした方が、受験前に部活を休んで体がなまってる程度で済むので、キャラが化けるという事もない。

将棋などもそうだけど、僕は小学1年生くらいの頃から将棋を打っていて、小学3年生の頃には、地元のおじさん達と将棋を打つ程度なら殆んどの大人に負けなくなっていた。

小学6年生頃には、将棋の奨励会に紹介されるレベルだった。

その時に始めて奨励会の2段の人と将棋をして、自分のレベルの低さを知ったんだけど。

その人に言わせると初段くらいの実力だと言われた。

プロの2段とアマチュアの5段が将棋のレベルでは同じだと言われてる。

将棋の初段レベルの実力があると、実は人選や適材適所の感覚が身につく。

団体戦や個人技でもレベルが高い人が多いのは、将棋などが強い人はイメージを感覚で理解しており、判断力が高い分、瞬時の動きに迷いがない。

予め相手の動きを幾つか読んで、動きに対応する対策と対処法を持ってる。

そうした物は、幼少期の色々なゲームから学び小学生の高学年になるにつれ差が出てくる。

僕の場合だと中学生になって半年ほどで身長が12㎝も伸び172㎝程まで成長した。

中2になる頃には、176㎝ほどになってた。

スポーツを辞めて179㎝で止まったけど、僅か2年程で約20㎝近く身長が伸びた。

中3になる頃には、身長が179㎝で学年で2番目に大きくなっていた。

キャラクターの設定で言える事は、知能指数が130以上ある小学生のキャラというのは、実は幼少期から考える力を養って自分で考える事を知ってる。

外で良く遊ぶことで、海や山などの自然と触れ合う事で色々な経験を積み重ね、対応力が鍛えられる。

勉強を殆んどしてないのに、学校で先生が出す宿題もしてないのに、テストの成績は平均点が80点以上という記憶力や考える力も最初から高い。

予習や復習をしてガリ勉で努力しても平均点で同じ点数以下の人達というのは、救いようがないアホにしか見えない。

テストで100点とか90点を取っていて、先生によくあてられて満点以上の回答をしても宿題をしてないという理由で、先生にぶん殴られていたけどね。

自分の言う事を聞かないから、力で従わせるみたいなアホな教師が居たよね。

社会科の授業なんて先生に習わなくても、直接的に親がやってる銀行や組合の取引や貯金通帳を作って自分のお年玉を貯めたり、ラジコンを買うのに幾らのお金を貯めてみたいな発想は、中学生の頃から持ってた。

中学の頃は、学校に行く前に新聞を配達して、一ヶ月の小遣いが17,000円くらいになったんだけど、そのお金の殆んどはゲーラ・カイトやラジコンとかゲームセンターで遊ぶ金で消えてた。

今になって思うと、ラサールに行かなくて良かった。

キャラの設定で、主人公が頑張ったら夢が叶う的なストーリーの話が多いのは、そこに憧れや希望が込められてるんだろうね。

剣劇漫画の決定版的な話で言うとブリーチがあるけど、実際の戦争的な意味合いの争いでは、実際に刀や剣というのは使用されない。

通常は、弓矢と槍が多く使われ、弓矢が尽きたら騎兵が馬で突撃して陣を破るというのがセオリーにある。

刃渡り60~70㎝の日本刀と長さ2.6mの槍であれば、圧倒的に槍が強い事が理解できる。

日本の映画とかドラマや漫画の世界では、何故か刀が武器として表現される事が多い。

実際には、刀を使うイメージは、幕末の京都で新選組などが人を斬ってからのイメージだろう。

実際のかちの武器は基本は槍であり、刀などを持てる足軽は少なかった。

そういう意味では、中国のドラマや映画の方が、史実的に槍やげきといった武器を主力にしてるので納得する。

中国は日本よりも戦争においては古い文化を持ってるので、練兵や長射程武器を使ったり、投擲機とうてききを使うイメージが理解できる。

漫画のキングダムでは、こうした武器が出てこないし刀での斬り合いとか大将軍という言葉にだけ主眼が注がれ、実際の戦闘イメージや階級制度の考えが省かれている。

例えば、中国の蹴鞠の文化などにおいては、元々は練兵する際の集団で動く際のサッカーのような連携が基本にあったりする。

元々、中国の蹴鞠がサッカーの元な訳だけどね。

英国のラグビーも同じだよね。

ラグビー・フットボールという風に名称もあるように、元々はサッカーと同じフットボールという競技。

戦争に似た競技でいうと、ペイント・ボールのようにスプラトゥーン的な…

戦争の歴史を見れば明らかなんだけど、銃剣というモノが存在する。

長距離戦で弾を打ち尽くした後や充填する時間がない時に、白兵戦となった場合、塹壕において銃身の先にナイフを挿入して固定し槍の代わりに使ったのが銃剣の始まり。

昔のマスケット銃は火薬の装填に時間を要したので、銃剣を使って戦っていたというもの。

ワールドトリガーには足りない物が多過ぎる。

例えばブレード型のミサイルなど。

トリオンの設定は面白いけど、現代兵器とブレードを組み合わせた面白いミサイルの発想や銃剣やグレネード(手りゅう弾)のような武器がない。

機関銃やメテオラ(炸裂弾)があるのに、通常のグレネードを携行してない。

通常の兵士が携帯する兵器であれば、銃や刀を使うのであれば銃剣の方が圧倒的に有利。

ワイヤーの使い方にしても通常ならピアノ線を使った爆弾の起爆用の仕掛けだったり、ブービートラップ(仕掛け罠)のような使い方が一般的。

スナイパーが長距離戦を行うから接近戦で弱かったり、通常は、全兵士がスナイパーと同じでライフルを変えて対応するだけ。

ペイント・ボールのように、陣取り合戦のゲームやバトルロイヤル的なゲームだと、3対3や5対5の対戦シチュエーションが存在する。

ワールドトリガーでは、トリオン体やトリオン兵器は、トリオン兵器以外ではダメージを負わない設定になってるので、ブレードや弾トリガーの設定になっていたり、長距離を空中にジャンプできたり、話の設定は面白い。

物体を弾き飛ばす設定なのだから、炸裂弾(メテオラ)を通常の物体にセットして時間で爆発する設定にすれば、昔の大砲の砲弾のように炸裂する砲弾も作れたりする。

ブレード・ミサイルなど、トリオン体とトリガーの設定で作れるものは沢山存在する。

年齢的に言えるのは、中学生であるなら15歳以上を設定した方が現実的だし、そもそも15歳以下の年齢の人達が夜間の任務に就く事は、日本の法律上はあり得ない。
※ 労働法上、18歳未満の少年には、夜22時以降の作業が許されない。

日本が物語のエリア設定になってるのであれば、日本の法律を遵守する必要がある。

また特殊防衛隊員にしても、自衛隊高等工科学校や防衛大学のように、特別防衛任務の任を与えられる公務員でなければ、武器を持つ事は許されない。

民間のスポンサー企業が出資してネイバーと呼ばれるエイリアン的な異世界の住民と戦争するという話であったとしても、日本では成り立たない話。

設定の根本が既に間違っている。

要は、宇宙防衛隊のような話なので、ボーダーという組織自体が独自の武器を持つ事さえ許されないし、利権を得ようと動いても日本という国家内での活動は国に一任される。

国からの委託で特別な許可を得て防衛任務にあたるのであれば、国の機関として防衛省と防衛装備庁の特別組織として描く内容だったということ。

アフリカ辺りの発展途上国などが物語の設定上のエリアであるなら、国の法律自体が定まってない場所も多いので、緩い設定も可能だったと思うけど。

日本がネイバーと接触する地点であるのであれば、防衛隊の権利も普通に自衛隊を管轄する防衛省になる。

別の組織として海上保安庁もあるけれど、元々は日本の防衛省も始まりは保安庁である。

設定の部分で既にストーリーが成り立たないのと、一般の中学生や高校生を物語のキャラクターとして設定するのであれば無理がある。

ボーダー(組織)という防衛省の対ネイバー戦略拠点という名目で描くのであれば、中学生の設定よりも自衛隊工科学校から防衛大学の設定にした方が良かっただろう。

国家予算の割り当てと自衛隊の隊員規定、学生の基本給与や待遇など、既に自衛隊においてはこのような決まりが存在する。

規定にもあるのように、自衛隊高等工科学校の生徒は、特別職の国家公務員の身分になるというのが本来の扱い。

一般人の中学生が防衛隊員になって武器を持つ事が許される訳がないだろう。

こういった詳細を細かく設定して、武器や戦術、団体戦や個人戦などの動きやトラップの仕掛け方や大袈裟なアクションではなく、如何に上手に隠密行動で罠を仕掛けたり、敵に見つからずに仕掛けや戦術的な優位を作れるかを競う内容であれば、子どもも大人も楽しめる内容になったのにね。

稚拙な内容が好きな人には戦闘シーンが面白いんだろうけどね。

どちらかというと、作者の発想とか人間模様的な部分が偏り過ぎていて、その内容の方が面白かったりするけどね。

自衛隊高等工科学校が舞台の方が、作品の内容的にも面白かったかもね。

ワールド・トリガーのような異次元の世界を相手に、異世界民と戦ったり同盟を組むみたいな内容の話は面白いけどね。

実際にゲームにすると動きやトリオン量などにより、数分で勝負が決まる。

こういう感じのシチュエーションなら、まだ面白いんだけどね。

銃や追尾弾などがあるのに、刃先の多いブレードや割れるシールドの部分は変えられるよね。

現在の警察が使うポリカーボネート盾の強さを見ても分かるけど、連続で撃っても80発以上の弾を防ぐ。

防弾ベストに至っても通常の銃弾であれば、連続して撃たれない限り心臓や臓器を守ってくれる。

シールドは、刀で斬っても割れる事はない。

実際の基本戦術も開けた場所で敵と撃ち合ったり対峙する場合、防護盾を前面に置いて催涙弾やゴム弾などを撃つ。

体は、背面以外の全方位をプロテクターで守ってる。

ガス化した武器を使えるのに、戦争で禁止されてる武器を人型ネイバーは使うのに、兵器として存在しなかったり矛盾だらけ。

身体的な速度や筋力が幾ら増しても人型ロボットの高性能版という程度で、実際には兵器戦術には敵わない。

性能としては、人間が刀で戦車を切るとかあり得ない話なんだけど、人間が戦う事に意味を持つのが漫画の世界。

戦争においては、既にドローンや自律飛行や自律誘導型の兵器が実戦に投入されている。

漫画やアニメの世界では、ランボー的なスーパーマンのような無敵の存在が戦いで生き残る的な発想の作品が多い。

実際の戦場では、慎重に銃弾を躱して攻撃に晒されないように隠れてる人間が生き残る。

地形戦や戦術を語ってるのに、こうした部分が欠けてるのが、少年漫画に見られる阿呆の典型的な部分。

現実的な内容なのに、ファンタジーな内容を設定する海外のドラマや小説などの原作との違いが、日本人の漫画作品には多い。

稚拙で低 IQ の人達が喜ぶ作品を量産するのが、今の日本の漫画の世界になりつつある。

どうせ妄想で展開を進めるのであれば、武器に関しても刀や銃でない話の方が分かりやすいんだけどね。

暴動のような対民衆戦術と戦争のような破壊兵器の戦いでは、雲泥の差があるんだけど、漫画家の方々の多くは、根本の部分を理解してない人が多い。

バトル物の作品は、作家さん達の発想も知見が狭いせいか、内容が限られたものに限定され、ストーリーの面白さに欠ける作品が多いよね。

今後、このジャンルは、細かい矛盾を無くすことで、違った意味で受け入れられると思う。

強い奴 = 無敵のスーパーマン的な描かれ方から、本当の強者は自分の弱点や戦力差を理解し、生き残る為の方法を考えられる奴という考えの作品が増えれば、日本刀を持って振り回して母親をケガさせ逮捕されるみたいな?
米国で起きたような事件もなくなるだろう。

バカな輩が真似しない作品を考える事が重要だよね。

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